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3、
その日も私は、夜の八時きっかりに店のシャッターを下ろした。
暦の上では春とはいえ、まだ冬の寒さが残る。家のなかと外で気温差が大きく、私は数秒でも早く家の中へ入りたくて、小走りで店舗をぐるりと回りこみ、母屋の裏口へ向かった。
シャッターは外からしか閉められないため、面倒だが、毎日私は、外からシャッターをしめては、母屋の裏口へ回っているのだ。
寒さに両腕を抱きながらふと顔を上げた私は、裏口の前に佇む一人の女性に気づいて「あっ」と声をあげた。
ここ久しく見ていなかった、大学時代からの友人小奈津がいた。
小奈津は、私の声に勢いよく顔をあげた。目が合った瞬間、小奈津の強張った表情がみえた。いつも、強気で明るい彼女らしくない不安そうな表情だ。
「小奈津、どうしたの?」
久しぶりの会えた嬉しさから微笑んだ私に、小奈津もまた、徐々に笑み崩れていった。
「リンコ、いきなりごめん。どうしてもすぐに会いたくて」
「連絡くれれば、私が行ったのに。うちくるの初めてでしょ? 迷わなかった?」
小奈津は頷くと、もう一度「いきなりごめんね」と謝った。
私は「いいよいいよ」と小奈津の肩を軽くたたいて、家へあげた。戸建ての母屋と、離れを改造して造った古書屋が、私の暮らす家だ。
離れは古書屋の営業に関するもので溢れているので、私生活は母屋が主体になっている。私は、小奈津を母屋の客間へ案内した。
小奈津はいかにも仕事帰りといったスーツ姿で、肩にこげ茶色の鞄をかけている。やや分厚いコートをお洒落に着こなし、メイクも髪型も手を抜かずにきめていた。
小奈津は気の強い美人で、性格も明るく、社交的だ。
私は小奈津と出会って数年経つが、先ほどのような怯えた姿など一度も見たことがなかった。突然の訪問からも、彼女の焦り具合が見て取れる。アポなしで来訪してくるような子ではないことは、よく知っていたからだ。
小奈津は、客間の和室を物珍しそうにあちこちを見回していたが、座布団をすすめると、また、「ごめんね」と謝った。
「ごめん、でも、どうしても直接話したかったの。私、なんだか気味が悪くて、どうしたらいいかわからなくて」
早口で言う小奈津の顔色は、青かった。余程不安に苛まれているのだろう。私は熱いお茶を出して、軽い世間話を挟みながら、彼女が落ち着くのを待って、本題を促した。
小奈津は、鞄を膝にのせると、震える手で鞄をひらいた。いつもハキハキした彼女らしくない、たどたどしい所作だった。
小奈津が鞄から取り出したのは、白い封筒だった。
小奈津から封筒を受け取ると、封筒に使用されている紙の上質さに驚いた。
「……凄い、豪華な手紙ね」
ぽつりとそんな感想を漏らして、封筒の反対側を向けた。真っ白だと思っていた封筒の裏側には、唐草と翼を絡ませたような西洋風の模様が入っており、光の加減で浮き出る仕組みになっていた。
ひと目で高級だとわかる仕様の模様に、手触りのよい紙。極めつけは、封の部分を固定している蝋のハンコだった。幾重にも桜が重なったような紋が、蝋の中央にくっきりと刻まれている。
私は、その手紙を色々な角度から見て、小奈津へ視線を向けた。
「手紙の封は空いてるみたいだけど」
「今朝方、開けたの。昨日届いてたんだけど、疲れてたから、ひらくのは朝でいいかなって、思って」
「これ、小奈津の家に届いたの? 住所が書いてないってことは、差出人が自分で郵便受けに入れたのかな」
「ううん、郵便受けには、別の大きめの茶封筒に入ってたから」
なるほど。
私は小奈津に許可を得てから、手紙のなかの便せんを引っ張り出そうとして――ふと、手を止めた。封筒をひらいて中をのぞき、封筒のなかに入っているのが便せんではなく、一枚の厚紙であることを確認する。
それは、ポストカードほどの大きさをした、招待状だった。
リンキコナツ様、と片仮名で印字された名前から始まる内容に、目を通した。
『リンキコナツ様
この度、わたしの誕生日パーティへお招きしたく、招待状を送らせていただきました。尚、同行者は、おひとり様のみ可能でございます。
場所と日時は、以下の通りです。必ずご参加ください。もしご参加いただけない場合、あなたが四年間隠し続けている秘密を、皆様の知るところとなります。緑川桜子 』
