『ダウンタウン』に勝ちたくて

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 親に言われて受験した私立の中学に合格した。その中学校は受験して入学してくるものが全体の四分の一、残りは同じ私立の小学校からエスカレーター式で上がって来た奴だった。仲のよかった小学生時代の友達はみんな公立の中学へ進んだ。雄一は独りぼっちだった。入学してしばらくしてからのこと。同級生たちにいじめられている奴がいた。いじめている集団の人間たちは別に不良みたいな奴らではない。教師の前ではいい子を演じている奴らばかりだった。雄一はある日そいつらにむかって言った。 「かわいそうやん。やめてやれや」  次の日から雄一は誰からも無視されるようになった。いじめを受けていた奴からも無視された。自分の周りの世界がとてもくだらない世界だと思った。それから雄一はよく学校をさぼるようになった。別に同級生たちからの仕打ちが辛いとは全く思わなかった。ただ、同級生たちのことを対等に見ることは出来なくなった。単なる馬鹿の集まり。同級生たちが学校で教科書を開いている時に雄一は図書館でたくさんの本を読んだ。アインシュタインやホーキングを読んで宇宙が好きになった。タイムマシンは光の速さを超えることが出来れば理論的に可能だと言うことを知った。ユングの分析心理学を読んでコンプレックスを理解した。全てのコンプレックスを解消することが不可能であり、コンプレックスがエネルギーを持つ。自分のコンプレックスとの取り組み方を学んだ。情緒的未成熟者が強者と弱者を作り、社会的に本当の加害者と被害者が入れ替わることを学んだ。程よい甘えの器が足ることを知る人間を作ることを知った。人の為と書いて「偽」。人と言う字は支え合っているのではなく両足で立つと言うことを知った。帝王学で知恵を学んだ。 「繊細な神経と言う土地に堂々たる家を建て、雑に生きる」 「中途半端な親切心ほど迷惑なことはない」 「知恵は文化を産み、知識は的確な文明を作る」  人間には宿命と運命があり、前者には命が宿り、後者は命を運ぶ。人の運命は「動より生ず」と弘法大師。宿命と特質を知り、最大限に活用する。宿命は己で選べぬ道であり、運命は自らが行動する道なり。人間は知恵により宿命を運べる。捨ててはならないものが「三業一体」意、口、身。心の働き、口の働き、身の働きが一体であれば信じられる人なり。捨てるものは「三慢」。我勝慢、我等慢、我劣慢。どんな優れた人間でも謙虚さを忘れた振る舞いをすればその能力さえ色あせて見える。自惚れをまったく捨て去っては開花しない。 「謙虚と自惚れは同居すべし。図太さと劣等感は別居すべし」 「三意三情」頑固、意固地、強情。有情、非情、無情。人間には非情の心あり、無情の心は人間にあらず。 「心に十徳の貯えすれば、末代まで遣いきれず」  応用心理学。サブリミナル効果。信憑性と説得効果。スリーパー効果。ひそひそ話と盗み聞きの効果。接種理論。初頭効果。親近効果。反発の効果。緊張解放時の忘却効果。色彩効果。共感。終末残存効果。  雄一は学校のテストでは絶対に出ない知識を頭に詰め込んだ。  自分しか知らないこと。特別な優越感。雄一はある日、本気で死を考えた。 「どんな遺書を書けば笑いがとれるかなあ」  本気でそんなことを考えた。破滅の美しさ。己の命と引き換えに大爆笑と同級生たちに一生心から消せない恐怖と心の傷跡を。それでも雄一は「生」を選んだ。笑いが雄一を「生」に導いた。ダウンタウンが狂気に支配された中学生の鼻っ柱を軽々と叩き折った。松本人志が、浜田雅功が、普通に就職していたら。自分の「生」を全力でぶつけるべき相手を見つけた。それが雄一にとっての「ダウンタウン」だ。  雄一はクラスの中では特に目立たない。何か面白いことを言ったりもしない。注目されるようなこともしない。それでも休み時間に話しかけてくれる奴も何人かいた。雄一はそう言う奴らと普通に接した。音楽の話やクラスの女の話、教師の悪口など。雄一はそう言う奴らに対して「いい奴だな」と思った。そして同じ学年にすごく面白い奴がいると言うことを知った。  平井淳と大西耕平。大西の名前は伸基からも耳にした。実際にはまだその男に会ったことはない。平井は同じクラスだった。確かにこいつは面白い、そう思った。  平井は新米の女教師の授業中にいきなり教壇に向かって歩き、「昇竜拳!」と叫び、昇竜拳を放った。また、現国の教師が名前の由来の話を始めた時。 