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②転がり過ぎる展開
長く生きていると予測も出来ない事が幾つか起きたりするものだが、案外、常識の範疇だったりする。
要するに、この流れからするとこういう結果になるんじゃないか…とか、今までに培った経験値から、こんな時はこうすればこの事態は回避できる、とか…概ね検討がついたりする。
年齢を重ねるほど感動や刺激は薄れ、鮮度が失われてゆく。
そんな意味で、予測不能は早々無いと踏んでいた。
確信に近いほどに。
そう、今までは、だ。
あの夜、大ギツネがクマの仮面を付けて涙に暮れた夜から四日ほど過ぎた。
あれ以来、実際に姿を見せることはなく、日に数度だけ携帯に近況メールを寄越した。
特になんてことの無い『報告』といったところか。
私のアパートに行って来たとか、私のアパート周辺の坂道がエグいとか、昨日から仕事に復帰したとか、ご飯の時に口を動かすと唇がまだ痛いとか…そんな他愛のない羅列だ。
「最近、矢野森さんお見えになってないんですね。」
メールチェックを終えて、そろそろリハビリに行く準備でも始めようかと思った傍ら、病室の入り口から声が掛かった。
珍しく、看護師さんと医学療法士さんがコンビで私のリハビリのお迎えに来たという。
普段は、看護師さんに声を掛けられるくらいだ。
大狐に何用だろう…気にはなる。
あの日の勘繰りだろうか…とかく世の中は噂好きだ。
自分に火の粉がかからない遠いところの話なら、無責任におヒレをくっ付けて拡散したがる。
ここは、用心だ…そう思い、当たり障りのない返事をした。
「ええ。何でも私の退院が近いせいでバタバタしているみたいなんです。何かご用でしたか。」
さり気無く質問を投げかけると、意外な応えが返された。
「リクエストが多くて、今日は直接聞きに来ちゃいました。ここに入院している患者さんや家族の方から、もう何回も『矢野森さんが顔を出してくれないから、どうしたのか聞いてほしい。』って言われて。私たちナースや職員も皆んな気にしてますよ。ここ数日、姿が見えないから少し心配で。矢野森さん、話しも楽しいけど知識も豊富だし優しいし、何より会うと元気貰えます。隣りの内科病棟なんてファンクラブ出来てますよ。特にニ○一のオバァちゃんたち。ね。」
看護師さんと医学療法士さんが頷き合って同意している。
意外過ぎて呆気にとられた。
「…それはそれは、またいつの間に。」
大狐は、私の知らないうちに、一体院内で何の啓蒙活動を始めたのかと思ってしまった。
はたまた布教か…まったく、何教だよ。
多分、無自覚にニヤけていたに違いない。
看護師さんが
「ほらほらぁ、水谷さんも分かりますよね。矢野森さんの人間力。来たら、皆んな待ってるんで伝えてくださいね。じゃ、今日もリハビリ頑張りましょう。」
今、深く深く傷ついた大狐の心の軟膏薬は、間違いなく、この場所に溢れていた。
そして、それは大狐本人が意図せず撒いた種の結晶だと、当の大狐は知らないんだろうなぁ…。
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