私は、招待状の脅迫めいた内容に、眉を顰めざるを得なかった。
「これ、なに」
「あたしが聞きたいわよ。なんなの、これ」
小奈津は、首を横に振る。脅迫めいているとはいえ、ただの手紙だ。そこまで怯えることはないのに、小奈津は顔を青くして震えている。
つまり、小奈津には何かしら思い当たる節があるのだ。
「理由、教えて」
私は、はっきりと小奈津に聞こえるように言った。
「小奈津は私を助けてくれた、大切な友達であり恩人なの。だから、力になりたいの。この手紙の、どこが怖いのか教えて」
普段気丈な性格であるがゆえに、こうして青くなって震える小奈津は、とてもか弱く見えた。だからこそ、力になりたい。
私にとって小奈津は、もっとも辛い時期に傍にいてくれた、かけがえのない親友なのだ。
少しでもあのときの借りを返せたら、と小奈津をじっと見つめる。。私の促しに、少し戸惑いを見せていた小奈津だったが、やがて決心したように口をひらいた。
「そこ。その、送り主のところよ」
その返事は、予想外だった。てっきり、脅迫の内容がとんでもない大罪であるとか、そういった秘密を覚悟していたのだ。
「送り主? 緑川桜子さん、ね。この人がどうしたの。知り合い?」
私は送り主の名前を見て、首を傾げた。
「知り合いにひとり、桜子って人がいるんだけど。実家の近くに孤児院があってね、そこで暮らしてた子なの。でも、小学校のころ集団登校で一緒だったくらいで、ほとんど面識がないのよ? 名前だって、ちょっとこう、お嬢様ちっくだから覚えてただけで、ずっと忘れてたし」
小奈津は一気に話すと、自分から深呼吸をして息を整えた。
私は頷くと、招待状を眺めて、口をひらく。
「つまり、何かの間違いってこと?」
「わからない。でも、確かに私の名前が書いてあるし」
「聞きにくいんだけど、この四年間隠し続けていた秘密って、心当たりある?」
小奈津は首を横にふった。誤魔化している様子や慌てる様子はなく、ごく自然な仕草だった。
小奈津自身が隠していることなどないというのなら、無自覚な事柄かもしれない。考え込む私に、小奈津は「リンコ」と私を呼んだ。
ふと、私の脳裏に、初めて小奈津と出会った場面が蘇った。
大学のベンチで、ぼうっと座っていた私に、「あなたもリンコなのね!」と明るく声をかけてきたのが、小奈津だった。
今となっては懐かしい小奈津との出会いであり、私が「リンコ」というあだ名で呼ばれ始めた瞬間でもある。
小奈津がいうには、私の名前を入れ替えると「リンコ」になることと、彼女の名前である「リンキコナツ」を入れ替えると「リンコ」になる辺りが同じだという、かなり強引な理由で声をかけてきたのだった。
結果として、当時ふさぎ込んでいた私は、彼女の前向きな明るさに触発されて、徐々に気力を取り戻してきたわけだが、何事にも物怖じしない小奈津の性分は、私にとって憧れと同時に特別になっていった。
「あのさ、緑川桜子なんだけど」
小奈津は一度生唾を飲み込んで、呼吸を整えてから、言った。
「養子に行った先で、死んでるのよ。もう、八年ほど前だわ」
「……死んでる、って」
私は咄嗟に手元の招待状をみた。緑川桜子、と確かに書いてある。
小奈津は首を横にふる。
「私が知ってる『桜子』は、一人だけなの。彼女以外に知らないわ。でも、あの子は死んでる。それに四年間隠し続けてきた秘密とか、訳が分からないし。なんだか不気味で、どうしようもなく怖いのよ」
「警察には行ったの?」
「行くわけないじゃない。こんなもの持って行っても相手にしてもらえないわ。相手にしてもらえたとしても……変な目で見られそうで」
「変な目って」
「桜子の死に、私が関わってる、とか」
私は、口を開いた。
なんと言っていいかわからなかったからだ。
もし本当に、小奈津が思っている緑川桜子からの招待状だとすると、これは、死者からきた招待状ということになる。だが、そんなことが起こるはずがない。
「つまり、誰かがその子の名前をかたって招待状を送ってきたってこと?」
「たぶんね。……ねぇ、リンコ。なんだか怖いの。警察に行きたいけど、絶対おかしいと思われるわ。死者から手紙がくるわけないもの。桜子の事件も未解決だし、最悪、桜子を殺したのが私だって思われるかもしれない」
