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1、
島が近づくにつれ、否応なく全貌が明らかになる。
濃霧に囲まれた抜刀島はどこにでもありそうな円盤型をした孤島だった。島を囲む断崖には岩礁が多く突き出ており、船をつけることが出来るのは、専用に設備された船着き場のみだという。
「船長さん、島の向こう側はどうなってるんだい?」
シンジが、クルーザーの運転席から船着き場を見据える年配の男へ聞いた。年配の男は、この中型クルーザーの持ち主で、私たち「招待客」を島へ送り迎えする依頼を受けているという。
手紙の招待主とは面識がなく、時折、観光客や馴染み客からの希望でクルーザーを動かすという船長は、メールでのやり取りののち、今回の仕事を引き受けたのだ。料金は前払いで五割方支払い済み、残りは三日後に、私たちを迎えにきたときに入金されるという。
「向こうは、砂浜さね。砂浜いうと、海水浴だの思い浮かべるやちゃおるが、木々が生い茂って人が立ち入れん場所もある。むやみに探検などして怪我をせんような」
船長は癖のある話し言葉でため息交じりにそういうと、丁寧な運転でクルーザーを船着き場へつけた。
すでに上陸する準備をして待っていた私、先生、シンジは、橋が下ろされると順番に島へ降りた。
「ほかのやつらは、何やっとるんだ」
船長が、苛立たしげに吐き捨てて、ざっと島へ視線を向けたが、眉をひそめると視線を逸らす。その表情から、船長がこの抜刀島に対して怯えていることがわかった。
「お前さんらも、気ぃつけな。ここは、あの抜刀島だ。首狩り鬼が出たら、誰か殺されんぞ」
「あはは、ありがとう船長さん」
シンジは、幽霊やお化けの類など信じないといったニュアンスで返事をしたが、ふと真顔になって船長をみた。
「もし、このなかの誰かが殺されたとしたら、それは人間の仕業だよ」
シンジの言葉はもっともだ。
私と先生をはじめ、シンジ、ゼンヤ、そのほか二人の客がこの船に乗っているらしい。招待状に記された通りここまでやってきたが、いまだに招待主が現れず、この島にすでに到着しているのかどうかもわからない。
何もかも不明瞭な現状に、シンジは文句ひとつ言わないで招待状に従っていた。
招待状には別途詳細を記した箇所があり、そこには、この抜刀島にある迫田棚邸で二泊三日を過ごさねばならない、という旨が記載されているのだ。よって私たち招待客は、明後日の朝まで、この島に滞在することになっている。
「すまんな、寝過ごした」
大きなボストンバックを抱えた大柄な男が、どかどかと甲板を踏みしめながら現れた。
角ばった顎に広い額は、いかにも鍛えている男といった風体だが、顎に生えた不精髭はやや不衛生だ。どちらかといえば整った顔立ちをしているが、目じりや口元に小さな皴が多くあり、年齢の推測が難しい。
恐らく四十代だろうが、もしかしたら、三十代かもしれない。
「俺が最後か?」
「いえ、あと二人いるそうですよ」
答えたシンジに、大柄な男が視線を向ける。濃緑色の薄手コートを羽織ったその男は、渡し橋を軋ませながら上陸すると、真っ直ぐシンジへ向かって歩いてきて、その顔を食い入るように見た。
「……貴様、ササキガワシンジか」
男の声に、あまり強気な響きはない。本人も自分が口にした名前で合っているのか、自信がないのだ。
シンジは苦笑をして、頷いた。
「ええ、お久しぶりですシノザキ刑事」
「おい、本当にお前かよ。てめぇがいるなんて、こりゃやべぇな」
「酷い言い方ですね。八年前に、僕の容疑は晴れたでしょう?」
「お前が犯人である証拠が出てこなかっただけだ。犯人じゃない証拠もねぇよ」
どうやら二人は知り合いで、しかもこの大柄の男は、刑事らしい。ふたりの話を何気なく聞いていると、シンジが私を振り返って、微かに笑った。
「せっかく下の名前を名乗ったのに、本名がバレちゃった」
「あら、隠してたんですか」
「そういうわけじゃないよ。でも、下の名前で呼んでもらったほうが、仲良くなれそうだと思ってさ。これからも、下の名前で呼んでよ」
そのときになって初めて、大柄な男――シノザキ刑事は、私を、そして湾岸沿いを眺めている先生をみた。
「誰だ、お前ら」
言葉だけを見ると不躾だが、シノザキ刑事の表情はきょとんとしていた。どこかしら、少年のように無垢にも見える表情だ。
「リンコといいます。招待状を貰ってきました」
「そっちの男もか?」
「あ、この人は、私の付き添いです」
「……あ? 付き添いって。参加はひとり厳守って書いてあっただろうが」
眉をひそめたシノザキ刑事に、シンジが会話に入ってきた。
「彼女の招待状には、同伴者が可能とあったようです。女性に対する配慮ですかね」
「んな配慮するやつなのか、この招待主は」
シノザキ刑事は、何かを考えるように眉をひそめて黙り込んだが、すぐに顔をあげて私を見た。
「お前らの顔には見覚えがねぇ。八年前の関係者じゃねぇな」
シノザキ刑事は、ボストンバックを抱えなおして、ふんと鼻を鳴らした。
今更だが、シノザキ刑事は随分と背が高い。先生より背が高いので、見上げると首が痛くなるほどだ。
「桜子とは、小学生の頃に一緒に登校していました。同じ地区に住んでいたので。彼女との関係性はそれくらいです」
「へぇ、八年前、で通じるのか。こりゃ怪しいなぁ」
「……怪しいって何がですか。私が、八年前の事件に関わってるといいたいんですか」
