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翌日は夜明け前からバケツの底が抜けたみたいな土砂降りだった。
蛇神が呼んだ雨だと、世話人たちは嬉しそうだった。
友介と郁葉は末席に設けられた招待客用の座布団の上で、慣れない正座に悪戦苦闘していた。
祝詞が始まると、屋敷は異様な雰囲気に包まれた。
蛇神をおびき寄せるため、祭壇には生の魚と新鮮な玉子が供えられ、動物の毛を燃やした煙が強烈な臭気で大広間を燻し満たしてゆく。
蛇神の嗅覚を奪って、子供が偽物だと悟られないようにするんだ。
踊るような篝火、途切れなく続く詠唱。
重低に響く人声と煙の臭いに耐えられず、広間の外へ逃れようと思った矢先、装束を纏い目鼻のない白面をつけた和泉が人々の輪の中へひっそりと進み出た。
詠唱のリズムが変わり、錫杖と鈴の音が高揚感と乖離感を増長させてゆく。
和泉の舞踊がはじまった。
篝火がはじけ、影が大きくなってゆく。
獣の毛の燃える嫌なにおい、無表情に詠う沢山の人の顔、揺れる火影、鈴の音。
空間が奇妙にねじれ、歪んで見える。
天井に不吉な影が揺れている。
中央では和泉が足音もたてず息も乱さず、蛇神に奉納する舞に没頭している。
さっきから、その動きを追うように白い残影のようなもやが和泉の手足につき纏っているのに郁葉は気が付いた。
なんだ、あれ
その時、庭の方からざわざわと水を撒くような音がして、地面が小刻みに揺れはじめた。
詠唱が止み、人々は互いに顔を見合わせた。
「なんだなんだ」
「地震か?」
庭に面した障子がバタンっと音を立てて一斉に倒れた。
外は一面、瀑布のような豪雨だ。
強烈な水の匂いが広間に立ち込め、肌が冷えた。
ズザリズザリ
なにか重い物を引きずるような音がした。
音は庭の片隅の暗がりから、植え込みをなぎ倒し、化粧砂利の上を滑って、一直線に広間に向かってくる。
「ひぃぃっ」
勘のいいい何人かは逃げ出し、何人かはその這ってきたものに触れられて腰が抜け、その場にへたり込んだ。
メキメキと床板が軋み、重量のあるなにかが縁側を上ってきた。
冷たい肌をした大きくて怒りに満ちたなにか。
恐ろしくて、郁葉は振り向けなかった。
「和泉!?」
一同が庭の方へ気を取られていた一瞬を逃さず、和泉は面を投げ捨て、祭壇に駆け寄って刀掛けから太刀をとった。
瑪瑙の高価な細工を施した鞘を一気に取り払い、勢いをつけて祭壇中央に向け太刀を振り下ろす。
白木を組み立てた頑丈な祭壇は、信じられないくらいあっさりと一撃で真っ二つに両断された。
「な、なにをするんだ、和泉!?」
賢吾が眼を見開く。
誰の目にも、それが模造品のなまくらな刃でないことはわかった。
鍛えられた刀身に篝火が鈍く反射する。
そのツカに、郁葉は見覚えがあった。
なんであの剣がここに!?
「和泉、何をする、やめないか」
色をうしなっが賢吾が叫ぶが、間に合わなかった。
二つに分かれた祭壇を蹴りのけると、その下には大人の腕で一抱えほどもあるいびつに丸い岩が古い注連縄でぐるぐると巻かれて封印されていた。
「力を貸してくれ、斬禍の剣よ」
和泉がそう囁くのと同時に、剣から青い炎が立ちのぼった。
刀身もツカも、それを掴む和泉の腕も、青い炎に包まれ、燃え上がる。
「やめろ、やめないかっ」
賢吾が絶叫する。
和泉は上段に構えた斬禍の剣を、ためらいもなく一息に岩に向かって振り下ろした。
剣は注連縄を断ち切り、岩肌を砕きながら岩にめり込んでいった。
亀裂の入った岩肌から、青い炎が噴き出し、剣を伝って和泉の身体に燃え広がってゆく。
「っつぅ……」
それでも和泉は剣を離さなかった。
鮮やかな燐光のような炎が和泉の肌も髪も音もなく燃やし尽くしてゆく。
岩が内包するエネルギーと斬禍の剣のもつ力が拮抗しているのだ。
天井にまで燃え上がった青炎にまかれた、和泉の身体がグラつく。
失神しかけているのだ。
躇っているヒマはなかった。
「和泉っ!!」
「なっ、なんでおまえ」
和泉の手に自分の手を重ね、郁葉は力を込めて剣を押し込んだ。
バキッ
鈍い手応えがあって、斬禍の剣が折れた。
同時に岩は粉々に破砕し、その中央から子供の頭ほどもある石英の結晶が転がり落ちた。
六角柱の形をしたその結晶は透明で、その内部で白くてちいさなモノが無数に蠢いているのが見えた。
「蛇神、お前の子はここだ、受け取れ」
和泉は石英を片手でつかんで放り投げた。
「やめろー」
叫んで追いすがる賢吾。
すべては一瞬の出来事だった。
胴回りが牛ほどもある巨大な白い蛇が、シュルシュルと畳の上を滑り寄り、石英ともども賢吾をくわえて運び去った。
直後、生臭い突風が広間を吹き抜け、地響きをたてて足元が崩れ始めた。
「郁葉!」
落ちてくる天井を見上げていた郁葉を誰かが力任せに引き寄せた。
土煙と轟音があたりをつつみ、視界を闇が支配する。
それきり、なにもわからなくなった。
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