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「上におるんやないの」
鼻をつまみながら、小久保が告げる。
「階段はまだゴミ少ないし、登れるんちゃう」
「行けっていうんですか」
「せやから、それしかないんやて」
「嫌だぁ……」
ぶつぶつと文句を言いながらも、松田は階段に脚をかけた。小久保の言う通り、階段にゴミは少ない。紙くずやら小さな弁当箱の破片やらティッシュゴミやらは散らばっているが、大きなゴミはなかった。積んであったのが、下に全部転がり落ちてしまっただけなのかもしれないが。
ゴミを避けつつ、二階へ上がる。すると、まるで松田を導くようにもう一度物音がした。奥の部屋だ。積み上がった新聞紙の山を崩さないように気をつけながら、洋室だったと思われる奥の部屋に近づいていくことにする。
「坂口さん!」
そして、ついに家主を見つけるに至った。ぷん、と強い排泄物の匂いが漂う。坂口はゴミに埋もれるようにして倒れていた。――奇妙なことに、漬物を漬けるような茶色の壷を抱きしめて。
「坂口さん、坂口さん!しっかりしてください、坂口さん!」
明らかに、目の焦点があっていない。誰かが家に侵入してきたことにも気づいていない様子だった。声をかけ、手を伸ばしかけて思いとどまる。よくドラマやアニメでは、気絶しているっぽい人の体を揺さぶって起こそうとしたりするが――あれはかえって病気を悪化させる可能性もあるのではなかっただろうか。
ひたすら声をかけるしかない。こういう時どういう応急手当をするべきなんだろうか。
「お、俺、救急車呼ぶわ!」
慌てて携帯を取り出す小久保だが、すぐに舌打ちした。どうやら家の中の電波が極めて悪かったらしい。すまん、と一言言ってそのまま部屋の外に出て行く。多分、家の外まで行けば繋がると考えたからだろう。
自分はこのままついていなければいけない。しかし、何をするのが適切なのかもわからない。松田が焦り始めた、その時だ。
「あ、お……ごぼっ!」
げほ、と。坂口が血を吐いた。そして、苦しげにびくびくと体を震わせながらも状態を起こそうとする。
「さ、坂口さんダメですよ、動いたりしたら……!」
松田は止めたが、彼は聞く耳を持たなかった。近くに広げたままにしてあった新聞紙の上に、自分の血で大きく何かを描き始める。
ぐるんぐるんと、繋がる二つ輪――数字の“8”だった。
「八……?」
それがどうかしたんですか、と尋ねようとした松田の前で異変が起きた。ボキ、という大きな音とともに、老人の左足があらぬ方向に曲がったのである。
「ぐ、ぎぎぎぎ、ぎぎぎぎぎ!」
続けて右足がピンと伸び、足首からぐしゃぐしゃと畳まれるように“潰され”始めた。
「ひ、ひいいい!?」
一体何が起きているというのか。悲鳴を上げ、思わず尻餅をつく。不可視の力が働いているとしか思えない。目の前で、一人の人間の足がボキボキと骨を砕かれ、肉を潰され、ミンチと化していくのだから。
「く、る」
そして。血泡に塗れた男の唇が、動いた。掠れた声で、はっきりとそう告げたのである。
「つぼ、おに、が……く、る……!」
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