ふたりの夫、ふたつの生活。あったかもしれない、もう一つの人生

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「......」そうね、夫婦なら当然のこと。でも、うちの旦那は覚えているだろうか。ううん、きっと忘れている。  祐子は朝食の後、当たり前のように家事をしようとエプロンをつけると、男から午後1時半開演だから、今日はいいよと言われ、着替えをせかされた。『夢の国』の最寄り駅も通る赤いラインの電車で東京駅まで行くのだという。祐子は彼女の服があるという寝室のクローゼットを開ける。そこには華やかな色の洋服がずらっと並んでいた。ブランドのタグを見ても、庶民の祐子にはその価値は知る由もなかったが、いずれも上質の生地で仕立てられていて、いいお値段だってことは自ずとわかる。 「......オバチャンがこんなの着ても、服に負けちゃうって」 祐子はこれらの中から、一番地味なベージュのワンピースを選んだ。ところが、着てみると、ファスナーが上がらない。よく見ると、どの服も細身で、自分は彼のユウコさんじゃないと確信する。すると、向こうでクスクス笑っている声がする。彼だった。 「ちょっと! 着替え中!!」 と、露わになった背中を、彼に見えないように、祐子は身をよじる。しかし、壁一面が鏡になっていて、その背は彼に露わになってしまう。水もはじく若い肌ならまだしも、染みが侵食するアラフォー肌を人様に見せるなんて、迷惑甚だしい。祐子は穴があったら入りたいぐらい恥ずかしかった。ところが、夫を名乗る男は屈託なく笑う。 「ユウコさん、最近、太ったってボヤいてたけど、本当だったんだね」 「......」最近じゃない、ずっとだけど。 「観劇の前に、バーニーズへ寄って、服、買おうか」 「......バーニーズ?」祐子は、最近のファミレスは服も売っているのかと思った。 「ここがバーニーズ? うそ、警備員さんがいる」 「警備員じゃなくて、ドアマン」  バーニーズは「バーニーズニューヨーク」という高級セレクトショップで、銀座店は近代の西洋建築の中にあった。祐子はいくつか試着したが、服に着られているようで違和感しかない。結局、男が勧めてくれたターコイズブルーのツーピースを選んだ。ところが、値札を見て、祐子は目が飛び出そうになる。なんてことか、月々のうちのローンと、それはそう変わらない額だった。 「別のにしましょう。近くにユニクロもあったし、そこで」 「何を言ってるの? ユウコさんの服は、いつもここでしょう?」
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