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翌日、いつもの時間に店に顔を出す。店に入ると風俗店独特の湿った空気が体を包み込む。ハコヘル独特のもんもんとした匂いと湿気。それは店が動いている証だった。
今日は原が休みの日だ。パンナコッタは健太を含め五人の従業員で運営している。山田、鈴木、小林。原以外のそれぞれの本名はもちろん知っている。身分証のコピーから実家の連絡先、住所まで把握している。全て握っている。現場はだいたい二人体制。早番、遅番、通し。間に順番に休憩を一時間だけとらす。パンナコッタの従業員は原以外優秀だった。風俗店の従業員で優秀とは「時間、金、女」。その三つのうちどれかがルーズだとその人間は信用できない。時間を守れない人間、金に手を出す人間、女に手を出す人間。健太はそういう人間は全て切ってきた。遅刻をした人間はその場で解雇。金に手を出した人間はしっかりと金を回収してから解雇。女に手を出した人間は女と一緒にたいがい飛んでしまう。中には見つかってボコボコにされる人間もいれば金できっちりけじめを取らされる人間もいる。金を借りさせるところはいくらでも知っている。もちろん親を呼び出し、事情を話し、回収することもあった。親には店の中にまでちゃんと来させる。店の外でとお願いされるがそんな願いなど一切聞かない。お前のバカ息子は風俗店の店員でこういう環境で働いている、そんな残酷な現実をしっかりと見させる。恨みなど、どれだけの人間から買っているか。健太はまったく気にはしなかった。
健太は唯一、原だけは信用していなかった。仕事は出来る人間だったが原は女と親しすぎる。それだけは気にしていた。
「おはようございます」
山田と鈴木が同時に挨拶をしてくる。小林は休憩に出ている。いつもの様に数字を確認する。月曜のこの時間にしてはまずまずの数字だ。予約もロングコースがかなり入っている。
「じゃあ、俺は待合室でいるから何かあれば呼んでくれ」
そう言って健太は客の待合室に向かった。
待合室には二人の客がソファーに座っていた。煙草を吸いながら雑誌や漫画を読んでいる。二人の客はじろりと健太に目をやり、すぐに手にしている雑誌に目を戻した。ソファーの端に座り煙草に火を点ける。
パンナコッタ。完全夜這いイメクラ。実際にプレイが始まるまでに客と女は一切顔を合わせない。客は最初にシャワーに案内されて貴重品を防水の袋に入れ、服を脱ぎシャワーを浴びる。イソジンでうがいをし、備え付けられたボディソープで体をしっかりと洗う。グリンスでペニスやアナルもしっかりと洗う。タオルを腰に巻き、貴重品と脱いだ衣服を入れた籠を持って従業員に渡された番号のルームへ移動する。ルームの扉を開けるとそこにはアイマスクをして耳栓をしたまま舌を出した女が自分の好みの待ちポーズで待っている。コスチュームも待ちポーズも客が選べる。四つん這い、M字開脚、スタンダード。女は耳栓をしているため、客の気配が全く分からないシステムだ。オプションでオナニーしながら待つ女もいる。客はそのまま眺めてもいい。本番以外何をしてもいい。客が女に触れた瞬間、女は必ず大袈裟に反応する。そして、アイマスクをした女の口に舐めさせたい部分を押し付ければ女はそれを延々と舐め続ける。足の指を口にあてがえば足の指を舐め続ける。アナルを押し付ければアナルを女は舐め続ける。客は自分の好きなプレイが出来る。それがうけている。サービスにはずれがない。このシステムではずれは基本ありえない。それがパンナコッタだった。
三十分一万二千円、四十五分一万五千円、六十分一万八千円。入会金二千円。指名料二千円。強気な値段設定だ。入会金と指名料は割引チケットで無料にしてやる。あとは基本的に時間帯で割引はする。午前中なら三十分九千円。夜には割引など必要ない。