「五月みどりさんは五月にみどりが映えると言う意味を込めてそう名前をつけたのですよ」 「じゃあ志村けんは?」  爆笑するクラスメイト。こいつはめちゃくちゃ面白い。この男の中ではこの男の笑いの哲学があるのだろう。瞬間的にこの言葉はまず出て来ることはない。現国の教師が五月みどりのくだりを話している短時間の間にこう言えば笑いが取れると頭の中でシュミレーションしたのだろう。しかもそれを平然とクラス全員の前で言える、ボケることが出来るメンタルの持ち主。平井が笑いをとるたびに雄一は敗北感と学習を繰り返した。こいつの笑いも自分のものにする。そして飲み込む。計算された笑いなら俺は負けない、雄一は平井の笑いに対して心をぎらつかせた。 「おおにっちゃん?めっちゃオモロイぞ。平井の名前は俺も聞くなあ。この学年ならこの二人が抜けてるなあ。笑いをとろうとしてる奴は結構多いけどやっぱりこの二人やなあ」  笑いで人を褒めたことがなかった伸基が認める二人。そんな奴が普通にいる。この世界は本当に面白い。 「昨日帰ってから『大洋―ヤクルト』のビデオ見たぞ」  美術室に三人で集まり、弁当を食べながら伸基が言った。 「お前はちんぽを勃てる前に俺を立てろよ。それより『テレビ顔射』やった?」  キャスターを吸いながら雄一が言う。 「あれな…、精子ってものすごいスピードで垂れるんやなあ。確かに慎重にタイミングも合わせたけど、その後は想定外やったわ。めっちゃ焦ったわ」 「モッキーは?」 「めっちゃよかったけど…、親に申し訳ない気持ちでいっぱいやわ」 「お前らも大人の階段をまた一段昇ったわけや。ええやん。シンデレラやん」 「まあ、俺は『エロ本顔射』にしとくわ。それより、電気のテープも一本だけ聞いた。あれはオモロイ。めちゃくちゃオモロイ」 「テープは山ほどあるし、今も毎週やってるからな。あれは全部百回は聞けよ」 「俺も聞いたで。おもろかった」 「モッキーは逆にお役に立ってないんやからお詫びにちんぽ勃てとけよ」 「上手く言うな。上手く」  モッキーがモッキーなりのツッコミを見せる。弁当も食べ終わり、まだ昼休みは時間もある。雄一が二人にむかって言った。 「本木新名のネタが見たいな」  雄一のいきなりの言葉に二人が顔を向き合わせる。 「ええぞ」  伸基が雄一を見ながら言った。机をいくつかずらしてスペースを作る伸基。 「お前もやれよ」  そう言われてモッキーも机を動かす。 「えー、久しぶりやん。やれるかなあ」 「セリフは覚えとるやろなあ?」 「そら何回もやったやつやから覚えとるけど」  にやにやしながらそのやりとりを見つめる雄一。伸基が作ったネタ。考えただけでワクワクする。伸基とモッキーの二人がひそひそと簡単な打ち合わせをしてからお客さん、雄一を意識しながらネタを始める。 「本木新名のショートコント。うんこをする達川選手」  そう言って伸基がその場から少し離れてから中央に向かってお尻を抑えながら歩いてくる。 「あ、あ、漏れる。漏れる」 「あ!キャッチャーの達川さんだ!」  トイレのドアを開けて和式便所にしゃがみこむ動作をする伸基。 「ああ…」  そう言いながら左手でキャッチャーミットを構える仕草をする。 「うわ!構えてる!」  そして薄目になりながら右手を股間に持っていきサインを出す仕草。 「サイン出してるよ!サイン!」  そしてボールを捕った仕草と同時に 「ブリブリ!んあ…。カラカラカラ」  トイレットペーパーを両手で巻き取る仕草をしてからケツを拭く伸基。 「ついてない…。最高のキレだ」 「どっちのキレやねん!」  そして紙をそのままピッチャーに投げる伸基。 「いや!投げたら汚い!汚い!」 「しかしこれではせっかくつけたウォッシュレットも無駄になるなあ」 「なんで和式でウォッシュレットやねん!もうええわ!」 「と、まあこんな感じや」  少し照れくさそうに伸基がたった一人のお客さんである雄一にむかって言った。 「おもろいやん!」 「まあな!」  大きな声で自信に溢れた表情で伸基が言う。 「覚えとるもんやなあ。それでもやっぱ緊張したわ」  モッキーがホッとした表情で言う。 「他には?」  雄一の言葉に二人が急いでそれぞれの立ち位置に戻る。 「本木新名のショートコント。隣の酔っぱらいサラリーマン」 「たまには一人で飲むのもええなあ。それにしても後ろのサラリーマンの団体の酔っぱらい、うるさいなあ」 「ところでさあ、あれなんやったっけ?ラーメン大好き…。なんやったっけ?