序章 愛されたい男と愛されたくない女

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 玄関から建物の中へ入り、靴を脱がずに階段を上る。 二階へ着くと、部屋の前に居た男が頭を下げて扉を開けた。  空いた扉の向こうに、「仁義」と書かれた額縁が見える。その下にある黒革のソファーに組長(オヤジ)が座っていた。 「おう、帰ったか」  俺の存在に気付いたオヤジが声をかけてきた。俺は笑顔を取り繕い、 「オヤジ、お疲れ様です」 と、軽く頭を下げる。  その場所はもうすぐ俺のものになる。ゴホゴホと乾いた咳をするオヤジを前に、俺は心内でほくそ笑む。 「おう、座れ」  皺が刻まれた顔を更に皺だらけにして笑うオヤジがまた咳をした。  オヤジが咳をすればするほど、組長の座が近くなっていく。 「大丈夫ですか?」 と気遣う振りをしつつ、俺はオヤジの向かいにあるソファーに腰かけた。 「コーヒーでいいですか?」 「ああ」  部屋住みである浦賀(うらが)が聞いてきたので俺は頷き、懐から煙草とオイルライターを取り出した。 「どうぞ」  オヤジの方へ煙草を差し出すと、オヤジは頭を振って、 「いや、いい。最近、肺の調子がよくないからな」 「そうなんですか。それは、すみませんでした」 と言いつつ、「わざとに決まっているだろ?」と心の中で毒気吐く。 「気にするな」  オヤジはそう言っているが、煙草が気になって仕方ないらしい。  無理もない。なにせ、オヤジはヘビースモーカーなのだから。 「吸っても?」 「ああ」  俺は、それを知っている上で、わざと煙草に火を着けた。そして、煙草を何度も吹かす。それも旨そうに。  すると、オヤジの手が震え始めた。  よほど、煙草が吸いたいのだろう。苛立っているのが聞かずとも分かる。 「どうしました?」  いいい、とオヤジは言って、 「いや、なんでもない」 「そうですか」  オヤジが黙り込んだ。  辺りがしんと静まり返る中、壁にかけられた時計の針がカチカチと時を刻む。  オヤジはじっとこちらを見て何も話さない。きっと、オヤジの心に葛藤が生じているのだろう。  スエ、スッテシマエ。ますます吸いたくなるように、俺はオヤジの方に向けて煙草を吹かす。 「……一本、貰ってもいいか?」  とうとう、オヤジが折れた。 「もちろん」  俺は煙草(毒薬)をオヤジの方に向かって差し出す。  俺はただ煙草を吸っていただけで、吸えとは言っていない。だから、これが原因で死んだとしても、悪いのはオヤジ自身だ。
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