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2、
広間へ行く途中で、ふいに、ゼンヤが足を止めた。
先生とシノザキ刑事はタクマの遺体の検視を、シンジは先に広間へ行ってしまったので、私たちは今、ふたりきりだ。
ゼンヤは、特徴的な鷲鼻を膨らませて、何か言いたげな表情をしたが、結局何も言わなかった。
ゼンヤは小柄な男だが、女のなかでも小柄な私に比べると、十センチ以上は背が高い。昨日から今日にかけて、先生以外に四人の男性と関わったが、ゼンヤがもっともまともそうだ、というのが私の考えだった。
「どうかしましたか」
「……招待状を、お前には見せても構わないと思ったんだ」
そう言って、ゼンヤはシャツの内側に手を突っ込んで、二度折りたたんだ招待状を取り出した。始終持ち歩いているのだろうか、よほど誰にも見られたくないのだろう。
「いいんですか」
「さっき見せても構わなかった。だが、どうもシンジという男は信用できない。お前の先生ではないが、何かしらの犯罪に手を染めているような残忍性が見える」
ゼンヤまでもが、先生と同じことを言い始めたことに、私は少なからず驚いた。シンジの見せた下卑た笑みを思い出す。言い返せずに押し黙った私に、ゼンヤは招待状を押し付けるように手渡した。
「あ。……じゃあ、見せてもらいますね」
「ああ。俺は確かに、今、お前に確認させた。理由は先ほども述べたが、シンジを信用していないためだ」
なるほど、誰にも見せないままでは怪しまれるとふんで、招待状を安牌な者に見せることにしたのか。それに、たまたま私に白羽の矢がたったと。
私は頷いて、招待状の文面に目を通した。
『ガロウゼンヤ様
この度、誕生日パーティへお招きしたく、招待状を送らせていただきました。尚、ご出席の際は、必ず、おひとりでお越しください。
場所と日時は、以下の通りです。必ずご参加ください。尚、この招待状の件は、他言むように願います。
もし来られなかった場合、あなたが十年前に生業にしていた職業と、関わったすべての者の名を、世間に公開したく考えております。
ご来訪、お待ちしております。緑川桜子』
その内容に、私は眉をひそめた。文面にはいくつか気になる部分があり、小奈津やタクマへ宛てられた内容と似ていた。
ゼンヤは私の表情をどうとったのか、ため息交じりに事情を話した。
「当時俺は、教会で暮らしていた。孤児院が併設されていてな、そこで育って、そのまま教会に残るかたちで就職したんだ。俺が暮らしていた孤児院に桜子がやってきたのは、俺が職員になるより前だ」
私は、文面について考えていた思考を打ち消して、えっ、と声をあげた。
「ゼンヤさん、桜子さんと同じ孤児院にいたんですか」
「ああ。昔の話だがな。今は、とっくに職員をやめている」
「じゃあ、この招待状に書いてある生業って、教会の神父様とかですか」
「そんないいもんじゃない。俺が職員としてやっていたことは、鬼畜の所業だ」
「はい?」
孤児院の職員と言えば、神父が思い浮かんだ。ほかには、保父さんや食事係、ベビーシッターなど、子どもの世話をしたり、愛をもって人々を守るような、そんなイメージがあった。
それを、鬼畜とはどういうことか。ゼンヤは教会で、一体何をしていたのか。
その、イメージとかけ離れたところに、桜子から届いた手紙の文面にあった「脅し」の秘密があるのだろう。
私は、手紙をゼンヤに返した。
「中身は、確かに私が確認しました」
「隠すつもりはない、話せるだけ話そう」
ゼンヤは手紙をシャツの内側に戻すと、腕を組んで壁に凭れた。
私は、ゼンヤの言葉に驚いて、目を瞬く。
これ以上の詮索は、手紙の内容にあった「脅し」を探ることになるし、何より彼個人のプライバシーに関わることだ。それを、ゼンヤは話すというのか。
ふと、私の頭に、ある疑問が過った。
話せる内容ならば、この手紙は脅しにならない。ならばなぜ、彼は死者からの手紙に誘われるまま、この島へやってきたのか。
そんな私の疑問は、彼が話し始めた瞬間にどこかへ消えた。それどころでは、なかったからだ。
「一言でいえば、身よりのない子どもを、いろんな意味で子どもを欲しがっているやつらに売ってたんだ」
息をとめた。
しばらくして、え、と呟く。それが私の精一杯の反応だった。彼の言葉を理解するまでに、時間がかかったのだ。
まじまじとゼンヤを見ると、彼はちっと舌打ちをした。
「……売ってた?」
「ああ。孤児は、足がつかないからな」
それはつまり――人身売買、ということか。
私は、軽く頭を押さえた。
緑川桜子は、養子として養父母のもとへ引き取られて、そこから中学へ通っていた。だが、その生活は、私が想像しているような一般的なものではなく、苦節に満ちたものだったとしたら。
「桜子が養子に出たのが、小学六年生のころだ。信じないだろうが、当時の俺は、カネのやりとりが裏で行われていることを知らなかった。ただ単純に、彼女に相応しい養子先として、緑川夫妻を斡旋した」
「ゼンヤさんが、斡旋されたんですか」
