序章 愛されたい男と愛されたくない女

10/15
前へ
/15ページ
次へ
 武闘派ヤクザとされている畠中の兄さんの名を語るなど、命知らずにも程がある。  俺は焼酎を一口飲んで、 「暫く泳がせてみては? その内、尻尾を出しますよ」 「いや、組の若い(もん)に捜させる。自分の名を語られて平気でいられるほど、俺は出来た男やない」 「それはそうですけど……」  俺が納得しないのは、兄さんが刑務所から出たばかりだからだ。刑期は短かったが、また騒ぎを起こせば刑務所に逆戻り。マル暴が喜んでくるだろう。 「見つけしだい殺す」  しかし、当の本人は全く気にしてない様子。殺すと息巻いてる兄さんから殺意がヒシヒシと伝わってくる。  スナックを出た頃には、深夜0時を回っていた。まだ飲み足りないと豪語する畠中の兄さんは、「次の店に行こう」と言っていたが、俺は誘いを断って車に乗り込む。  付き合いが悪いと文句を言われようとも、俺は帰らなくてはならない。なぜなら、迎えに行くと優里に言ったからだ。  約束は破る為にある、と誰かが言っていたが、愛する女との約束は守りたい。優里だって、俺が来ることを望んでいるだろう。  嫌よ嫌よも好きの内。口では嫌いだと言っているが、彼女もきっと俺に気があるに違いない。でないと、会ったりしないはずだ。  翌日、優里が住むマンションの前に車を止めて彼女が出てくるのを待つ。運転席にいる橋田は、眠いのか欠伸をしている。森下はボーッとしていて、何を考えているのか分からない。 「(ねえ)さん来ますかね? 出てくる気配がありませんけど……」  しんと静まった車内で、橋田が開口一番にくしゃみをした。  六月だというのに、今日はやけに肌寒い。小雨も降っていて、空は鈍よりとしている。 「俺が来いと言ったんだから、来るに決まっているだろ? それとも、俺に文句があるのか?」 と聞き返すと、橋田はすぐに頭を振った。  すると、マンションの玄関扉が開いた。そこから出てきたのは優里だ。カジュアルなストラップワンピースを着ている彼女は、こちらを見るなり溜め息を吐いた。 「乗れ」  俺が窓を開けて指示すると、優里は面倒臭そうに車へ近付き、 「バスに乗るんで大丈夫です」 「俺が乗れと言ってるんだから乗れ」 と返事をすると、森下が車から降りた。そして、彼は後部座席の扉を開ける。 「はい」  あからさまに嫌そうにする優里は渋々車へ乗った。森下が扉を閉めると、彼女は俺から距離を取って座り直す。  よほど俺に気があるようだ。俺から距離をとるのは、照れ隠しとしか思えない。それが勘違いだと知らずに、俺は優里の肩を抱いて、 「今日も予定を開けておけ」 と耳元で囁く。  その直後、優里は俺を押し退けようとしながら、 「嫌です。それに、今日はバイトなんで会いに来ないでください」  はっきりと物申す優里は、こちらを見ていない。
/15ページ

最初のコメントを投稿しよう!

51人が本棚に入れています
本棚に追加