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風俗店の朝はタオルの納入から始まる。それは閉店後に店の外に出しておいた膨大な使用済みのタオルをタオル業者が早朝に新しいものと交換しているのでそれを各部屋に手配することである。タオル業者は大体の店が同じ業者を使っているのでタオルの数でその店の入客数がある程度分かってしまう。健太は多少値段が高くなってしまうが他の店とは別の業者にタオルの納入をお願いしていた。それほど客が入っていることが目立つことはリスクが高かった。目立つ店は同業者が警察にチクる。
それが終わると日計表を準備し、女たちの出勤や予約状況を確認し、その日のチケットセンターの割引チケットを用意しチケットセンターの係員に指示を出す。出勤する女には予約が入っていればそれを前日に必ず伝える。予約を飛ばすようなことはさせない。銀行で釣銭の両替やら。それから開店の細かい準備をして店を開ける。もちろん、店長の健太はそんな仕事などやらない。全て下の従業員たちにやらせている。パンナコッタは池袋の店のため開店は遅めの十一時だ。新宿の店なら早朝、人妻専門店でも遅くとも十時には大体の店が開店するがここ池袋は勝手が違った。そして店長である健太が店に現れるのは大体毎日昼の二時過ぎくらいだった。
健太は店に来ても現場の仕事はほとんどやらなかった。よっぽど人手が足りない時は受付に入ったりするがそうでもない時は店には出たり入ったりだった。健太の主な仕事は雑誌の取材の打ち合わせや広告関係の打ち合わせ、女の面接関係。あとは上手く店をコントロールして入客数を一人でも多くすることだった。そのため横の繋がりで様々な情報を集めることも大事な仕事の一つだった。
「中田さん」
健太がいつものように店を出てぶらついていると背後から聞き慣れた声が聞こえた。振り返るとそこに同業者の鎌田の姿があった。
「どうですか。お店の方は」
「今日は、今日もですけど伸びてないですね」
健太が答える。いつもの決まり文句だ。
鎌田。パンナコッタと同様に池袋東口のイメクラ、プリティキャッツの店長をしている。場所が近いこともあり健太は顔見知りで会えばよく話をしていた。
「新規も伸びてないですからねえ。早くゴールデンウィークになって欲しいですよ」
鎌田がはき捨てるように言いながら、煙草に火を点ける。健太もそれに倣いパーラメントを取り出しおもむろに咥える。ポケットに手を突っ込んだまま咥え煙草で吸う。
「そう言えば聞きました?月間の話」
鎌田の言葉に健太は敏感に反応するふりをする。その情報はすでに掴んでいた。月間とは警察の取り締まり強化月間のことである。
「え、今月ですか?」
今初めて知ったフリを健太はする。
「来月って話です。生活安全課の坂本が張り切ってるみたいですね。噂では本庁との合同って話ですよ」
「本庁も動いてるんですか?」
「もう、内偵も入ってるみたいですからターゲットは決まってるんじゃないですかね。一発逮捕もありえますよ」
鎌田はそう言って二本目の煙草に火を点ける。
「今年は特にうるさいですね、池袋は」
「まあ、坂本も定年が近いですから。あいつはこれが生きがいですからね」
池袋署生活安全課の坂本と言えば池袋で風俗に携わる者なら知らない者はいないと言われるうるさ型の刑事だ。健太も坂本とはいろいろあった。過去にパンナコッタにガサ入れがあった時はいち早く情報をキャッチし、店のカギを寸でのところでかけた。坂本にドアをドンドン叩かれながら高木の名を叫び続けられたこともあった。パンナコッタとは別の店で健太はすでに「警告」も受けていたし、「始末書」も書いてある。留置所にも一度入れられている。俗に言う『二十日拘留』。
警察は無許可店を取り締まる際にまず、「警告」と言う形で「誰で逮捕状を取るか」を決定する。いきなり逮捕は出来ない。逮捕状が取れないからだ。店に警察が来て「ここは風俗の営業が禁止されているエリアだから」と後日、始末書を書きに来させる。始末書には嘘は書けない。本名も住所も全て書かされる。始末書を書いてしまえばその書いた人間で逮捕状が出る。風営法違反で逮捕されれば二回目までは留置所で二十日拘留される。三回目は拘置所だ。四つん這いになってケツの穴まで見られる例のあれだ。拘置所になると二十日では済まない。三か月ぶち込まれる。内定でとことん調べられて逮捕状が出れば一発逮捕もある。
「あ、そうだ中田さん」
鎌田が三本目の煙草に火を点けながら言った。よく見ると鎌田は煙草を二口か三口吸うだけで捨てている。いつものことだ。
「この間うちに面接で来た女なんですが。ちょっと折り合いがつかなくてうちでは取らなかったんですが、よかったらそっちに回しましょうか?」
「せっかくですけど、鎌田さんところで折り合いがつかないんでしたらうちでも厳しいと思いますよ」
「いや、給料とかの問題じゃないんですよ。ちょっと性格的に問題がありまして。まあ、よかったらでいいんで」
「じゃあ今度紹介してもらっていいですか。うちも女子は多い方ではないんで助かります」
パンナコッタの部屋数は六。早番、遅番含めても出勤など十五人もいればだいたい部屋は埋まる。当然それ以上の出勤希望の女はいる。在籍は有り余っている。当然女のレベルで指名も取れない使えない女は出勤に規制をかける。そんな状態でも新人は欲しい。レベルの高い女が必然的に揃っていく。
「じゃあ今度電話入れますよ」
鎌田はそう言って新しい煙草を取り出そうとしたが空だったため空き箱を握りつぶし道端に放り投げた。健太がパーラメントを差し出すと軽く頭を下げ、手を伸ばした。それと同時に鎌田の携帯がけたたましく鳴ったので鎌田は忙しそうに煙草に火を点け、携帯を握り締めながら「じゃあ、今度電話入れますから」、そう言って健太に背を向けて歩き出した。健太は軽く手を上げてそれに応えた。もう月間の話はそうとう広まっている。あのすっとろい鎌田の耳にまで入っているのだから。健太は新しいパーラメントを咥え、火を点け、両手をポケットに突っ込み歩き出す。
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