「ああ。……あの夫婦は子どもを欲しがっていたし、桜子が特別お気に入りで、可愛がっているように見えたからな」
愕然とした私は、無意識に右手で口元を抑えた。今の日本で、人身売買など考えられない。そう思いながらも、想像をする。
売られた子どもが、どんな扱いをされるのか。
想像に、非人道的なものばかりが浮かんで、私はぎゅっと目をつぶった。
そういえば昨日、タクマは桜子が学校帰りに本屋と弁当屋に寄っていたと言っていた。
弁当を買って帰っていたということは、少なくとも桜子はあの当時、夕食を作ってくれる人がいなかったことを、示している。
「……桜子は、どんな理由で、引き取られたんですか。我が子としてじゃないのなら、なんのために」
「おそらくだが、桜子は無理やり客を取らされていたんだろう」
それを聞いて、私はどうしようもないやるせなさを感じた。
予想はついていたが、つまりは、売春をさせられていたのだ。
未成年の売春は違法である分、かなりの稼ぎ口になるだろう。詳しいことは私にはわからないが、高校時代に売春をしたというクラスメートが、ひとりの客で数万を儲けたという話を聞いたことがある。
カネを得る側としては美味しい話かもしれない。だが、桜子の気持ちを想うと、胸が苦しいなんてものではなかった。
それに、身寄りのない孤児を養子に迎えて、非人道的な行為を強制する養父母への怒りで腹の底がむかむかとした。
「酷いことです」
思いのほか、強い口調で言ってしまったが、構わなかった。ゼンヤにも、気にしたふうはない。
「じゃあ、あのカンダってひとも、その客だった可能性がありますね」
「かもしれん。どちらにせよ、桜子と緑川夫婦の縁を取り持ったのは俺だ。恨まれても仕方がない」
ゼンヤは、さっと視線をそらした。
「……俺が疑問に思ったのは、桜子の死がきっかけだった。教会の悪事、組織の大きさに気づいて、俺にはどうしようもできないと思った。だから、何も気づいていないふりをして職員をやめた」
怖かったんだ、とゼンヤは付け足した。
深い後悔と無念さがにじむ声音からは、嘘は感じられない。
徐々に、桜子という少女像が、私のなかで具体的になりつつあった。
美しく、影があり、読書が好きな少女。学校帰りにはお弁当を買い、到底、親とは思えない養父母のもとで、暮らしていた。彼女の胸中は、どんなだっただろう。小学六年生で引き取られたというから、約二年間、養父母のもとで過ごしたことになる。
彼女の背負う影は、彼女の苦しみの現れだったのかもしれない。
ふと、桜子が小説のなかでも、推理小説を好んだという話を思い出した。今回、送られてきた招待状といい、抜刀島という孤島といい、何より、館に作られた推理小説の場面といい、どれもが、桜子が好みそうなものばかりではないか。
「桜子が、どんな推理小説を読んでいたかなんて、わかりませんよね」
「孤児院にいたころは、江戸川乱歩の少年探偵シリーズを好んで読んでいた。図書館から頻繁に借りるものだから、孤児院のなかでも、桜子の少年探偵シリーズ好きは有名だったんだ」
江戸川乱歩。
たしか、明智小五郎の生みの親だ。
推理小説に疎い私でも、その有名すぎる作者の名前くらいは知っている。
「ゼンヤさんは、読まれたことはあるんですか?」
「一通りは。コメディ要素も多く、読みやすかった。桜子は、主人公の少年に憧れていたな」
ふと、ゼンヤの瞳が遠くを見るようにぼうっとした。その目には、これまでになかった優しい色がみえる。
私たちは、ゆっくりと、広間へ向かって歩みを再開した。
「桜子は亡くなりましたけど、養父母は生きてるんですよね」
どこで何をしてるんだろう。悪鬼のごとく所業を桜子に強いて、その桜子は何者かに――いや、カンダに、殺害されたのに。
そんな私の疑問に、ゼンヤは微かに笑って答えた。
「死んだ」
「え?」
「これは、別の筋から聞いた話だが、間違いはない。四年前に、事故で死んだそうだ。なんでも新しい養女をとったばかりだったらしい。その娘にとっては、幸いだった。養父母の裏の顔を知らないまま、他界したのだから。まさか、善人面した養父母が、自分を売春させるためにカネで買ったとは、夢にも思わないだろうからな」
桜子の養父母は悪人で、その悪人はもう、この世にいない。
人の死は悼まれるべきものだが、その事実に、私はほっとした。
だが。
「……四年前?」
「そう聞いている。情報元は明かせないぞ。今も、俺はあまり褒められた仕事をしているわけではないんだ」
「どこで、どんな事故で、亡くなったんですか」
ゼンヤは一瞬、訝る表情をしたが、ふと、彼の表情に理解が浮かんだ。
先ほど私が見せた招待状にあった四年前、という言葉を、彼も思い出したのだ。
「確か、有名な大学病院の前での事故だと聞いている。飛び出しが原因だと」
私は、両手が震えるのを止められなかった。
血の気が引いていくのが、自分でわかる。きっと、顔は真っ白になっていることだろう。
――繋がった
やはり、私は無関係ではなかった。
私が、桜子の養父母を殺した、張本人だったのだ。
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