一章:まつりのあと

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和泉のバイクはたんぼと畑と民家しかない集落を抜け、川沿いの道をしばらく走った。  途中、一軒だけある小さな商店に寄ってアイスを買い、丘の上の大楠の下で停まった。 「ほんとに大きな樹だな」   集落はうだるようだったのに、大楠の木漏れ日の下はつねに涼しい風が吹いているみたいにひんやりとして心地よかった。  二人は祠の脇の隆起した根っこに並んで座った。   「なんの祠なの?」  古くて小さい鳥居があって、ちゃんと左右に狛犬も鎮座している。  その奥の大人の背丈ほどの祠宮の扉は固く閉ざされていて、ご本尊はみえない。   「あれだよ、見えるだろ」  和泉が示したのは、大楠の幹に刺さった剣だった。 「あれ、なに?」 「伝承では、あの剣は悪さばかりしていた鬼を封じるために旅の高僧が名のある鍛冶屋に鍛えさせ、鬼を封じた斬禍の剣だそうだ」 「すごい霊剣なんだ」  鬼を封じたまま、若い楠は成長して現在に至ったのか。 「蛇神を信じてないかって訊いたよな」    剣を見上げながら、和泉が言った。   「え? ああ、うん」 「言っとくが、あの家の誰よりも俺は蛇神を信じてるぜ」 「そうなの? でもあんまり…」 「信じてないのは、蛇神が生贄の代わりに瀬川の家を守護してるっていう都合のいい話の方」 「そういう約束、というか契約なんじゃないの?」 「契約? ははっ、モノは言いようだな」 「違うの?」 「奸計をめぐらして蛇神を騙し、子を攫ってその命と引き換えに富を得たのが瀬川の先祖だぞ。契約なんて呼べるか」  和泉の口調はあからさまに瀬川の先祖を軽蔑しているようだった。 「蛇神はいまも子供を探してあの屋敷を徘徊してるんだ。子供への執着だけがあの家に蛇神をつなぎとめているのさ」  和泉は瀬川の家に引き取られてから、瀬川の家と集落の伝承についての文献を片っ端から読破したのだそうだ。 「じゃ、生贄っていうのは?」 「偽卵って知ってるか? 鳥の親に抱かせるニセモノの卵のことだよ」    それって…つまり。  蛇神を騙し続けるための身代わりの子供。 「だから一族で一番年若い子供が生贄に選ばれるんだ。蛇神は自分の子供だと思って連れてゆく。俺の母親は幼いころに一度、生贄にされた子供の成れの果てを見たって。言葉も知能や感情も全部、抜け落ちた生きた人形として本家で丁重に幽閉されてその生涯を閉じる」 「酷い……」 「あんな家に死ぬまで繋がれて、飼い殺しにされるなんてまっぴらだ。だから母さんは俺を連れてここを離れたんだ」 「この土地の人だったんだね、お母さん」 「仕組まれてたのさ、最初からなにもかも」    和泉は吐き捨てるように呟いた。  出生そのものが、瀬川の家の犠牲になることが前提だったんだとしたら、和泉の怒りはもっともな話だ。 「瀬川の家系はそうやって存続してきたってこと?」 「祭りの前年に俺の母親が事故に遭い、俺が本家に引き取られ生贄の候補にされるなんて、出来すぎていると思わないか?」    和泉の母親は郷里に戻ることも、瀬川の庇護を受けることも拒否しつづけ、息子を護りながら生きてきた。 「まさか」 「整備不良だったっていうんだぜ、母親の車のブレーキが効かなかったの。その前の月に車検を受けていたのに」  和泉は暗い眼をしていた。  郁葉は何も言えなかった。 「どうするつもり?」  恐る恐る、郁葉は尋ねた。  和泉はこわばった郁葉の顔を見て、ふと表情を和らげた。 「おまえは知らなくていい。巻き込まれる必要なんかないだろ」 「逃げるの? それなら一緒に東京に行こうよ」  祭りはもう明日だ。  このままあの家にいれば、和泉は祭司にされ、蛇神に捧げられてしまう。  遠く離れた場所へ避難すれば、蛇神の執着から逃れることができるのではないだいだろうか。  しかし、和泉は首を振った。 「蛇神はもう俺を見つけてる。逃げればそれで済むって話じゃないんだ、どこまでも追ってくる」 「じゃ、どうすればいいんだよ」 「だから、おまえは関係ないだろって」  和泉は郁葉はのしつこさに若干呆れた顔で繰り返した。 「だって理不尽じゃないか、そんなの」  郁葉は腹をたてていた。  旧習にとらわれて、子供を差し出す瀬川の家にも、達観したかのような和泉の言動にも。  和泉はとうとう笑いだした。  「変な奴だな、ほんと」  そういいながら、和泉はもう一度、樹上を見上げた。  その横顔からはなんの感情も読み取れない。  つられて見上げた大楠は、ただ静かに風に葉を揺らしていた。
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