ラーメン大好き…。なんやったっけ?」 (小声で)「小池さん」 「ラーメン大好き…。あれ、なんやったっけ?ラーメン大好き………。なんやったっけな?あれ」 (小声で)「小池!小池!こーいーけ!」 「ラーメン大好き………。あれ?なんやったっけ?なんやったっけ?」 (我慢しきれずサラリーマンに向かって)「こいけーーー!!!」  しばらく見つめ合ってモッキーに背を向けながら伸基が言う。 「ところでさあ」  伸基の胸倉を掴んで揺らしながらモッキーが叫ぶ。 「こいけーー!!こいけーー!!こ・い・け!!」 「続きまして。奥田民生で愛のために」  ギターを弾く仕草をしながら 「隣の席では剥けた男がー、散々絡んで真性わーらーうー」 「包茎か!」  しかも伸基の右手はギターを弾いてなく、ちんぽをしごいている。雄一の顔が笑いで緩む。 「オモロイオモロイ。オモロイやん。これ全部伸基が考えたん?」 「そやで」 「隣の酔っぱらいはシリーズいけるな。結構広げられるで」 「俺もそれは考えてた」 「愛のためにはダジャレやな」 「おもろかったらええんじゃ!」 「散々絡んで人生語る…。満貫あがって人生語る…」 「麻雀か!」 「それにしてもモッキー。思ってたよりツッコミ上手いなあ。うん。かなり上手いで」 「ホンマに?」 「本木新名は何年やってたの?」 「人前でやったのは中三の文化祭の時だけ。組んだのもその時。まあ、付き合いは小学校の頃からやけどな。コンビ歴なら半年か」 「ネタもその時に考えたん?」 「そやなあ。本格的に書いたのはその時が初めてや。それがこのネタや」 「すごいな。初めてであれだけのネタが書けるのもすごいし、モッキーのツッコミがかなりええな。伸基がボケてるけど、伸基は基本的にツッコミやろ?」 「両方いけるわい」 「俺はボケしか出来んしなあ。二人ツッコミが出来るのは大きいな。それにしてもモッキー。ホンマすごいわ」 「いや、死ぬほど練習させられたし。やらんとこいつめっちゃ怒るし」 「やかましい!」  そう言ってモッキーの脇腹に伸基が拳を入れる。 「隣の酔っぱらいは俺、ちょっと考えるわ。ええやろ?」 「それは構わんけど」 「あとはネタをドンドン作ってそれを磨いていこう。それから笑いを毎日勉強していこう。『バスガス爆発』はドンドン強くなっていこう」 「それはええんやけど場所はどうする?」 「場所?」 「そう。俺らも中学の時は文化祭でのステージ一回きりやった。客がおらな『バスガス爆発』は披露できんぞ。そんなんクラスの中でやってもそれは舞台ではないぞ。客ではない。身内はおもんなくても笑ってくれる。分かるやろ?」 「ああ、そう言う意味の場所ね。そんなん腐るほどあるから」 「ホンマか?お前、そういうコネとかあるんか?」 「何なら明日やるか?よし、明日やろう。明日が『バスガス爆発』の実戦デビューや」 「明日!?」 「え!明日やるん?」  伸基とモッキーがビックリしながら雄一に問いただす。 「その気になればいくらでも舞台はある。毎日でも立てる。とりあえず明日の放課後、伸基の部活が終わってからや」 「ネタ合わせとか全然してないぞ」 「そんなもんしたら意味がない。とにかく明日。明日な」  雄一は吸い終わった煙草の吸殻を水で湿らせながら二人にむかって言った。  その日の夜も三人で雄一の家に集まった。  モッキーも加えて三人で隣の酔っぱらいネタの別バージョンをいろいろと考えた。 「これは隣の酔っぱらいのサラリーマンの集団がボケ、その後ろのカウンターで一人で飲んでいる奴がツッコミや。ボケにツッコみたくなるくだらないことを言わせればええ訳や。考えてみよ」 「よっしゃ、じゃあ三十分。それぞれ考えてみよか」  伸基の言葉で三人がそれぞれ黙り込みいろんな方向を向いてメモ用紙にペンを走らせた。その間にまた雄一の母親が昨日と同じように菓子とジュースを部屋に運んできた。雄一が母親と雑言の言い合いをするのがまた面白い。ダウンタウンのごっつええ感じのおかんとマー君さながらのリアルな言い合い。これを形にしたダウンタウンは本当にすごい。  そして三十分後。 「はい、しゅうりょおー。時間でーす」  雄一の声で二人が息を吐きながら顔を上げる。 「じゃあ、初のネタ作りに挑戦したモッキーのから見てみよ」 「ごめん…。なんも浮かばんかった…」 「伸基、モッキーのジュース取り上げてー」  伸基がモッキーのジュースを一気飲みしてからモッキーの頭をしばく。 「こんなん俺には無理やわ…」 「まあ最初はみんなそうやから。