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01.最初の話
「ありがとう!白いウサギのおにいちゃん!でっかいタヌキのおじちゃん!」
灰色縞の子猫を抱えて、少女は心の底から安堵した表情を見せる。トートは、見つかってよかったね、と子猫の頭を撫でた。にゃごん、と喉を鳴らして、子猫は目を閉じる。
「じゃあ僕たちはこれで。もう目を離しちゃ駄目だからね」
「うん!わかった!大事にするっ」
ぺこりと頭を下げて、少女はゆっくりと家路へ。一度だけ、左手の甲で、顔を拭うような、そんな仕草が後ろ姿からでも見てとれた。
「とんだ邪魔だったな」
「邪魔とか言わないで、ディア。ちょうどよかったじゃん。次の依頼までの暇つぶしみたいな」
「こんなちっちぇえことで、余計な体力諸々を使わせんなっての。こちとら燃費悪いんじゃ」
「昔はそんなことなかったのにね」
「誰のせいだと思ってる?ああん?」
ディアは、きいっとトートを睨みつけて。
風格がある。トートは自分よりふた周りは大きいであろうディアのことを、いつもそう見ている。見上げるほどの偉丈夫とは紛れもなく彼のことを指すであろうと、誰もが思うに違いない。どうにもこうにも、ひと目見た感じの肉体は屈強そのもので、目つきは悪く、表情は常に不機嫌。余程の強者であろうと見られることは頻繁で。
けれど、ひとは見かけに依らないとは言ったもの。彼の得物は炎を掌った印術。しかも、一般的に知られたそれではなく、ディアは実に古めかしい、旧式の術を好んで用いる。
「ったくよぉ。肝心な時に印術師がガス欠ってなったらどうするんですかねえトートさん?」
「ディアはそういうところ、意外とマメだよね」
「お前なあ。印術ってえのは結構いろいろ気を使うんだっていつも言ってるよなあ?忘れたなんて言わせねえ」
「まあ……そうなんだけどさ……」
トートは、へにゃっと耳を垂らして。トートは白い兎の弓師。赤茶けた小ぶりの弓が得物。職業柄重い荷物を背負うわけにはいかないので、最低限の荷物しか持たないことを信条としている。
「猫探しもそうだし、最近だってなんか変な護衛だのなんだのってお前は、変な余計な金にもならねえ、依頼でもねえ、よしなしごとに首突っ込み過ぎなの。ああん?わかってんのか?」
「はい……反省してます……」
ふう、と溜め息をついてから、腹ぁ減ったぞとディアは言った。
「我慢できる?ちょっと待ってね地図出すから」
「……どこだろうね、ここ」
ここまで来た道、これから先に進む道。一本細いそれは、地図には記されていないように見えた。これかなあこれかなあ、とトートは指で地図をなぞったり、方位石を眺めたりして、どうにかこうにか現在位置を確認しようと試みるものの。ああだめだ、と肩を落とした。
「ああん?迷ったってか!やるじゃねえか」
「ちょっとヤバいかもねえ」
「ヤバいかもねえじゃねえだろこのぼんくらァ!」
「はい……ぼんくら弓師です……すみません……」
「すみませんじゃねェ!お前弓師だろォ!方角読むのが仕事だろォ!」
「今日ディア怒ってばっかり……」
「誰のせいだと思ってやがる!猫探しに迷子ときたもんだ。はぁぁ、やんなっちゃうね。本当なら次の街にでも着いて、一発キメてたとこなんだけどなァ」
だけどなァ、の部分だけ妙に強調しながらディアは腕を組んで。どうすんだ野宿でもすんのか、と訊いた。
「知らない道だもん、致し方ないかな」
「何か出たらどうすんだ」
「ディアが護ってくれるでしょ?」
「ふうん、言ってくれるぜ」
俺のことなんて手駒扱いかァ、とディアは頬を膨らませて。ふうぅ、と長くため息をついてから、仕方ねえなと首をがくりと傾けた。
辺りを見回すと、随分と鬱蒼と木々の生い茂る、緑の中。どこをどうすれば、地図通りの道へ戻れるのであろうか。腰をかけるのに丁度良い場所は、ざあっと眺めたところ、見当たらない。
「いいトコ探せよトート。俺、そういうの苦手だから」
弓師は、自分の位置取りを把握してなんぼの職業。であるから、野宿に、自衛に、自分にとって有利な拠点を探すのは朝飯前なのだ。
凪が僅かに葉を揺らして。温かい。実に心地よい気温。あれからすぐに見つけ出した木陰でうつらうつらと。トートは目を擦りながら、持っていた干し肉と焼き麦を鞄の奥から引っ張り出した。
「ふうん。味気ねえモン食うな」
「野宿なんだから軽くて長持ちするものしか持てないでしょ。ディアお腹空いたって言ってたじゃん。食べるの?」