咄嗟に強い口調で返してしまったのは、私は今、小奈津の身代わりとしてここに来ているからだ。シノザキ刑事は私個人に言ったに過ぎないのに、まるで小奈津が言われたような錯覚を覚えてしまった。
言ってしまってから後悔したが、シノザキ刑事は軽く右手を振って「悪かったよ」と謝罪をした。
「冗談に決まってんだろ、マジな返事はやめろ。俺はたしかに事件担当だったが、所詮警察の末端のひとりだ。権限を持ってたのは別の先輩刑事だったからな。そんでも当時のことはよく覚えてる。容疑者の名前も顔も、ここに入ってるんだ」
とんとん、とシノザキ刑事はこめかみを指でたたいた。
「あれから八年経って、なんと、殺された本人から誕生日だかの招待状が届いた。こりゃ、何か起るぜ」
シノザキ刑事は、白い歯を見せてにやりと笑った。
クルーザーから降りてきたときはどんな怖い人かと思ったが、見た目とは違って、随分とユニークな性分をしているようだ。
そして、やはり。
このクルーザーで抜刀島へきた人たちは皆、緑川桜子からの招待状に導かれてやってきたのだ。
今の話の内容からすると、このシノザキ刑事も桜子から招待状を貰っている。私は、そっとシノザキ刑事とシンジを見て、目を眇めた。
どちらも八年前の事件に大きく関わる人物だ。
その人たちが、桜子という被害者本人からの招待状を受けて、此度の誕生日パーティとやらに参加する。
それが不思議でならない。死者からの招待状など、悪い冗談だと一笑に伏したり、くだらないと無視したり、取り合わないこともできるのに。
小奈津宛ての招待状にあったような脅し文句が、この二人宛ての招待状にも書きつけてあったのだろうか。断る選択肢を与えないような、そんな脅し文句が。
「つか、他のやつらはまだかよ」
「シノザキ刑事も、僕たちを待たせたんですよ」
「ちょっとじゃねぇか。……お、やっときやがった」
シノザキ刑事の視線をたどってクルーザーを見ると、大きな黒いリュックサックを背負った黒縁眼鏡の青年が、よたよたと現れた。顔も身体もふくよかな青年は、すみませんすみませんと謝りながら、渡し橋を渡ってきた。
「お、お、お待たせして、しまい、ました」
青年は青ざめた顔でそう言うと、口元を押さえながら、深く頭をさげた。
「ふ、ふなよい、したみたいで」
「あら。大丈夫ですか、お薬ありますよ」
「け、け、けっこうです。お気持ちだけ」
ポシェットを探ろうとした私は、その手を止めた。うっすらと、青年の口調から『見知らぬ人から食べ物など怖くて貰えない』といった響きを感じたのだ。
確かに殺人事件でも起きそうな状況ではあるが、強く拒否されたことに驚いた私を見た青年は、慌てて両手をぱたぱたとふった。
「あ、ち、違うんです。お、お気持ちは、本当に嬉しい、んですが。僕、その、薬を色々飲んでるので、飲み合わせとか、ありまして」
「そりゃ本当だぜ、お嬢ちゃん」
シノザキ刑事が、懐を探りながら言った。横から挟まれた声に訝った青年は、シノザキ刑事を振り返って、『ああっ』と声をあげた。
どうやらこの青年も、知り合いのようだ。
「そいつの名前は、カツラタクマ。緑川桜子の隣に住んでいた、桜子の恋人だ」
タバコの箱を取り出したシノザキ刑事は、器用に歯で一本取り出すと、顎をしゃくってカツラタクマを示した。
「身体が弱くてな、薬を、腹が膨れるほど飲んでやがる。まぁ、あれから八年だ。当時とは様子が変わってるかもしれんがな」
「ど、どうして、刑事さんが、ここに」
「おう、招待状を貰ってな」
「えっ、刑事さんも、桜子から? ……そ、そうか。僕だけじゃ、なかったんだ。よ、よかった」
タクマは、心底ほっとしたように息をつく。
そういえばタクマは、船酔いのためか、持病のためか、船旅の最中、部屋にこもって出てこなかった。
初対面ということもあり、私は「リンコです、よろしくお願いします」と頭をさげた。タクマも慌てながら自己紹介と会釈をくれた。
最後にゼンヤが下りてきて、この島で二泊するメンバーがそろった。
全員で、六人。
それは、私が想像していたよりも少なかった。だが、これで全員であることは間違いないようで、船長は下りた人数を確認したのち、船に渡した橋を取り除いた。
「じゃ、わしは戻るが、あんたらくれぐれも気ぃつけぇ」
船長は叫ぶように私たちに言うと、クルーザーをゆっくりと発進させた。
「ここまでありがとうございます!」
シンジが叫んだ。
「二日後の朝にくるからなぁ、ほんに、気ぃ付けて過ごせよぉ!」
船長は人の好い笑みを浮かべたが、ちらっと島を見ると身体を震わせ、そそくさと立ち去っていった。
離れていくエンジン音が、無性に心許ない。
抜刀島は無人島だ。
招待主がいなければ、私たちは三日間食料なしのサバイバルをすることになる。もっとも、それを予測して、私と先生は、二人分の食料を持ってきているのだけれど。
私たちは、誰ともなく、船着き場から一本道になっているなだらかな坂を登り始めた。
もしこの時点で、誰かが「やめよう」と言っていたら、未来は変わったのかもしれない。だが、ここにいる誰もが招待状の内容に操られ、心を蝕まれていた。誕生日パーティに出席せねばならないという使命感に支配されていた。
そういった点からいうと、すでに、私たちは正気を失っていたのだ。
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