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なつのお祖母ちゃんの家は古くて大きくて、ちょっと暗い。
アーチ形の木製のドアを開けると、頭の上でドアベルがガランガランと大げさに鳴った。
「こんにちは、なつです」
玄関からまっすぐ奥につながっている板張りの廊下は、磨いたばかりのように黒光りしている。
静かな家の中に向かって声を掛けたが、なんの返答どころか物音さえしない。
誰もいないのかな
考えながら、なつは靴の先を見下ろした。
玄関の三和土は、お祖母ちゃんが若い頃に外国で集めたという色とりどりの石を削ったタイルが敷き詰めてある。
緑、紫、黒、桃色。
形も大きさもバラバラな薄い石の中には、金粉を練り込んだ群青色や貝殻の裏側のような乳白色もあった。
キレイだな
もっとよく見たくてしゃがみこんだなつの視界のなかを、茶色くてふさふさした丸い物がすごい速さで横切った。
「ねずみ?」
びっくりして、思わず動きがとまる。
ねずみの方も驚いたのだろう、立ち上がった姿勢のままなつの顔を凝視している。
真っ黒い小さな瞳、うごめく濡れた鼻、無数の長いヒゲと、尖った前歯。
よく見てみると、案外可愛い顔立ちをしている。
マンガに出てくる赤い眼をして群れている狂暴な下水道のギャングとはちがって、こちらは野原で慎ましく暮らす野ねずみなのだろうか。
「こんにちは、ねずみちゃん」
それにしてもどこから入ってきたのだろう。
なつはまわりを見まわした。
さっき玄関を開けたとき、一緒に紛れ込んできたのだろうか。
そうだとしたら、外へ逃がしてあげるのは自分の責任のような気がして、なつは入ってきたドアをもう一度開けてやった。
「お家へおかえり、ねずみちゃん」
ところがねずみは外へ出るどころか、なつの靴の先をクンクンと嗅ぐばかりで出てゆこうとはしなかった。
なつは困って再びしゃがみこむと、ねずみの方へ手を差し伸べた。
掌に乗ってくれたら、そのまま外へ連れて出るつもりだった。
「お前、この家の人間か?」
ねずみはなつの指先に前足を掛け、なつの顔を見上げてはっきりと聞いた。
同い年くらいの子どもの声だった。
なつはびっくりしすぎて声も出せずに尻餅をついた。
「違うのか?」
そのなつの掌に駆け上って、ねずみはさらに尋ねた。
なつはかろうじて首を横に振った。
「では、この家の人間に呼ばれたのか」
お祖母ちゃんがくれた絵葉書の最後に、夏休みの間に遊びにおいで、と書き添えられていたのが招待だというのならば、そうだった。
なつがうなずくのを見て、ねずみは掌の上で飛び上がった。
「そうか! じゃあ、オレのために力を貸してくれ」
「力を、貸す?」
なつは掌の上でねずみがちょこまかするたびに伝わってくるちいさな足やお尻の感覚がくすぐったくて可愛くて、この状況を奇妙だと感じる事を忘れていた。
「そうなんだ、オレが昔この家の主に預けた大切な物を返してもらいたいんだ」
「お祖母ちゃんに預けたもの?」
なつは聞き返した。
ねずみは掌の上に仁王立ちしてくるりと後ろを向いた。
「なにか足りないと思わないか?」
薄くて丸い耳、光沢のある茶色い毛に覆われた背中、丸いお尻。
ん~? としばらく考えて、なつははっとした。
「しっぽ?」
ハムスターのお尻ならしっぽは小さくて丸い。
でも野ネズミには体より長くて細いしっぽがあるはずだ。
「オレのしっぽを返してもらいたい」
ねずみはなつの方へ向き直り、なつを見上げた。
小さな前足がなつのひとさし指にしがみついている。
こんなに可愛い生き物の頼み事をどうやったら断れるだろう。
なつは知らずうなずいていた。
「うん、わかった。どこにあるの?」
なつは靴を脱いで、お祖母ちゃんの家に上がった。
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