「んあ、どうすっかね」
ふああ、とディアは口を開けて欠伸をひとつ。随分と開ける。顎が外れてしまうのではないかと思うほどに。
「空腹通り越したっていうか何ていうか」
そうだなあ。
「正直なところ、お前から『貰えれば』食う必要なんてこれっぽっちも無いのさ」
「そうでした」
トートは、肩を竦めてそれから、少しだけ恥ずかしそうに、視線を逸らした。
「湧水出てるところがあって助かりました、っと」
下着だけを着けて、トートは乾いた布で頭をわしわしと拭いていく。右腕を、それから左腕を。それから。その様を、ディアはじいっと見つめている。そんな視線を、感じた。
「…………」
「何さ」
「え?いや、お前がちっちぇえ時から見てるけど」
もう少し大きくならんかね、とディアは言った。
「大きく?何が?」
「タッパとか、体つきとか、男のブツとか。もぉうちょっと、全般的に逞しくなってほしいもんさね」
「兎だもん。仕方ないじゃん。まだまだこれから」
「言うてそろそろお前の年代的に、そろそろ生き物としての成長の頂点だろ。んまあ別に種を変えろという強請るわけじゃねえし、そういうモンだって割り切るさ。俺としては『貰える』モン貰えりゃ文句無ぇ」
「護司ってそういうとこよくわかんないな」
「結構結構。『前のご主人様』にはそりゃあヒィヒィ言わされたけど、『今のご主人様』はゆったりした行為がお好きなようで何よりだぜ」
がはは、とディアは腕を組んでから笑った。
「ふうん。じゃあその『今のご主人様』と一発なり二発なり」
するのしないのどっちなの、とトートは着たばかりの下着に手をかけて。
「おっ?景気いいねえ。主様から誘ってもらえるなんてなあ。久々」
「そういえば、久しぶりかもね」
「そうそう。ご馳走目の前にして、大興奮だぜ」
「……ディア」
「あんだあ?」
外套を脱ぎ捨てたディアの体躯を月明かりが照らして。とても印術師とは思えない、張りがあり雄々しい肉体。艷やかな毛並みがうっすらと逆立って。待ちきれない、と飛び出しそうな獣の気配がした。
「今日は『循環』させるの?」
「どうすっべかな」
したいのは山々だけどな、と考え込んだ。けど、と続けて。
「お前も俺も疲れてるし、無理にすることもねえだろ。俺はいいけどお前に負担が行くのはあんまり。したけりゃ言え」
「はいはい、今日は止めとく」
「でも正直なところ、してえけどな」
世界には精霊という、実態を持たないものがある。大小様々で、在り方も様々。何かを掌ったり、何かを奉ったり。聞くところによると厳密な階級があるようで、その中でも飛び抜けて力が強くあるとされるのが、神の護り手一番槍。ディア曰く『護司』と称される四つの、神に最も近しい存在だとか言う話である。
但し護司は余りの強さ故、独力では自らの力を律することが不可能であり、そのために自らを何かに宿らせ、御使いのような生き方をせざるを得なかった。
護司の糧は、つながり。肉体的でもいい、精神的でもいい、愛でも好意でも、はたまた憎しみでも構わない。何かのつながりがあれば、護司はこの世に繋ぎ止められる。その目的は個々にまちまちで、トートには、ディアの生きる目的はわからない。
ただ、どんな時もディアが側に居たから、トートはここまで生きてくることができたのであったから、感謝もしているし、繋がりを求められるのであればそれは持ちつ持たれつということで割り切る。これまでずっとそうしてきたから、トートには何の迷いもなかった。
ディアは随分と性技に長けているから、トートは今晩、どれくらい意識を散らすのかはわからない。
ちゅ、とディアは軽く口づけをしてから、主様、と囁いた。
「……都合のいい時だけそういう風に呼んで狡い」
「おっ興奮する?いいねえ、そうこなくっちゃ」
ディアの目が、ぎらりと光って。それから。
「んっ……」
少しだけ乱暴に、くちびるが押し当てられて。口を抉じ開けて、ディアの舌がトートの舌と絡まる。
「でぃ、あっ……」
ディアの身体は、些か熱い。薪に当たっているかのよう。太い腕が背中へと周り、んぐうっ、とディアは唾を飲んだ。一度口を放して。
「やっべえ。ひっさびさだから止まんなくなりそう」
「お手柔らかにって言っても駄目そう」
「加減するって。あんま没頭しちまうと、何かあった時困る」
そうは言うものの、ディアの目は笑ってはいなかった。真剣で、獰猛な、性に飢えた獣の目をしていた。
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