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皐月は何も反応しなかったが、コーヒーを飲みながら耳を傾けていた。
「行方不明者の共通点……派手な見た目のことですら、刑事たちが学外にいるスーザンの学生に聞きまわって、やっと手に入れた情報だ。失踪した子の最後の目撃情報すら、あやふやなものが多い。正攻法でやっても時間がかかりすぎる」
「それで、そんな状態の中、三美神は手を引くつもりですか? 」
落ち着いた声で問う皐月に、哲は皮肉めいた声で言った。
「いくら大学側が協力を拒否しようが、警察が情報公開に制限をかけようが、限界がある。そもそも失踪者が多すぎるんだよ。失踪者の数が多くなればなるほど、事件について隠すことはできなくなる。いずれ大学の威厳もルールも通じなくなるくらいには、大ごとになるはずだ」
哲は高慢な笑みを浮かべる。皐月が苦手な、あの笑みだ。
「世間に失踪事件のことが知られたら、なぜ警察と協力しないのか大学は非難を受ける。そうなれば大学側は嫌でも警察に協力せざるを得ない。俺たちが何をしてもしなくても、事件は勝手に解決に向かっていくだろうさ」
「もしそうだとしても、失踪者が増えて世間が注目するまで待つってことですよね? それって、学生の危険を放っておくことになりませんか? 」
皐月は語気を強めて問いかける。哲が吐き捨てるように答えた。
「そもそもの話、失踪してるってだけで、連続殺人になってるわけじゃない。失踪している学生の捜索は、本来なら俺たちの仕事ですらない。死体の一つでも見つかれば、強制的に捜査に応じてもらえるかもしれないが。死体が見つかってない今の状況じゃそんな権限もない」
皐月は顔をゆがめた。言い方はともかく、哲の言っていることは正しい。哲の言い分に納得はできないものの、三美神のやり方に皐月が反論する権利はない。
ふと、皐月は視線を窓に移す。外の風景を眺めると、もう真っ暗だ。街灯に明かりがともり、走り去る車のライトが眩しい。思いのほか長居していたようだ。
(……帰らないと)
哲の用件はもう済んだはずだ。いっこくも早くこの場から去りたかった。別に、哲と仲良くなりたいわけでもないのだから。
コーヒーがまだカップに残っていたが、早々にリュックを持って立ち上がる。やはりこれ以上用件はないのか、哲は引き留めようとしない。
(お金、払わなくちゃ)
伝票に手を伸ばすと、先に哲に奪い取られた。
まるで勝ち誇ったように笑い、皐月を見つめている。
「おかしいと思わないか? 」
心臓が跳ねる。嫌な予感がする。哲の言葉を聞いてはいけない。巻き込まれてしまう。
皐月は急いで財布を取り出し、開く。そのあいだ、哲は勝手に話を続けた。
「あの大学、住宅地のど真ん中にあるんだ。学外で襲われたとしたら、叫び声や怪しい音を聞いている人がいたっておかしくない。でも、そう言った情報は一切上がってこない。大学を出てからの足取りもつかめない」
「だからこそ三美神の出番なんじゃないですか? 」
刺々しく言うと、皐月は千円札一枚を哲に差し出した。そのお金に目もくれず、哲は言う。
「……学生の金をもらうほど金には困ってなくてね」
伝票を持って、ゆっくりと立ち上がった。哲と皐月の身長は同じくらい。だが哲の風格は、皐月のそれと比ではなかった。
哲はわざとらしく困ったように言い放つ。
「大学の敷地に侵入しようにも、俺たちは男だし、顔が割れてるからできないんだよな。夜も厳重に警備されてて、シスターたちが当番制で寝泊まりしてるみたいだし」
反応しないように皐月は聞き流して、お札を財布にしまった。哲は悪いことを考えている少年のように、美しく笑う。
「女性でうまく侵入して、探りを入れてくれるやつがいれば……。ああ、そうだ……瑠璃がいたな」
「やめてください!」
哲が名前が出した瞬間、皐月は声を荒らげた。その顔は青白く、体は震えている。しかし哲を見つめるその瞳は、敵意をむき出しにしていた。
哲は、いじめすぎたとばかりにほほ笑んだ。
「……すまんな、時間を取らせて。送ろうか? 」
「電車で帰れるんで結構です」
財布をリュックに突っ込んで背負い、哲に背を向ける。急ぎ足で出ようとする皐月に、哲は言い放った。
「家に帰ったらよろしく言っておいてくれ」
皐月は振り返る。その細い目で、哲をにらみ付けた。哲は平然と笑って、皐月を見つめ返す。
(本当は何もかも知っているくせに。全てをお見通しなくせに……)
皐月は正面を向いてさっさと店を出る。
