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その一方で、圭一郎といる時間が自然となり、彼の「ユウコさん」と優しく呼ぶ声が祐子の心を占めていく。自宅で掃除機をかけている時、夫の実家で義母のトイレ介助をしている時、ドラッグストアで特売品を買い物かごにいれている時、彼の声がどこからか聞こえることがあった。また、別の夜、駅から出て来る彼を目で探している祐子もいた(決まって、千鳥足のメタボ旦那が駅から出て来るのだが)。
三週に一度の夢の夫婦生活は初夏を迎え、祐子はようやく夫と名乗る男を「圭一郎さん」と呼べるようになった頃、最初は東京湾のクルージングや高層ホテルでのディナーなど、ラグジュアリーなイベントに心が奪われたが、今となっては彼と2人、リビングで音楽を聴いたり、読書したりする、何でもない時間が愛しく感じていた。また、彼は眼科医として、将来の夢なども話してくれた。本来、自分のいるべき場所は彼の隣ではないだろうかという想いさえ、よぎる。
とある水曜の深夜、マンションの部屋の玄関先で「ただいま」と口について出た時は、自分でも驚いた。そして、「おかえり」と破顔する圭一郎。もう一つの我が家といったところだろうか。
しかし、夢はいつか覚めるもの。こんな幸せは、いつまでも続くわけはなかった。
* * *
それは、子供たちが夏休みに入った、暑い夏の夕方のことだった。祐子が汗だくになりながら、トンカツを揚げていると、「ユウコサン」と呼びかけられた。彼女の中に残る圭一郎の声だと思いつつ、声の方へ振り向く。しかし、そこに立っていたのは、長男の翔平だった。
「......ユウコサン?」
祐子は驚きのあまり、オウム返ししてしまう。翔平はマズいと思ったのか、誤魔化すように「コレ、うまかった」とカラの弁当箱を置いて、シャワーを浴びに行ってしまった。「うまかった」なんて、翔平の口から聞いたことない。そういえば、祐子が白昼夢を見ている間、家族はどんな暮らしているんだろう。夢だから、本来の祐子は実在し、問題なく時間は進んでいると思っていたが......。
考え出すと、気になってならない。彩佳や和孝、実家の義父母に、木曜や金曜はどうしているのか尋ねてみるが、取り立てて話すことはないと、祐子はあしらわれてしまう。
「まぁ夢だもん、そうだよね」
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