二章:まつりのまえ

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 その昔、このあたりにはたくさんの物の怪たちが棲んでいた。  里で暮らす人間と森に暮らす動物、そのさらに奥に広がる魔境の山には物の怪と恐れられる異形異能の住人たちが、時々人間に悪さを働きながらもある一定の節度を重んじて暮らしていた。  老熟した鬼たちは人里には近づかなかったが、まだ若く好奇心に満ちていた赤角の鬼は、時折、山菜や薬草をとりに人が分け入ってくる二本松の滝のあたりまで降りていっては、やってくる人間を脅かしたり化かしたりして弁当をかっぱらって遊んでいた。  ある日、鬼は一人の娘と出会った。  大きな黒い瞳をした粗末な身なりの娘だった。  娘は鬼を見ても恐れなかった。  鬼があまりに巨躯なので驚きはしたが、怖がったり避けようとはしなかった。  鬼の赤い角が綺麗だと言ってくれ、優しい声で笑ってくれた。  娘はそれから何度も二本松の滝へやってきた。  里で流行っている歌を教えてくれたり、自分でこさえた質素なお菓子を分けてくれた。  鬼は娘の背負い籠に入りきらないほど山菜や魚を持たせてやり、獣に襲われないよう里の近くまで送っていくようになった。  娘はとある庄屋屋敷に奉公しているのだと言っていた。    ある闇夜の晩。  娘の兄が庄屋屋敷に盗みに入った。  庄屋屋敷の若い息子がそれに気付いて揉み合った。  顔を見られた兄は、息子を殺めて逃走した。  屋敷は大騒ぎになった。跡取り息子に死なれた庄屋は半狂乱だった。  娘はどうしても兄が盗みに入り、息子を殺したとは言えなかった。  屋敷の使用人がふと、鬼の仕業じゃないか、と言い出した。  最近、このあたりで赤い角の鬼を見た者がたくさんいた。  「そうだ、そうだ」と皆が言った。  「違う」と娘は言った。  その声は誰の耳にも届かなかった。   犯人は鬼ということになった。
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