やはり三美神なんてろくなものではない。皐月は改めて三美神に、西園寺哲に、嫌悪を抱いた。
†
あれから、数日が経過した。一応、和也と哲から言われたとおりに銃を持ち歩いている。相変わらず使う機会はない。
皐月はいつものように部活を終えて、外に出る。門を出て立ち止まり、イヤホンを耳にはめ、スマホの画面を操作していた。
ふと、ここで哲に待ち伏せされた記憶がよみがえってくる。あの日以来、哲から連絡は一切こない。
皐月の同級生たちも、皐月に気を遣っているのか、事件の話をしてくることはなかった。
スーザンの事件は報道されていないので、どこまで操作が進展しているのか、さっぱりわからない。とはいえ、自分から三美神や同級生に話を聞くのはひかえたかった。
「あ、百合園じゃーん」
ふわふわとしたかわいらしい声が、皐月の耳に突き刺さる。皐月は顔に笑顔を張り付けて、声のしたほうを向いた。スマホ片手に帰ろうとしている坂本が、きらきらと笑っている。
「百合園、部活終わったの~?私もなんだ~。偶然だね」
軽い足取りで坂本が近づいてくる。甘い香水の匂いが、皐月の鼻をかすめた。
坂本はぐいっと顔を近づけて、上目遣いで見つめてくる。
「今から帰るんだよね? 一緒に帰ろうよ。暇なら一緒にファミレス行かない? 」
皐月は思わず、一歩後ろにさがった。
「ごめん。これから用事があって」
「え? そうなんだ? 残念」
坂本はしつこく食い下がるような女ではなかった。「それじゃあまた今度」と笑って手を振り、背を向けて去っていく。
(ああ、やっぱり。苦手だなぁ……)
皐月も自分のマンションへ帰ることにした。スマホを操作し、女性歌手のロック音楽を、ボリューム大きめで流す。耳に付けたイヤホンから、音が少し漏れていた。
今日は帰ってからやることがたくさんある。洗濯機をまわして、部屋の掃除を少しして、チーズの入ったオムライスを作らなければいけない。それから、もちろん勉強も。
†
「は~あ」
皐月の大きいため息が、閑静な住宅街に響いた。続けざまに小さくつぶやく。
「ほんっと、俺ってばなんでこんなところに来ちゃってるんだろ。関係ないのに」
家でしなければならないことはとりあえず全部すませ、スーザン女学院に面した住宅街に来ていた。何かあっても手ぶらではさすがに対処できないので、念のために銃を入れたリュックを背負っている。
皐月はバイクを押し歩きながら、うろうろと探索していた。バイクはストリートファイターと呼ばれる黒いネイキッドモデル。細身のスタイリッシュな中型バイクだ。
乗りながら移動してもよかったのだが、静かな夜にエンジン音や走行音を長時間響き渡らせるのは、さすがに迷惑だろう。
家やアパートの窓には明かりがついており、晩ご飯の匂いが漂ってくる。しかし住宅街のわりには街灯がない。夜道を照らすのは頭上で輝く月と、バイクのヘッドライトだけ。人通りはまったくない。
皐月はここまで来たことをひどく後悔しながらも、まだ帰ろうとはしなかった。
マンションに帰った際、「同居人」の姿がどこにも見当たらなかったのだ。用事ができて帰る時間が遅い可能性もある。しかし、そのとき皐月の頭をよぎったのは、「クラシカル」での哲との会話だった。
もしかしたら三美神に協力させられているのかもしれない。それを思うと、気が気でならなかった。どうしても冷静になれなかった。自分が行かなければ、という強迫めいたものが背中を押す。
「俺の気のせい、かもしれないのに。もう帰ってきてるかもしれないのに」
不安を乗せた言葉が、誰にも届かずに消える。
三美神の捜査に協力するつもりはさらさらない。しかし、同居人が危険な目に合うなら話は別だ。それなら、自分が行ったほうがマシだと思えた。
スーザン女学院大学は、目と鼻の先にある。大学のシンボルとも言える教会が、学外からも見える位置に、目立つように建てられていた。
教室棟も教会も、厳かで歴史を感じるレンガ造りとなっており、いかにもミッション系の大学といった外観だ。
(夜に見ると、少し怖いかも……。古い建物らしいし)
スーザン女学院大学は大正時代に創設され、十年ほど前までは少人数教育の短大だった。今でもキャンパスは短大の頃の面影が残り、他の大学にくらべると敷地面積は狭い。全体の学生数も決して多くはなかった。
十何人も失踪していれば、さすがに構内は大騒ぎになるはずだ。プライバシーを考慮するにしても、情報を一切明け渡さず、警察に協力しない大学の対応は、明らかに不自然だった。
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