『脱がし屋さん』

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「人に奢ってもらったジュースは美味しいですね」  高いビルの屋上。確かに僕とこの男以外誰もいない。もし、この男に僕の別の顔を学校で晒されたら。百三十円は最初の「タカリ」だったら。これからもっと高額なものを要求されたら。僕はどんなことをしてもその要求を呑むだろう。そんなことを想像するととても怖い。けど、この男はそんなことをしないと思う。僕の直観。 「自分のお金で買ったコーヒーも美味しいよ」  百点満点の返事。小説家きどりの僕にとって。男が急に右手で口元を隠し、言った。 「『脱がし屋』って知ってます?」  僕はその言葉を聞いて、凍り付いた。知らない訳がない。『脱がし屋』は今や時の人的存在だ。僕のメインアカウントでもフォローしている。そして同時に。 (この男が『脱がし屋』の中の人!?)  男が続ける。右手で口元を隠したまま。 「安心してください。僕は『脱がし屋』の中の人じゃありませんよ」  この男は人の心が読めるのか?でもこの『シチュエーション』なら誰だってそう思う。お構いなしで男が続ける。 「『読唇術』ってあるじゃないですか。このビルの屋上に君と僕以外、誰も人がいなくても、周りにはもっと高いビルもありますからね。だから口元を隠してるんです」  そういう慎重さか。そしてこの男は自分があの現代のヒーロー、正義のヒーロー『脱がし屋』ではないと言ったが、僕にはそれが本当だとは思えない。それも僕の直観。そして『シチュエーション』。男がさらに続ける。 「そうですね。君の個人情報をすべて特定して。それで『僕は脱がし屋の中の人じゃありませんよ』って言っても説得力ないですよね。僕は『嘘』が嫌いです。君のもう一つのアカウントもある意味『正直』じゃないですか。ただそれを隠しているだけで。僕もああいうの大好きですから。それに薫君。君は『物書き』の端くれだろ?この状況と僕の言葉から推理するとどうですか?」  そう言って男はコーラを一口ごくり。げっぷ。さらに続ける。口元は隠さない。 「僕がこれを飲み終わるまでがタイムリミットにしましょう」  ごくり。げっぷ。ごくり。げっぷ。そして一気飲み。  僕は思ったままのことを口にした。右手で口元を隠しながら。 「君は『脱がし屋』の中の人じゃないけれど、『脱がし屋』の中の人を知っている」  大きなげっぷをしてから、さっき一度だけ見せた笑顔をもう一度見せる。 「さすがですね。『物書き』さん」  消去法で考えると答えはそれしかない。もっとすごい小説家の先生なら他の答えもたくさんあるんだろう。今の僕にはそれが精一杯。そして今後の展開は全く想像できない。  『脱がし屋』のアカウントは日本が真剣にネットでの誹謗中傷について考えるようになった頃に颯爽と現れた。人は『匿名』と言う名の服を着ている。日本の街中で丸裸になれる人はほとんどいない。当然だ。人が来ている服を公衆の面前で剥ぎ取ることは犯罪行為である。それにネット社会でも『匿名』と言う名の服を脱がすことは容易ではない。お金も時間もかかる。『匿名』と言う名の服を纏った、服に守られた悪意ある人間の言葉はナイフのように人の心を切り裂く。古くはネットの某巨大掲示板。ネットの知識だともっと古くは『トイレの落書き』。『脱がし屋』はそんな人間の『匿名』と言う名の服をどんどん脱がしていった。人を『死』に追いやった悪意ある人間はすべて脱がされた。お金も時間もかからず、すぐに悪意ある人間を『特定』し、『晒す』、『脱がし屋』はまさに現代の『救世主』だった。それでも悪意ある人間は『特定班』と呼ばれ、『脱がし屋』の正体を特定しようとした。けれど『脱がし屋』は未だに誰一人として中の人を特定することは出来ていない。ネットから『誹謗中傷』は『脱がし屋』が有名になると同時に確実に減っていった。それでも『悪意』が消えることはなかった。『物書きの端くれ』である僕でなくても分かる。直接的な言葉を使わなくてもネットで誰かを攻撃することは可能だ。それが『言葉』だ。『死ね』じゃない。『タヒ』だもん。『氏ね』だもん。『脱がし屋』のアカウントは『DM(ダイレクトメッセージ)』を公開している。多くの人が『脱がし屋』に『DM』を送っているらしい。中には逆恨みだとか、誰かを陥れようと『脱がし屋』に『DM』を送る人も多いらしいが、『脱がし屋』はとても正確な判断をする。また『脱がし屋』の『怖さ』は別のところでも分かる。『脱がし屋』アカウントの背景画像は『脱がし屋』アカウントのアクティビティーが貼られている。フォロワー数90万で多くのRTやファボがされるのは当然として。インプレッション、エンゲージメント総数がともに『五億』を超えている。つまり、これは日本の人口以上の数の人が『脱がし屋』に注目しているということである。世界人口が約七十七億だからその数字がどれほどすごいかが分かる。
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