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「お母さんてどんな人だったの?」
なんだか和泉が話したがっているような気がして、郁葉は思い切って尋ねてみた。
和泉はアイスを齧るのをやめて、こっちを見た。
「なんで?」
「寂しいよね、一人でこんな遠くに来て暮らすの」
「挙句、明日には蛇神の生贄にされちまうもんなって、なんなんだよ、憐みか?」
「ごめん、違うんだ。そんなつもりじゃ……」
「なにが違うんだよ」
「話たくないなら、忘れて、今の質問」
「結局好奇心かよ、余計な…」
べちゃっ
「べちゃっ?」
夏には日本で一番売れるという大きくて安くてガリガリした食感のソーダ味のアイスは、そもそも袋を開けた時点ですでに溶け始めていた。
半分ほどの大きさになっていた水色のアイスの残骸は、バーから崩れ落ちて和泉のシャツのお腹辺りに無惨な姿で着地していた。
「~! 冷たっ」
慌てて立ち上がって払い落とすが、水色の甘い汁で和泉のシャツはすでに汚染されてしまっている。
「そっちにしとけばよかった」
和泉は手についた甘い汁を舌で舐めとりながら、恨みがましく郁葉のバニラ味のカップアイスをジト目で見てきた。
急に気の毒になって郁葉は食べかけのカップを差し出した。
「半分やるよ」
「いらんわ!」
郁葉の申し出を秒で断ってから、和泉はふっと小さく息を吐いた。
「なんか、調子狂うな、おまえと話してると」
郁葉の差し出したハンドタオルを、今度は素直に受け取ってシャツを拭いながら、ぼつりぽつり、母親の事を話し始めた。
「物心ついた時から、俺は母さんと二人だった。だから父親がいないことを気にしたことはなかった。とにかくしょっちゅう引っ越ししてたから、友達ができなくても気にならなかった」
けっして目立ってはだめ。運動も勉強も平均でいいの。お友達を家に呼ぶのはだめ。先生や友達にお父さんのことを聞かれたらわかりません、と言うのよ。
本籍を東京に移し、苗字を変えるために、一時、誰かと結婚したことになっていたが、和泉がその父親に会ったことはない。
何から逃げているのかを知らされないままでも、母親がいれば大丈夫なんだと、幼い和泉は感じていた。
「あなたは好きなように生きていいのよ」
高校に入学して、進路について悩みはじめていた和泉に母親はそう言った。
勉強に本腰をいれられるよう、はじめて学年をまたいで同じ学校に通うことができたのは、母の精一杯の気遣いだったのだろう。
けれど、その頃から和泉は自分の影が重たくなったような錯覚を覚えはじめていた。
まとわりつく粘性の気配は、夜となく昼となく和泉の周囲を浮遊し執着し、その奇妙な実体感はときにさわれそうなほどリアルだった。
わけのわからない存在に怯え苛立つ和泉に、母親はある日、すべてを話してくれた。
「ふだんは陽気で読書が好きで、サボテンに名前をつけるような少女趣味な人だったよ」
「なんて名前?」
「サボちゃん」
「そのまんまじゃん」
「俺もそう言ったけど、名前はわかりやすいのが一番とか言ってずっとサボちゃんて呼んでた」
あのサボテン、置いてきちゃったなぁ
と呟いた和泉の声は揺れていた。
郁葉は、食べ終えたアイスのカップをもてあそびながら、和泉が顔を上げるまで黙って集落を眺めていた。
生温い風が雨の襲来を予感させていた。
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