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02. 禁区破り
見渡す限りの荒野に見えるのは、風任せで転がる根無し草の群れだけだ。
帝国南西の砂漠を越えた先に在る禁区を、防具に身を包んだ俺が独り行く。
照り付ける陽光で、汗が噴き出した。
目指すのはナイヘルコーン地下墳墓跡、かつて異教徒が集ったという古代の埋葬所である。
人骨と黴た石材しかない遺跡で、お宝を探すには少々陰欝な場所だが、俺の目的は金じゃない。
願いの護符は、こんな辺境にこそ隠されていよう。
根拠は俺の勘――ロクな記録も存在しないのだから、それで構わない。
微かな地面の震動を察知して、歩む足を止めた。
長剣を腰から抜き、揺れの発生源へ神経を集中させる。
右前方、位置は……近い。
タイミングを見計らいつつ、腰を少し落として膨ら脛に力を篭めた。
細かな揺れが、足元へと差し掛かる。と同時に、俺は後ろへ大きく跳び下がった。
どんぴしゃっ!
俺がいた場所の砂が盛り上がったかと思うと、今度は大きく摺り鉢状に窪む。
その中心点から、続いて黒く鋭い鈎爪が現れた。
猛禽類のくちばしの如き二つの鈎、しかしこいつの正体は顎だ。
ニョキリと生えた鈎の下、砂地の中へ、俺の剣を思い切り突き入れる。
手応えは十分。
暴れる剣を力で押さえ込み、強引に真上へ引き上げた。
飛び散る砂とともに顎の本体が登場し、荒れ地の上で醜く跳ねる。
人の子ほどの大きさをした、焦げ茶色の地虫。意外に硬い多関節の身体をした、この禁区に棲まう魔物の一種だ。
噛まれれば麻痺液を注入され、身動きが取れなくなったところを、長時間かけ溶かされていく。
「大人しくしてろよ……外しちまう」
身体をよじらせて転がる虫へ正対し、狙いを定めた俺は、剣を上段から一気に振り下ろした。
見事、刃は地虫の頭部を刎ね飛ばし、汚い体液が地表を濡らす。
禁区には魔物が付き物であり、一般人は忌避して立ち入らない。
こんな所へ来るのは、調査を任された不幸な帝国官僚か、冒険者くらいのもの。
俺は当然、その後者だった。
ナイヘルコーンの禁区は、まだ随分と楽な方だ。荒れ地にいるのは地虫と砂蛇くらいで、数も少ない。
本番は罠だらけの墳墓内部か。
日が暮れる前に突入したいため、少し歩くスピードを早めて先を急ぐ。
夜になってしまうと、凶悪な黒鳥が群れで飛んでくるので、こう簡単には進めなくなるだろう。
ひたすら南へ直進し、たまに背後の山脈の形を見て針路を修正する。
墳墓の地上部分、五つ並んだ尖塔が蜃気楼さながらに立ち現れた頃、それよりずっと手前に小さな影を認めた。
慌てて地面に伏せ、目を眇める。
人影なのは間違いなかろう。
ふらふらと左右に動いており、どこかへ向かっている風ではない。
影が人の形だからと言って、人間だと考えるのは早計に過ぎる。
人型の魔物ほど厄介な敵はないのだが、魔物にしては動きが奇妙か。
詳細を確かめたければ、近寄ってみるしかあるまい。
匍匐前進するわけにもいかず、やや腰を屈め、剣を抜いた体勢で慎重に進む。
弓なら当てられそうな距離まで来て、相手が杖を持つローブ姿だと分かった。
魔法職っぼいものの、単独行動とは珍しい。そんな無茶をするのは、自分くらいのものと思っていた。
どうも足がふらついているらしく、よたよたと蛇行して歩いていた。
「放っておくのも、後味が悪いか……」
小走りで駆け出し、おいっと声を掛けてみる。
ローブの動きが止まったのと合わせるように、地面が激しく震えた。
マズい、数が多い!
震動は前方から伝わる。地虫たちの狙いはローブの人物だ。
加勢しようと地を蹴った瞬間、人影が青く光った。
無数の棘が、ローブの周りに生え伸びる。
氷の剣山が荒れ地に出現し、棘に貫かれた虫どもは地上へ突き出された。
顎を鳴らして抗う地虫も、串刺しでは如何ともし難く、やがてグニャリと脱力して沈黙する。
奇怪な虫の処刑場を抜けて、俺はローブの前へ進み出た。
「大した魔法だ。怪我でもしてるのか?」
「……お腹が空いた」
幼い声質にギョっとして、頭を覆うフードの中を覗き込む。
俺を見つめ返したのは、澄んだ碧眼の少女だった。
「お前、ここで何をしてた?」
「わからない」
「はっ? 覚えてないのか?」
「うん。何か食べたい」
魔物の巣へ一人で来るのは、冒険者に決まっている。
禁区破り――一獲千金を求めて禁区へ突入を繰り返す者を、世間ではこう呼んだ。
魔導の嵐が吹き荒れた大陸が、仮にも平和を取り戻してから既に五十余年。
帝国は小さな諸邦に分裂し、荒廃を極めた地に人の立ち入れない禁区が生まれる。
触れれば発動する致死性の魔法陣、或いは魔導が産んだ異形の怪物、それら大戦の遺産に対し、人類は未だ衰えたままだ。
だが、遺産には戦火を生き延びた魔道具や、当時の隠し資産だって存在する。
禁区破りが生まれるのも必然で、それを違法だと取り締まる力を、現在の国々は持ち合わせていなかった。
貴重な遺品を回収してくれたと、逆に感謝されるくらいだ。
冒険業を目指す者には、ありがたい時代だと思う。
俺に孤児院より古い記憶は無い。
物心ついた時には院を飛び出し、独力で金を稼いだ。この御時世、そんな人間は大勢いる。
大方、彼女も禁区破りで、魔物か罠に引っ掛かったのだろう。記憶障害を起こすトラップ自体は、俺も耳にしたことがある。
この時代、それ以上詮索しても意味は無い。
「名前は覚えてるか?」
「アイシス」
「いくらお前が優秀でも、夜に一人はキツい。取れる道は二つ。間に合うことを祈って、北へ走るか――」
「あなたについて行く。名前は?」
「あ、ああ。ネーゼルだ。おっと、笑うなよ」
「何を笑うの?」
「大魔道士と一緒の名前だが、知らん誰かが勝手に付けたものだ」
気に入らないのなら、自分で名乗りを変えてもよかった。
しかし、響きを気に入っているので、ネーゼルをそのまま使っている。
「遺跡へ行く途中だが、構わないか?」
「それでいい。あと、食べ物が欲しい」
よっぽど腹が減ってるのか。
あっさり同行を決めたアイシスに驚きつつも、正直、彼女に期待するものがあった。
俺は仲間を作らずにきたものの、禁区の攻略には力不足を感じ始めていたところだ。
強力な魔法の援護があれば、攻略時間を大幅に短縮出来よう。
アイシスがフードを外し、改めて自分の顔を晒す。
輝く銀髪に、思わず息を呑んだ。
「どこの出身か知らんが――」
「黒髪が綺麗」
「あ? 俺の髪かよ。黒なんて普通だろ」
「それに、肉の匂いがする」
「わかったわかった。遺跡に着いたら食事にするから、それまで我慢しろ」
何とも調子の狂う奴だが、実力は確かだ。
どこか浮世絵離れした雰囲気なのは、魔導士の職業病かな。
ナイヘルコーンを踏破するまで、アイシスと組もう――そう考えていた俺は、これが長らく続くパートナーとの出会いだと気づいていなかった。
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