家族ごっこ

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テレビの前に几帳面に束ねられた充電ケーブルを見つけてぼんやり眺めていると、病室の引き戸が開く音がして、振り向く。 そこには、少しだけ開けた引き戸の隙間から中を覗く大狐の化粧まみれの目があった。 「あ、終わってた。タイミング良かった。」 にこやかに引き戸を全開し、後ろ手に何か持って入室した。 「ちょっと早かったかなぁ…って思ったけど、電話は済んだようね。二日間も眠ってたでしょ。お口からは何も摂ってない訳から、喉が渇いたんじゃないかなぁと思って。 はい、どうぞ。」 目の前にペットボトルの水とドリンクタイプのヨーグルトが置かれた。 「色々と気遣って頂いてありがとうございます。ほんとうに、痒いところに手が届くというか、助かります…。」 大狐は、「気にしないで。」と言いながら自分用のアイスコーヒーを口に含んだ。 「あの、充電。携帯の充電ケーブルを用意して下さったのって矢野森さんですか。」 「あ、アレね。バッグに入ってたヤツ。 スマホはいつでも何処でも必要でしょ。だから、出先で困らないようにいつも持ち歩いているの。変な話だけど、お役に立てて良かったわ。置いておくから使って。」 「それだと矢野森さんが困るでしょう。」 「困るくらいなら最初から置いていかないわょ。自慢じゃないけど、スペアも含めて四個持ってるの。」 軽く片目を瞑ってみせる。 スペア…って、一体全体、何のスペアなのか。その数に意味があるのか、またも疑問が浮上しかけたが、考える猶予は続く発言で遮られた。 「今回のこと、本当にご迷惑掛けちゃってゴメンなさい。」 ガバッと勢いよく金髪が躍動して、大狐は頭を下げた。 「痛い思いさせちゃって、怖い思いさせちゃって本当にゴメンなさい。 生活がメチャメチャになっちゃったんだもん。責められても仕方ないと思ってる。 もの凄く反省もしてるわ。 あの時、バスでコケちゃった時ね、あの瞬間もっと上手にあなたのこと避けられていたら、縁石と私に挟まれてこんな大ケガしなくて済んだんじゃないかって思うと本当に申し訳なくて。 今更、悔やんでも仕方のないことかもしれないんだけど…。 全責任は私にあるの。 だから、せめて精一杯の償いくらいはさせてもらいたくて。」 大狐からの思ってもない申し出に正直助かる半分、残りの見栄っ張り半分が言葉で繕う。 「そんなに重く受け止めて頂かなくても…。確かに多少重傷かもしれないけど、四ヶ月後には治りますし。 全責任なんて大袈裟ですよ。私もぼんやりしてたんだし、責任なら折半です。 責めてなんていないですから、安心して下さい。」 大狐は、祈りを捧げるマリア像のように両手を胸の前で組み、ウルウルした瞳で金髪頭をブンブン横に振った。 「違うの。私がそうしたいの。お願い、出来ることはさせて。 それに、昨日、もう保険屋さんともお話してね、医療費は全額私が負担させてもらうってなったの。 あと、凄く差し出がましいと思ったんだけど、会社の方に聞いたら水谷さん、近くにお身内の方とかいらっしゃらないっていうから…。 その、身の回りのお世話のマネごとでもさせてもらえたらなって。出来るだけお役に立ちたいのよ。 とにかく、謝りたいのとこの事を伝えておきたくて、目が覚めるの待ってた。」 おお、大狐が大天使に見える。 捨てる神あれば拾う神あり、人間万事塞翁が馬。 神様、さっきは罵ってゴメンね…と、神様相手にタメ口で謝罪し、今度は私がマリア像と化し瞳を潤ませた。 「でも、そこまでして頂く訳には…。保険なら私も加入してますし。」 「ううん。どこをどう見たって私が加害者、あなたが被害者よ。今回はそうさせて。 あ、あと、お願いがあるの…。言ってもい~い?」 「はい、勿論仰って下さい。出来る事でしたらお引き受けます。」 「その…。出来れば、敬語じゃなくてもっとフランクにお話ししてもらえたらなって。 私、あなたとお友達になりたいの。 って、さっき自己紹介したばかりの他人から急にこんな事言われたら引いちゃうかしら。 もしも、押してけてらゴメンなさいね。 実は、私ね、丁寧に話されると何か人を寄せ付けない見えない壁みたいなものを作られた気がして、悲しくなるの。 勝手に冷たさみたいなものを感じて…とても悲しいわ。 感情込みで構わない…だから、普段使いの言葉でお喋りしてほしい。お願い。」 気が抜けるほどお安い御用だと思った。 ただ、大狐な声のトーンは、後半にいくに従ってくぐもって聞こえ、含みのある言い回しや表情に、表に纏う派手な鎧とは裏腹に、意外にもナイーブな内面を隠し持っていると感覚で察知した。 触れたらいけない何か、なのか。 「…わ、分かった。じゃあ、これからは年上の友人として宜しくね。」 私は、努めて明るく返事をした。
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