第3話 優しさをほんの少し

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 翌朝には気分は完全に回復していた。  吐くほど飲まなかったから回復も早かったのだろう。だが、どうも感情が昂ると飲んでしまう癖があるようだから、そこは気を付けなければならないかもしれない。 「青葉、お前大丈夫かよ」  だが、目敏い同僚の本堂にはバレてしまったようだ。まだ酒の匂いでもするのだろうか。気をつけているつもりだが、自分では分からなかった。 「大丈夫に見えないか?」 「いつもより顔色が悪かったんでな。なんだ、酒でも飲んできたのか」 「うっかり酔ってな」 「またか。お前みたいなクソ真面目なタイプが一番酔いやすいんだ。少しは気をつけないと後々問題起こすぞ」  本堂はこうして程よく茶化してくれて、問題の核心に触れてこないから楽だ。酔っぱらうほど飲んだ原因を追求せず、一番気楽な言葉をかけてくれる。適当なタイプに見えるが、実は一番気を遣っている人間だ。 「普段は飲まないんだ。たまにぐらい────」  人に迷惑をかけるな、と言われたばかりだ。俊介は彼女に言われた言葉を思い出して、言いかけた言葉を飲み込んだ。 「────だな。人に迷惑かけるまでは飲まないことにするよ」 「薬買ってきてやろうか。一階のコンビニに置いてただろ」 「……いや、自分で行く。ちょっと用事もあるしな」 「立花さん」はあれから無事に帰れたのだろうか。もうずいぶん遅い時間だったが、彼女はあの時間帯まで仕事をしているらしい。  疲れて帰っているところを酔っ払いが引き留めたのだ。おまけに水と薬まで買わせてしまった。知り合いでもないのに謝罪だけではまずいだろう。それ相応の詫びを入れるべきだ。  俊介は会社の近くにあるパティスリーに寄って菓子の詰め合わせを購入した。あれぐらいの歳の頃に相応しい、当たり障りのない、消耗品で考えた時、一番最初にそれが思いついた。  パシティスリーには色々売られていたが、店員に勧められて若い女性に人気だというマカロンのセットを選んだ。彼女は二十代前半に見えたから、これぐらいなら喜んでくれるのではないだろうか。決して安いものではないし、誠意は伝わるはずだ。  一言謝って、もう一度お礼を言おう────。  だが、彼女の反応はそんな俊介の予想とは大分かけ離れていた。 「申し訳ありませんが、受け取れません」  レジで接客していた「立花さん」に話しかけると、彼女はいつもと変わらぬクールな表情でペコリと頭を下げた。  俊介は驚いて菓子の入った紙袋を差し出したままぽかんとした。受け取ってもらえないとは思わなかったのだ。  まさか、彼女も聖のように甘い物が苦手で煎餅が好きとかいうタイプなのだろうか。  だが、以前加賀屋の菓子折を渡した時は食べたと言っていた。それか、コンビニの店員という立場で客からの物品を受け取る行為は禁止されているのだろうか。それならまだ納得できる。 「突然すみません。迷惑をかけたのでせめてものお詫びと思ったんですが……」 「あれは、私が勝手にやったことです。自分で稼いだお金は自分のために使ってください」  どうやら、彼女は俊介が考えた理由で受け取りを拒否したわけではないらしい。「立花さん」は思っていたよりもずっとしっかりしているようだ。  女性ならきっと喜んでくれると安易に考えていたが、甘かった。 「すみません……。気を遣わせてしまいましたね」 「いえ……迷惑とかじゃないんです。ただ、申し訳ないので……」 「酔っ払いの相手をさせたんだから当然です。今度から飲み過ぎには気をつけることにします」 「はい……」 「でも、せめてこれは受け取ってもらえませんか。あなたに買ってきたものなので」  そこまでいうと、彼女は躊躇いがちに受け取って頭を下げた。 「仕事中にすみませんでした。お仕事頑張ってください」  コンビニから出て、俊介は軽くため息をついた。  気は使える方だと思っていたし、他人の好みを把握するのも得意だと思っていた。  だが、それはどうやら「藤宮家」に限った話だったらしい。  思えば、聖が普通の二十代とはかけ離れているからそもそも根本から違う。  彼女は迷惑に思っただろうか。気を回しすぎたのだろうか。  だが、礼儀に欠ける行動は執事にあるまじきだと常々教わってきた。ああする以外に他になにができたのだろう。  それとも、クールビューティにはもっと冷たく接した方がよかったのだろうか。介抱してくれたから、思っていたよりもずっと優しそうな子だと思ったのだが────。
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