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面倒臭いことこの上ない。
俺が歌い終えると、今度はキャップを被った若い男が歌い始めた。
有名なアニメの曲を熱唱している男は、時折華恵ママの方を見ている。畠中の兄さんはそれに気付いたらしく、
「一号機か?」
と男に問う。すると、男は兄さんを見ずに、
「二号機たい!」
男が返事をした瞬間、畠中の兄さんから笑顔が消えた。華恵ママが入れたビールを飲み干した兄さんは、ああ、と唸り声を出す。
どうやら、男の返事の仕方が癪に障ったらしい。兄さんを怒らせると手がつけられないことを知っている俺は、小さく溜め息を吐いた。
しかし、兄さんも馬鹿ではない。店で騒ぎを起こせば華恵ママに迷惑がかかるということを知っている兄さんは、怒りを堪えるようにまたビールを飲み干す。
畠中の兄さんは喧嘩早い人間だ。喧嘩は降り物というが、突然見知らぬ相手と喧嘩をし始めるので、俺はそれにいつも巻き込まれる。
四十二にもなって、と世間の人間は畠中の兄さんに後ろ指を指しているだろうが、それは兄さんの良さでもある。
「まあまあまあ、お兄さん落ち着いて」
すると、黙って飲んでいた中年の男が兄さんの隣へ来た。ビール瓶を持っている彼は、兄さんのグラスにビールを注いで、
「あんた、どこの組の者だい?」
「中嶋組やけんが、何か文句あるんか?」
「へえ、中嶋組かい。中嶋組言うたら、若頭の畠中さん知ってる? 俺はあの人と知り合いたい」
知っているも何も、目の前にその人物がいるではないか。俺はその事に気付いていない男に対し不信感を抱いた。
すると、畠中の兄さんは顔を顰めて、
「嘘こけ。俺はお前みたいな奴は知らんちゃ」
やっぱり、と俺は鼻で笑って、
「この人がその畠中だが?」
「は? いやいやいや、畠中さんはもっと痩せてて──」
男が言うには、数日前、別のスナックで中嶋組の畠中博俊と名乗る男と一緒に酒を飲んだようだ。その男は兄さんよりもヒョロっとしていて痩せているらしい。それに加え、兄さんの名を語って薬物を売りさばいているようだ。
兄さんの組では、個人で薬物を捌くのは御法度とされている。
「クソが!」
その事に腹を立てた兄さんがカウンターテーブルを殴った。激しい音と共に、グラスの中の酒が揺れる。
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