51人が本棚に入れています
本棚に追加
玄関から建物の中へ入り、靴を脱がずに階段を上る。 二階へ着くと、部屋の前に居た男が頭を下げて扉を開けた。
空いた扉の向こうに、「仁義」と書かれた額縁が見える。その下にある黒革のソファーに組長が座っていた。
「おう、帰ったか」
俺の存在に気付いたオヤジが声をかけてきた。俺は笑顔を取り繕い、
「オヤジ、お疲れ様です」
と、軽く頭を下げる。
その場所はもうすぐ俺のものになる。ゴホゴホと乾いた咳をするオヤジを前に、俺は心内でほくそ笑む。
「おう、座れ」
皺が刻まれた顔を更に皺だらけにして笑うオヤジがまた咳をした。
オヤジが咳をすればするほど、組長の座が近くなっていく。
「大丈夫ですか?」
と気遣う振りをしつつ、俺はオヤジの向かいにあるソファーに腰かけた。
「コーヒーでいいですか?」
「ああ」
部屋住みである浦賀が聞いてきたので俺は頷き、懐から煙草とオイルライターを取り出した。
「どうぞ」
オヤジの方へ煙草を差し出すと、オヤジは頭を振って、
「いや、いい。最近、肺の調子がよくないからな」
「そうなんですか。それは、すみませんでした」
と言いつつ、「わざとに決まっているだろ?」と心の中で毒気吐く。
「気にするな」
オヤジはそう言っているが、煙草が気になって仕方ないらしい。
無理もない。なにせ、オヤジはヘビースモーカーなのだから。
「吸っても?」
「ああ」
俺は、それを知っている上で、わざと煙草に火を着けた。そして、煙草を何度も吹かす。それも旨そうに。
すると、オヤジの手が震え始めた。
よほど、煙草が吸いたいのだろう。苛立っているのが聞かずとも分かる。
「どうしました?」
いいい、とオヤジは言って、
「いや、なんでもない」
「そうですか」
オヤジが黙り込んだ。
辺りがしんと静まり返る中、壁にかけられた時計の針がカチカチと時を刻む。
オヤジはじっとこちらを見て何も話さない。きっと、オヤジの心に葛藤が生じているのだろう。
スエ、スッテシマエ。ますます吸いたくなるように、俺はオヤジの方に向けて煙草を吹かす。
「……一本、貰ってもいいか?」
とうとう、オヤジが折れた。
「もちろん」
俺は煙草をオヤジの方に向かって差し出す。
俺はただ煙草を吸っていただけで、吸えとは言っていない。だから、これが原因で死んだとしても、悪いのはオヤジ自身だ。
最初のコメントを投稿しよう!