夏が来ると思い出す。

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 これは俺が子供の頃の話だ。  当時住んでいたのは特筆すべきことは何もない緑と坂道の多い小さな町だった。夏真っ盛りで蝉も活発に鳴いており、もやもやとした陽炎の濃い日のことだ。  人混みがあった。  がやがやと騒がしく彼らは坂道をめがけて一直線にどこかへ向かっていた。  小さな町なのに珍しい人集りだと好奇心が動いた。  遠くから明るい楽しげな音楽が聞こえてくる。祭囃子だ。  お祭りだ。きっとこの先でお祭りがあるんだろう。確かにこの坂を越えた先には俺もよく行く広い公園がある。  そうか、彼らはみんなお祭りに向かっているのだ。  でも、今日、公園で祭りがあるだなんて知らなかった。告知を目にすることもなければ、友人も家族も誰もそんな話はしていなかった。  けれど、祭りという誘惑に子供心を刺激されて当然のようにそちらへ向かった。  頭の中はりんご飴とか焼きそばとか射的とか金魚すくい、そんなのでいっぱいになっていた。 「君はいっちゃだめだよ」  人混みに紛れて歩いていると、不意に腕を掴まれて引き止められた。  振り返ると知らない背の高い男の人がいた。  男は真夏だというの仕立てのいい長袖のシャツのボタンをきっちり上までとめている。真っ黒なベストにきちんと結ばれたネクタイ、革靴は随分と重々しく暑苦しく見えた。  けれども彼は涼しげな表情で俺に優しく微笑みかけながら行くなと言う。 「どうして?」  せっかくの楽しみを邪魔されたような気がしてそういった。  子供一人じゃ危ないとでも言うんだろうか。  幼いながらに不満だ、理不尽だと思った。小学生にもなって田舎のお祭りが危ないなんて言われちゃたまったもんじゃない。  ゆるりと俺の腕から手を離して彼が口を開く。 「人間の行くところじゃないんだよ」  優しい笑みと優しい声でそういった。  彼は言い終えると、俺を置いて先へと進んでいく。  再び振り返って見ると人混みも祭囃子の音も彼も消えていた。  彼らはどこへ行ったんだろうか。あれは一体なんだったんだろうか。  蝉の鳴き声がうるさい。もやもやとした陽炎が一層濃くなる。暑さにやられて額から吹き出た汗がほおを伝い、地面にぽたりと垂れた。  そう言えばあの男は、一滴の汗もかいていなかった。  子供の頃の話だ。  だから、もう何だったのか分からない。  今となっては、夏の熱気にやられた白昼夢だったのではとさえ思ってる。  それにしては彼のネクタイの結び目までやけにはっきり覚えているのだが。  夏が来ると思い出す。彼の優しい声と冷たい手の感触を。  忘れられない夏の思い出と称しても間違いではないだろう。 「っていう、実際にあった怖い話!」  俺が話し終えると友人たちが騒ぎ出す。  怖いとか気持ち悪いとか嘘くさいとか口々にぎゃあぎゃあと。 「夏の思い出がそれってやべーやつじゃん」 「女の子との甘い思い出とかないのかよ」  散々な言われようだ。何となく居心地が悪くて、ほら、次の話しろよ、と俺が促そうとした時だった。 「行かなくてよかったね」  誰かの声がした。  友人の誰でもない声だった。どこから聞こえたのかも分からない。上から響いたような、後ろから声をかけられたような、はたまた隣で囁かれたような声だった。 「次誰だっけ」 「僕だよ。ええと、何の話しようかな」  俺が不思議な声に気を取られている間に話題はもう次の怖い話へと移っていた。
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