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「やっぱり……バレてましたか。苦手なんですよね、アルペジオ。だからこうして、毎日こんな時間まで弾いてるんですけど」
窓の外に視線を向ける。外の景色なんて全く見えないほど暗くなっていた。
「アルペジオってのはさ、零れた涙を拾ってやるのと同じなんだ」
不意に、仁志先輩の口から落ちたその言葉は、以前兄が言っていた言葉そのものだった。
「あの、それ」
「部長の口癖。俺も弾き始めた頃、アルペジオが苦手でさぁ、いっつも誤魔化しながら弾いてたんだよ。だけどその時部長に怒られたんだ。涙は一粒一粒、優しく拾うもんだろって」
「一粒一粒……優しく」
「そう、適当に誤魔化しちゃだめ。涙を拾うように、大切に。ストロークを優しく。つまり、手首に力を入れちゃだめってこと」
言われて、ピックを握る右手をぷらぷらと振った。力を入れず、一粒一粒大切に。優しく弾くことに集中しながら、ピックを弦に当てる。
「あ……」
なんとなく────粒が。
「うん、そう。そんな感じ。どう? 一音ずつ弾くのってさ、地味だけど、届く感じがするっしょ?」
仁志先輩の目尻が下がって、瞳の奥は切なげに揺れた。その真意が胸に刺さる。
「はい……届けられる、気がします」
兄の、心に。
僕たちの願いを。
僕たちの涙を。
この音の粒子に乗せて、届けられる気がする。
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