女からは稼ぎの一割を雑費として上限三千円まではとるので一人当たりの店に落ちる金、客単価は八千円を超えていた。雑費をとらない店はありえない。雑費だけで男子スタッフの日給が出る。この客単価は他店よりもはるかに高かった。安い店では三十分四千円から遊べる店もあった。激安店はそういう店に任せておけばいい。うちはうちだ。事実、客は入った。それでもパンナコッタのやり方をそのままパクるような店はなかった。それぞれの店が独自のやり方で勝負していた。
この業界は意外と天才が多い。健太も都内のお店のことは大体把握していたが、繁盛店とそうでない店は大体分かる。
一番楽なのはライバル店のいないエリアでやっている店。普通のシステムで普通の女を揃えれば多少強気の値段でも客は入る。
繁華街の激戦区、ここ池袋などでは斬新なアイデアのある店。レベルの高い女のそろえた店。サービスのハズレがない店、つまり女の教育がしっかりとしている店。本番店。中には「ペニバン二千円」と言うオプションを謳った店もあった。男がペニスバンドをつける?何の意味があるのだ?と一瞬考えるが意味はすぐに分かる。「本番していい」と言う意味のオプションである。
レイプイメクラや痴漢指名、特注で作ったのか透明な和式便器を作ったリアルなおしっこ専門店まである。そういう店は繁盛している。三十分九千円で若い女が必ずアナルを舐める店、ルームにマンションを借りてワンルームまるまるがプレイルームのマンションヘルス、マンヘルはサービス濃厚な人妻店が多く、客も殺到していた。もちろん若い娘の店のマンヘルもある。池袋には風俗マンションは山ほどあった。
健太はプレイ後のアンケートを徹底して回収した。アンケートを書いてくれる客には千円キャッシュバックをした。これを徹底している店は強い。アンケートが悪い女には客はつけない。例え客が来て、女がその女しか空いていなくてもその女には客はつけない。もちろんそういう女には出勤制限もがっつりかける。そして自分から辞めていくのを待つ。客は本音をしっかりと書いてくれるものだ。サービスや態度が悪ければ二度と来ないと普通に書く。この仕事を舐めている女は多い。客は高い金を払う。店も女には平等に仕事をした分の給料を払う。極上のサービスにも手抜きのサービスにも同じ給料が発生する。そこは一番に抑えておくべきところだ。
新規の客は大事だ。そして客のリピート率はもっと大事だ。出来る女は自分に客を戻し、それが出来ない女でも店に客を戻す。それが出来ない女はどんどん切る。それが健太の考え、風俗哲学の全てだった。
待合室で煙草を吸っている間に客は何人も出入りしてくる。若者、中年、老人、真面目なサラリーマン風、小汚い浮浪者みたいなやつ、風俗には興味なさそうなインテリっぽいやつ、何度も見る顔。馴れ馴れしく同じ常連客だと思って話しかけてくるやつもいる。渡されたナンバープレートの数字を呼ばれて
「じゃあ、お先に」
健太は笑顔で見送る。
健太はよく待合室で時間を過ごす。時間はプロ野球の中継がある時間帯。待合室のテレビで好きでもないジャイアンツの試合をよく見ていた。高校野球のシーズンになるとほぼ試合のある時間帯は待合室で過ごした。待合室が込み合うときは受付の裏の個室のテレビで従業員と一緒に見ることもよくあった。パンナコッタの従業員は全員が野球好きだった。特に高校野球のシーズンになるとよく「優勝校をいくらかで握りませんか」と言われる。健太はそれには絶対に乗らなかった。
プロはファンから金をもらっているからどんなに批判してもいいが、高校野球は試合を見させていただいていると言う気持ちを常に持っていた。高校野球を侮辱するようなことは絶対にしたくなかった。
そもそも高校野球の勝敗など予想すること自体ナンセンスだ。
高校野球は強いチームが勝つのではなく、弱いチームが負ける。
単純にそれだけだ。
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