小奈津はさっと顔色を青くして、両腕で自分の腕を抱いた。
私は、聞き逃せない言葉を耳にしてしまい、えっと顔をあげる。
「死んだ、って、殺された、の?」
「そう。詳しいことはわからないけれど、当時、彼女が住んでいた孤児院の院長たちが話してるのを聞いたから、覚えてる。それが八年前。中学校の帰り道でたまたま聞いて、すごく怖かった。だって、小学校のとき一緒に登校してた女の子が、死体で発見されたのよ。しかも、酷い暴行を受けた姿で」
小奈津は、一度言葉を切って、続きを話した。
「そりゃ、桜子とはあんまり関わりはなかったわよ。でも、見知ってる子が暴行殺人の被害者になるなんて思わないじゃない。そのときは、それ以上深く追求したり調べたりしなかったけど。今朝、この手紙を見たあとに、ネットで調べてみたの」
小奈津は、愛用の携帯電話を、私の目の前に置いた。
そこには、ネットで拾ってきただろう記事が載っている。八年前の少女強姦殺人についての記事だ。場所はB町、被害者は緑川桜子当時十五歳。警察は何人か容疑者を絞り込んだが、逮捕に至る決定打にかけ、犯人は特定できていない。現在は未解決事件として扱われている、とのことだ。
犯罪未解決事件をまとめたサイトで、当時の現場が目に浮かぶような詳細な情報が載っていた。ほかのページを見ると、緑川桜子の事件だけではなく、ほかの事件も細かに記載されている。
最近のネットというのは、こんなことまでわかってしまうのか。
「まだ犯人は捕まっていないって。ねぇ、リンコ。私どうしたらいい?」
「勿論、警察に行ったほうがいいと思う、けど。……でも」
招待状の内容から察すると、まるで、小奈津にも何か非があるような書き方なのが気になる。もし私が警官で、突然こんな招待状を持ってこられたら、根掘り葉掘り聞いてしまうだろう。私は小奈津と友達だから、「知らない」と小奈津が言えばそれをすんなり信じるけれど、果たして初対面の警察は、小奈津が「四年間の秘密」に心当たりがないと言ったところで、信じるだろうか。
なにより、送り主の緑川桜子が未解決事件の被害者だったとして、何者かが名前を語って招待状を出したのならば、何かしらの理由があって小奈津に招待状を送ったはずだ。その「招待状を受け取るに足るような、思い当たる理由」を警察はしつこく問いただしては、きまいか。
少なくとも、私が警察ならは確実に問いただすだろう。
四年間隠してきた秘密とはなんだ、そこに招待状を受け取る理由があるんじゃないのか。いや、むしろきみこそが、あの事件の犯人なんじゃないのか――。
そんな詰問を想像して、私は顔を青くした。
「仕事だって」
「え?」
ぽつり、と小奈津が呟いた言葉に、顔をあげる。小奈津は俯いて、悔しそうに顔をゆがめていた。
「やっと指名を貰えるようになってきたのよ。ここで変な噂がたったら、終わりだわ。警察には行きたくない。少なくとも会社に知られるようなことにはしたくないの」
「じゃあ、どうするの? まさか、これ、参加するっていうんじゃ」
そこで初めて、私は小奈津がここへきた理由を察することができた。
同伴者一名まで可能、と記載されている。
「私、行こうと思うの」
「小奈津!?」
信じたくはなかったが、小奈津はこの怪しい招待状の通り、死者の誕生日パーティへ出席するらしい。
小奈津は、無理やり笑みをつくってみせた。
「ただの誕生日パーティかもしれないし、行ってみたら意外と人違いかもしれない。でも怖いから……だから、お願いリンコ。一緒に行ってほしいの」
「勿論小奈津の頼みなら、喜んできくけど。でも、小奈津が危ない目にあったら……」
「心配してくれてありがとう。でもね、このまま放置するほうが怖いの。あたしが気づいてないだけで、本当は四年前に何かしてしまったのかもしれない。それを暴露されて、今の会社を……ううん、デザイン業界自体を追い出されるようなことになったら」
小奈津は、ぶるっと身震いした。
「でも小奈津、休みはとれるの? 休暇を取るのが難しいって前に言ってたじゃない」
「……なんとか都合をつけるわ。リンコ、一緒に行ってくれるわよね?」
懇願する目で見られて、私はすぐに頷いた。
