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夫と名乗る男は、伊藤圭一郎といった。年齢はメタボ旦那の一つ上の46歳で、祐子の3つ年上だった。普段は湾岸にある大学病院に勤める眼科医で、赤いラインの電車を利用しているものの、水曜と金曜は都心にある系列の大学病院で勤務し、時折、黄色いラインの入った電車の最終便で帰っているのだった。
彼はとても家庭的で優しく、『妻』である祐子に「おいしい」「ありがとう」「素敵だよ」といった美辞麗句を重ねる。その度に祐子の心がくすぐられる反面、彼は現実には存在しない『夫』だという疑念が増していく。どう考えても、出過ぎた夫、女性ファッション誌が特集する理想の旦那そのもので、現実味がしなかった。
そして、この夢のような生活は、またも金曜の夜に呆気なく幕を閉じる。今度はメタボ旦那を愛しく感じることもない。大きなゲップも嫌悪感しかない。
どちらかというと、夢の生活に対する寂寥感に包まれていた。
「もし夢が叶うなら、もう一度、あの暮らしを......」
* * *
すると、三週間に一度、水曜から金曜にかけて、湾岸のマンションで圭一郎と過ごすようになっていた。これら一連の出来事は、過酷な現実から逃避した白昼夢だと、祐子はやがて理解するようになる。しかし、いくら夢とはいえ、圭一郎とベッドを共にしても、自身の体は端に位置し、決して彼と体を重ねることはなかった。「おやすみのキスもしてくれないの?」と、彼に悪戯っぽく言われても、メタボ旦那を裏切るようで、出来なかった。一方、現実生活では、久しぶりにメタボ旦那から体を求められて、驚いてしまう。
やがて、圭一郎との生活が祐子の心の支えとなる。現実生活でどんな嫌なことがあっても、あと2週間したら、あと1週間したら、あと3日したら......と、彼との生活までの日数を指折り数えて過ごす。また、夢を見ていると、相当なエネルギーを消耗しているのか、もしくは金曜の日中に通っているジムの効果が現れたのか、体も引き締まってきた。湾岸の部屋にある細身の服も着られるようになって、娘の彩佳からは「ママ、キレイになった?」と褒められることもあって、以前より家族の会話量が増えた。といっても、ゼロがイチになった
くらいだが......。
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