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「従業員まで雇っちゃうし」
「雇っちゃったねぇ」
「やっていけるとしても、普通に探偵業もしましょう! 私、頑張りますから!」
蛍は立ち上がり、慧のシャツをグイと掴んだ。
「でないと給料泥棒ですよ、私!」
「データ整理してくれてるよ?」
「それだけであのお給料はないですっ!」
なにせ、相場の二倍だ。
蛍が切羽詰まったような顔で慧を見つめると、慧は声を上げて笑い出し、蛍の頭をポンポンと軽く撫でる。
「他の会社ではないかもしれないけど、ここではありなんだからいいよ」
「よくないです!」
貰っている分はせめて働きで返したい。それが従業員としての責務だ。しかし、慧は笑いながら首を横に振るばかりだった。
「うちは普通の会社じゃないし、普通の探偵事務所でもない。そうだな……インフェクト案件専門の事務所だ」
「インフェクト案件専門……?」
慧は蛍を椅子に座らせ、人を惹き込むような魅惑的な笑みを浮かべる。
「浮気調査や素行調査、信用調査に人探し、こういった一般的な探偵業務は一切しないし、そもそも一見様はお断り」
一見様お断り……どこの高級料亭だ。
蛍は心の中でツッコミを入れる。
「依頼人は翔平君、唯一人。翔平君のお願いなら……まぁ、普通の探偵業もやってもいいけど」
「その代わり、それを大きな貸しにするんですよね?」
「よくわかったね」
見る者をうっとりさせるようなその笑みが、今の蛍には危険そのものとしか思えない。仮にそういった事態になっても、慧をよく知る翔平は相当追い詰められるまで頼もうとはしないだろう。
「蛍はヒーラーです。給料泥棒なんかじゃありません」
オウルがそう言って頭をすり寄せてきた。その大きな瞳をクリクリとさせる。
「慧を助けられるのは蛍だけです。だから、蛍はもっといっぱい貰ってもいいくらいです」
「オウル……」
「そうだね、フクちゃんの言うとおりだよ」
慧はそう言って椅子から立ち上がり、蛍に近づいてサラリと髪を撫でる。そして、一瞬の隙をつくように蛍の額に軽くキスした。
「け、慧さんっ!」
「慧!」
つつこうと攻撃してくるオウルを躱し、慧は蛍にウインクを寄越す。
「蛍ちゃんは僕らの勝利の女神だ。これからもよろしくね」
「……っ」
ウインクをしながら勝利の女神などと言う。これがまた馴染んでしまうのだから、腹立たしいというか、何というか。
蛍は頬を押さえ、顔を俯けた。
「蛍?」
オウルが蛍の肩に戻り、蛍の顔を覗き込んでくる。
「蛍、嫌でしたか?」
「……」
嫌か嫌じゃなかったか。この二択しかないのであれば……嫌じゃなかった。それも、何となく悔しい。
なので、蛍は顔を上げ、慧には聞こえないよう小声でオウルに囁く。
「嫌じゃなかったですけど、慧さんをつついてきてください」
「わかりました!」
オウルはそう答え、勢いよく慧のところへ飛んで行く。慧がギョッとしている隙に、オウルは強烈な一撃を食らわせた。慧の凄まじい叫び声に蛍はクスクスと笑みを漏らす。
英探偵事務所。
給料は、普通の会社で蛍が貰える金額の二倍、高級マンションの一室が社宅で家賃はたったの三万円。仕事はデータ整理が中心。
これだけを見るとおいしい、おいしすぎる。社会を舐めているのかというレベルだ。
しかし、その実態は──。
おいしい話にはウラがあるというけれど、ここはおおありだ。むしろウラしかない。それでも。
「ここに来れて……よかった」
心からそう思えるのだ。ここが、蛍にとって居心地のいい場所。やっと見つけた自分の居場所。
慧とオウルの攻防戦を眺めながら、蛍はまた小さく笑う。
それは楽しげで、希望に満ちた、そんな微笑みだった。
了
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