人魚姫の恋人

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 高校生当時、私には好きな男子がいた。入学式の時、一目ぼれをしたのだ。彼は背が高く、笑顔が素敵だった。式が始まる少し前、パイプ椅子に座って同級生と笑いあっている彼の顔を見た途端、私の周囲から音が消えた。彼を見た瞬間、視界には彼だけが捉えられた。周囲の風景が霞んで見えた。  こんなことはドラマか漫画の中でしか起こらないと思っていたが、彼が同じクラスだと分かった時、これからの高校生活はきっと薔薇色になると思っていた。思っていたはずだった。  しかし、現実はそう上手くは運ばない。    事件は夏に起きた。  高校一年の夏休み、クラスの十人くらいで海に行った。そのメンバーに片思いの彼もいた。彼はバスケ部に所属していて、一年生からレギュラー候補で、クラスでも目立つ存在。私は明らかに人数合わせで呼ばれていたが、そんなことはどうでも良い。彼と話ができるかもしれない。素敵な思い出ができるかもしれない。頭の中で色々と考えて、前日はなかなか眠れなかった。  電車を乗り継いだところに、その海はあった。  夏休みの海は混んでいた。楽しそうな家族連れがビーチパラソルを立てている。お互いしか見えていないカップルもいる。波打ち際ではしゃぐ子供達は、砂浜にいる母親に向かって必死に手を振っていた。  その中に私たちも混ざった。  私はずっと片思いの彼を目で追いかけていた。楽しそうにビーチバレーをしている姿、砂浜で男子とじゃれあっている姿、どれも学校で見る彼の姿とは違って新鮮だった。  しばらく砂浜で遊んだ彼は一人で沖合まで泳ぎだした。私も持って来た浮き輪つけて、こっそりと彼の後を泳いだ。気づいて欲しいけれど、気づかれないほどの距離を取った。  この海水浴場は、少し泳ぐと数か所の岩場がある。彼はそこに向かって泳いでいるようだった。  五分ほどたった頃だろうか、彼の様子がおかしいと気が付いた。動きがおかしい。あれは……溺れている。きっと足が攣ったのだろう。助けなければと周囲を見渡すが、誰も気がついている人はいない。その間にも、彼は水面でもがいていた。助けを呼びに戻る時間はなかった。  私は浮き輪を放り出し、急いで彼に近づいた。運よく、岩場までは数メートルの距離だった。  意識がもうろうとしている彼の背後に回り、しっかりと両腕を掴んで岩場まで運んだ。岩場は思った以上にゴツゴツとしていた。彼を傷つけないようにと岩に登り、そっと身体を引き上げる。そのせいで、私の足は傷だらけになった。    とりあえず、彼を比較的平らな岩場に寝かせた。これからどうしようかと思っていると、彼を探す声が聞こえた。  声の主は一緒に来たクラスの女子だった。一人用のビニールボートでこちらに向かって来ている。    私は思わず岩場の反対側に隠れてしまった。見つかれば、彼の後をつけて泳いでいたとバレてしまう。何を言われるか分からない。  彼を探していた女子は、岩場で倒れている彼を見つけて、大声で叫んだ。 「大変よ、誰か来て」  声に気が付いたクラスの男子たちが、こちらを向いた。彼女はゴムボートで岩場まで近づき、必死に彼の名前を呼んだ。  私はその場所にいられなくなり、こっそりと岩場を離れた。持ち主を失った浮き輪が、海の上を漂っている。浮き輪を手に持ち、浜辺まで戻った。傷だらけの足に海水が沁みて、刺さるように痛かった。  それから、男子たちの手によって砂浜まで戻ってきた彼は、意識を取り戻した。彼はゴムボートに乗っていた彼女に言った。 「助けてくれてありがとう。俺、足が攣ったみたいで。キミが岩場まで運んでくれたの? 誰かが運んでくれているなと、うっすらとは覚えているんだ」 「え、う、うん。何とか一人でね。大変だったけれど、無事でよかった」 「ホント、ありがとう。命の恩人だ」 「そんな。大袈裟だよぉ。私は当然のことをしただけだよ」  楽しそうに話す二人の会話を聞きながら、私は傷だらけになった足を眺めた。彼が無事で良かったと、自分の足に言い聞かせた。    帰り道。 「あれ、足どうしたの?」  傷だらけになっている足を見て、彼が尋ねた。 「あ、あの……岩場で……」  それだけ言うのが精いっぱいだった。彼は鞄から絆創膏を取り出した。 「これ、気休めにしかならないけれど」 「あ、ありがとう」  やっと言えたセリフは、それだけだった。彼にもらった絆創膏は、握りしめたせいでぐしゃぐしゃになっていた。  彼はその後、助けた(ということになった)女子と付き合い始めた。彼が楽しいのなら、それで良かったんだと自分を納得させたが、卒業をするまで二人の幸せな姿を見せつけられた。  私の高校生活は薔薇色とは程遠く、泡のように消えていった。
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