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今後犯罪に巻き込まれたとして、皐月の力だけで解決することは絶対に不可能だ。それを思えば、三美神の言うことを聞いたほうが無難だろう。
皐月は、ため息をつく。カップを持ち上げて、口を開いた。
「わざわざ俺にそんなこと言うために、ここまで連れて来たんですか? 」
皐月はコーヒーをゆっくりと口に含み、十分味わったところで飲み込んだ。哲は表情一つ変えることはない。
「それもある……。でもあそこで立ったまま話をするのは、目立ってしかたないからな。おまえも目立つのは嫌なんだろ? 」
確かに、二人があの場に留まって会話を続けていたら、変に注目を浴びることになっていただろう。会話の内容を盗み聞きする者もいただろうし、興味本位で皐月に関わろうとする者だっているしれない。
普通の生活を送りたい皐月に対して、哲なりに配慮をしたつもりだったのだろう。
「わざわざお気遣いどうも。でも時間を取ってしまってよかったんですか? ラインでもよかったでしょう」
「俺もそう思ったけど、直接顔を見ておきたかったんだ。ムカデのこともあったし。でも思ったよりもピンピンしてるな。武器なんかいらないって言うくらいには」
哲はどこか小ばかにするように、鼻で笑う。皐月はムッとしながら返事をした。
「ええ。おかげさまで。 スーザンで事件があったとお聞きしましたので、三美神様も対応に追われていることでしょう。お忙しい中、手間を取らせてすみませんね?」
哲の表情から笑みが消えた。ゆっくりと瞬きをして、どこか不思議そうに皐月を見つめた。
「父親から聞いたのか? それとも君の同居人か? 」
皐月はぴくりと反応する。今日だけで、哲は皐月を何回動揺させるつもりなのか。
カップをソーサーに置く音が、やけに大きく響いた。
皐月の反応を気にすることなく、哲は落ち着いた声で続ける。
「……それはないな。絶対に首を突っ込もうとするから、あいつに事件のことは話してない」
「同級生から聞いたんです、大学の」
皐月の声は落ち着いていたが、動揺は隠しきれていなかった。思わず早口気味になる。
「スーザンで失踪事件が起こってるって。その捜査に三美神が加わってるのかって、聞いてきた子がいました。知らないから知らないって答えましたけど」
哲は難しい顔をして、顎を触る。
「……そうか。もうそこまで事件について話が広まってるんだな。大学も警察も公にはしていないはずだけど」
「そうみたいですね」
皐月は自分を落ち着かせるように深呼吸をする。昼に事件の話を聞いたとき、なんとなく三美神は関わっているのだろうとは思っていた。
三美神は興味のある事件を拾って、勝手に捜査することがよくある。
不特定多数の人間に危害が及ぶような犯罪は、この平和な国でそうそう起こるものではない。そのため、三美神に時間の余裕があるとき、警察の捜査に首を突っ込むことも珍しくはなかった。
警察組織には不満に思う者もいるだろうが、三美神には捜査権も与えられているため何も問題はない。
警察の捜査が難航しているというスーザンの事件に、三美神が興味を持って関わっていたとしてもおかしくなかった。
哲は顎をなでながら視線を落とし、しばらく考え込んでいた。やがて視線を上げて、皐月を見つめる。
「最初は三美神として引き受けるつもりはなかったんだ。東悟から事件の話を聞いても、ただの失踪事件みたいだし、警察だけでこと足りると思っていたから」
そのとき、皐月に悪い予感が襲い掛かった。全身を包む不快感。かすかに震える体。気付かぬうちに立っている鳥肌。
先日、死体から出てきたムカデを見たときと同じような嫌な予感。これ以上は関わってはいけないのだと、頭の中で警鐘音が鳴る。
しかし、哲は話を続け、皐月が話を切り上げる隙を与えてくれない。
「事件について話を聞いたとき、失踪した人数は四人だった。三週間もたつと、その数は九人になっていた。大学側は捜査に協力しないし、死体も見つからない状況じゃ警察も強引には捜査できない。足踏み状態ってとこだ」
聞いてはいけないと感じる一方で、哲の話がすんなりと耳に入ってくる。「普通の生活」を送りたいのなら、これ以上聞かない方が絶対に良いはずなのに。
哲の話は続いている。
「今、行方不明になってるスーザンの学生は、全員で十六人。手がかりはおろか遺体すら見つかっていない。家族が捜索願を出しても、俺たちが出ていっても、何も捜査は進まない」
「三美神が捜査に加わってるのに、何も進展がないんですか? 」
「ああ、何も」
三美神は処刑人という立場で、時に警察以上の威力を発揮する。そのため三美神が協力して捜査が滞る、ということはめったになかった。