小奈津の頼みならば、断る理由はない。古書屋は自己都合で閉めておけばいいし、心配といえば、我が家の二階のいちぶを貸している作家先生のお世話だが、相手もいい大人だ。放っておいても大丈夫だろう。
「――客人が来ているところ、すまないが」
ふいに、私の背後から声がした。
たった今、考えていた相手の登場だった。
確か、小奈津と先生は初対面だ。それぞれにそれぞれの話は私がしているけれど、こうして対面することはなかったはずである。
紹介しようと、招待状を見つめていた視線を小奈津に向けると、小奈津は先生のほうを向いたまま、頬を朱に染めていた。
なんで赤くなるの、と違和感を覚えた私が勢いよく先生を振り返ると、着物をだらしなく着崩した先生が立っていた。
普段は洋装の先生だが、眠るときは決まって着物を着る。いで立ちから察するに、いましがたまで眠っていたのだろう。髪は乱れて前髪が垂れ、着物は今にもずれ落ちてしまいそうで、かろうじて肩に引っかかっていた。
先生は客間へあがると、大股で歩み寄って、ひょいと招待状を持ち上げた。
「先生、それ小奈津のですから。あと、肩や胸元を隠してください。お着物がずれて、素肌は見えてますよ」
「どうせ不健康な色白肌だ」
「そういう問題ではありません」
先生が動こうとしないので、私は強引に先生の着物を直しにかかった。肩まで羽織らせて、胸元を引き寄せ、帯をまく。
先生の身だしなみを軽く直したところで、小奈津がぽかんとしていることに気づいた。
「……リンコ、その人が前に話してた同居人の作家さん?」
「うん」
「若いのね。推理作家っていうから、もっとおじさんかと思ってた。え、ちょっと。ってことは若い男女がふたりで暮らしてるってこと?」
「えっと、まぁ、うん」
小奈津は驚いた表情をしたが、すぐに視線を落とした。何かを考えているようだ。
「誤解しないでね、小奈津。先生は二階を間借りしてるだけだから」
「随分な言いようだな。ここでの暮らしはきみより長い」
先生は憮然という。
先生は祖父の知り合いで、私がこの家――祖父の家だ――で暮らすことになる以前から、祖父とともにこの家で暮らしていた。祖父とはよく将棋をさした友人らしく、祖父が亡くなった今も、二階に住み続けているのだ。
先生は、机の一辺に向かって座った。右に私、左に小奈津がくるように、机に入り込んだのだ。
「死者からの手紙か、面白い」
「っ、先生! 聞いてたんですかっ」
むっとして声をあげた私を、先生は視線で制した。
「わかった。私がいこう」
先生はそう言って、持ち前のニヒルな笑いを浮かべた。
小奈津はこぼれんばかりに目を見張って、首を傾げた。
「どういう意味ですか。あなたと、あたしが行くってこと?」
「冗談じゃない。見ず知らずの女と旅など息が詰まる。この招待状には、私と彼女で行こう」
彼女、と、先生は視線で私を示した。
「指名を貰い始めた現在、自己都合で休みを取ると仕事に影響がでるだろう。デザイン系の仕事は、クライアントに合わせて仕上げるのが常だ。きみはなんとか休暇を取るというが、好きに休みを取ることは難しいんじゃないか」
「それは、そうですが」
先生には、何度か親友の「小奈津」について話したことがある。だが、左程詳しく語った記憶はないため、仕事うんぬんは先ほどの話を聞いての推察だろう。
「ちょうど、スランプになってきたところだ。気分転換に、この招待を受けよう」
話を聞いていた私は、耐えかねて、立ち上がった。
「先生、勝手に決めないでくださいっ。大体、本人がいかないと意味がないじゃないですか」
「果たしてそうだろうか? ここには本人が来いとは記載されていない。最初は彼女になり切って行き、身代わりだとバレたら、本人の都合がつかず代理で来たということにすればいいさ」
先生は、一度決めたら結論を決して変えない。さすがに小奈津に申し訳がないと先生を説得する心構えだったが、予想外に、小奈津のほうは何かを考え込んでいる様子だった。
「……もし、それが本当なら、ものすごく有難いです」
ぽつりと漏らした小奈津の本音に、私は目をぱちくりさせた。
「ならば、決まりだ。いい息抜きになるといいな」
こうして、私と先生は、代理として死者からの招待に招かれたのだ。
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