モッキーはツッコミが出来ればええから。あとは考えようとするのが大事やと思う。ボケれるツッコミは強いで」 「次は俺か?雄一か?」 「じゃんけんで決めよか」 「おお。ええで」 「ほなやろか。スローモーションじゃんけん!」  そう言って雄一が振り上げた右手をものすごくゆっくりと止まってるんじゃないかと言うスピードで下ろし始めた。それを見て伸基もすぐにそれに対応して同じようにゆっくりと右手を下ろし始める。そして雄一がゆっくりと右手をチョキにしようとすると伸基がこれまたそれに合わせるようにゆっくりと右手をグーにしようとする。それを見て雄一がパーにしようとすると伸基がチョキに。エンドレスでその繰り返し。それを笑いながら見ているモッキー。そして伸基が一言。 「はよツッコめや!」 「え?俺?」  ニコニコしながらモッキー。伸基が容赦なくモッキーの額をしばく。 「もうええわ。きりがないからちゃんとやろ。普通に。じゃんけん!」  そしてまたゆっくりと右手を下ろし始める二人。この天丼にさすがにモッキーもツッコむ。 「もうええから!」  結局、雄一からネタを披露する。動きも入れずに淡々とメモ用紙に書かれたセリフを読み上げる。 「SMAPええなあ。SMAP。あれ、SMAPってなんの略やったっけ?Sは…、スポーツ!Mは…ミュージック!Aは…あずま!」  それを聞いて二人が声を出して笑う。 「あずまってなんやねん!くそ!それ、中学の時にやりたかったわ」  伸基が悔しそうに言う。 「じゃあ最後は伸基に締めてもらおうか」  雄一の言葉に伸基が自信を持った表情で同じように読み上げる。 「じーだいはー、おーくせんまんのー、むなさわーぎー。(おーくせんまん、おーくせんまん)まばゆいぐらいにエキゾチック、エキゾチーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーック、ジパングッ!」 「いやジャパンやろ!」  思わずモッキーと雄一は同時にツッコんでしまった。 「それ、オモロイ!はい景品」  雄一はそう言って未開封のキャスターを伸基に手渡そうとする。 「高校球児にそれはやめろ!」 「俺な、もう一本考えたんよ」  雄一の言葉に二人が身を乗り出す。 「お、さすがやね。ほな聞こか」 「二本も作るとはすごいなあ」 「いくで。じゃあとりあえず飲み物から注文とるよー。生の人―。ゴムの人―」 「下ネタかよ!」 「でもオモロイわ」  一人で黙々とネタを、台本を書いていた頃より全然楽しい。雄一は相方と作る笑いの楽しさを感じていた。友達だけど友達ではない。友達以上。笑いを通して自分を理解してくれることの喜びを感じていた。最高だ。 「新名さんに本木さん。ご飯用意したから食べていきなさい」  雄一の母親が盛り上がる三人の空間に入って来てそう言った。 「いや、そこまで…」  遠慮する伸基に雄一が言う。 「ええから、ええから。うちのおかあはんはおせっかいが趣味やから。食うてけよ」  そして三人で食卓に向かう。テーブルの上にはたくさん盛られた唐揚げを中心にサラダや小鉢が。 「そこに二人座って。今、箸を持っていくから」  そう言って雄一は伸基に箸を、モッキーにスプーンを手渡す。 「なんで俺だけスプーンやねん!」 「雄一!そんな嫌がらせみたいなことしたらあかん!」  そう言う母親にむかって雄一が言う。 「ちゃうから。モッキーは中学までアメリカで住んでたんよ。だから箸が今はまだ上手く使えんのや」 「ええ!そうなん?本木さん」 「いやいや!違います!ずっと日本です!地元です!」  おいしいところは全部持っていく。ボケれるところはボケ倒す。それに伸基がかぶせて来る。 「いや、本木君はちょっと虚言壁があるんです。本当は箸を使うのが苦手なんです。それと白米は牛乳と砂糖をかけないと食べられないんです」 「そんなん食べられへんわ」  笑いながらモッキーが言う。  そしてまた雄一と母親で二人を外まで見送る。 「また明日な」  チャリンコに乗って二人が消えていく。 「おかあはん。あの二人、僕の大事な友達やねん。これからも大事にしたってや」 「そうか。わかった。ほな、家に入ろうか」  雄一の母親は雄一の中学時代のことを知らない。それでも息子の異変に気が付かないような人でもない。雄一の母親はどこまでも厳しく、そして優しかった。
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