「どうしてですか? 三美神が出て行って何もすすまないなんて……」
皐月は尋ねた。悪い予感をなかったことにして。
哲は皐月の顔をじっと見据えて、くすっと笑った。
「そんなにスーザンの事件に……俺たちの仕事に興味があるのか?」
奇麗な笑みだ。しかし、皐月は不快な気分になった。普通の生活をしたがっているくせに質問する皐月を、意地悪に笑って見下しているように見えたから。
哲は真剣な表情に戻って、ロイヤルミルクティーに口をつける。
「スーザンは男子禁制なんだよ。神父以外は基本的に出入り禁止。学生の身内でも特別な行事でない限りは入れないんだそうだ」
気を悪くしていた皐月だったが、結局哲の話に聞き入っている。皐月は真面目に返した。
「確かに、あそこはお堅いミッション系の女子大ですから。三美神も入るのを断られるんでしょうね」
「ああ、俺たちじゃもっとダメらしい。人殺しである俺たちは人道から外れてるんだと。シスターから面と向かって言われたよ」
そのときのようすを思い出したのか、哲は鼻で笑った。意地悪く口角を上げる。
「死人に対して祈りをささげるのはこっちだって一緒だってのにな。清く正しく美しくを誇りに思ってるやつらはこれだからいけ好かない。汚れてしまった間違いばかりの醜い人間のことは見下すんだから」
ピリピリとした痛い空気が、哲から放たれる。
「しょせん、神も一緒だ」
哲の機嫌を損なわないように、皐月は遠慮がちに口を開いた。
「……今は、女性の警察官が捜査するしかない状況、ってことですよね? 」
「ああ、だから女性警官が聞き込みや調査をしてる。それでもあまり大した情報は上がらなかったけど」
「失踪した女性の共通点とかは? 確か……」
そこで皐月は口をつぐんだ。そんな皐月を、不思議そうに哲は見つめる。
これ以上、三美神の捜査に首をつっこむ必要はない。これではまるで、一緒になって事件を解決したがっているみたいではないか。これはあくまで三美神の仕事であって、自分には関係ないことだと、皐月はこれ以上何か質問するのをやめた。
冷静を装って、静かに言う。
「いえ、なんでもないです」
取りつくろうようにコーヒーを飲む。しかし遅かった。哲は、皐月の質問にきっちりと答える。
「スーザンにしては、遊んでる子たちだな。スーザンにしては、だ。髪の色が明るくて、肌を露出した格好をしている女子大生。スーザンに通ってるってことを疑うくらいの派手な子もいれば、他の大学じゃよく見かけるような子もいる」
「……そうですか」
皐月はそれ以上何も言わず、コーヒーを飲み進める。
哲も何も言わない。テーブルに視線を落として、顎を触りながら何かを考え込んでいる。長い沈黙が、その場を支配していった。
先に沈黙を破ったのは、皐月だった。
「……で、どうするんですか」
ああ、なんて自分は馬鹿なんだろう、とひどく後悔する。まるで自分が三美神の活動に興味津々みたいではないか。
哲と二人きりで喫茶店にいることがそもそも気まずくて、それに加えての沈黙には耐えられそうにない。
哲は、視線を皐月に移し、しばらく何も言わずに見つめる。やがて、顎から手を離し、言った。
「……俺たちは諦めて手を引くべき、だろうな」
皐月は目を丸くする。哲の顔を凝視して、驚きを隠せない声を出した。
「や、やめるんですか? 捜査」
「うん、やめようかな」
平然と答える哲に、皐月はますます混乱した。
「そんな簡単にやめるんですか? 事件は解決してないんでしょ? それなのにそんなあっさり……。西園寺様ってそんな、途中で投げ出す人でしたっけ?」
「そりゃ、事件は解決してあげたいけど。三美神は大学に入らせてもらえないし、捜査のしようがないだろ」
「いや、そりゃそうですけど……でも、三美神がなんとかしないと、今のままじゃ誰も見つからないんじゃ」
ふと、皐月は、目の前の男が意地の悪い笑みを浮かべて自分を見ていることに気付いた。哲はどこか楽しそうに口を開く。
「三美神のことを買いかぶり過ぎじゃないのか? 大丈夫だよ。こういうのは時間が解決してくれることもある」
皐月は答えなかった。不愉快な表情を浮かべて、哲をじろりと見つめる。
哲は笑みを浮かべたままだ。
「あの大学、怪しすぎるだろう、どう考えても」
皐月は返事をしない。哲は話を続ける。
「学生が行方不明なんだぞ。十六人も。むしろ積極的に警察に協力してもいいんじゃないのか? いなくなった子がどんな子だったとか、どんな部活に入ってたとか、出席状況はどうだったのかとか。そういうのも、プライバシーがどうとかで一切教えちゃくれないんだぞ」
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