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第1話 幼馴染
ある日、夢を見た。
一面は青一色に染まり、穏やかな波が浜辺を覆っては海へ帰っていく。
どこかで見た風景だった。
だけど、どこで見たかを思い出せない。
思い出せないということはその程度のことなのだろうと、踵を返そうとした時、ふと背後から声が聞こえた。
「――ちゃんが、もう少し――ったら。いっし―――って、―――ぼう。ね」
だけどその声もさざ波と一緒に消えていった。
目覚めはあまり良くなかった。
まだ少しだけ身体が重い気がしたが、今日から高校生活が始まる。
初日から遅刻というのも格好が悪いので、そのまま準備することにした。
「かんちゃん、おはよう!」
「七海か、おはよう」
家を出たところで七海が待っていた。
生まれたときから一緒にいる、俺の筋金入りの幼なじみ。
身体が弱くて、引っ込み思案で、そんな彼女を小学校からずっと守ってきた。
高校も彼女に合わせるためにわざとレベルを落とした。
それが当たり前だと思ったから。
だから俺は開口一番にこう言った。
「まだ寒いんだから、無茶すんなよ」
「大丈夫だよ、今来たところだし、ちゃんと厚着、してるから」
「それでもさ、体壊すかもしれないんだから気をつけろって」
「だって、かんちゃんと、高校も同じ所に通えるんだもん。一緒に通いたいんだもん」
七海は少しだけ頬を膨らませ、俺に抗議の視線を送ってくるが、それに応じる必要はない。
事実は事実なのだから。
身体が弱い七海は、しょっちゅう体調を崩す。
その度に保健室へ連れて行ったり、背負って家まで送ったりすることなんて日常茶飯事だった。
「だから、俺がお前の家まで行くから、おとなしく待ってろよ」
「う、うん…」
口ではこう言うが、実際のところ七海と一緒に登校できることが、俺にとってはとても誇らしかった。
だから一緒に行かないという選択肢なんかない。
「ほら、行くぞ」
「あっ、かんちゃん、待ってよ」
ここで問答を繰り広げても仕方ないので、俺達は駅に向かって歩き始めた。
高校へは電車を使っての通学になる。
家を出た時間が少し早めだったこともあって、通勤ラッシュに巻き込まれることはなかった。
「あんまり混んでなくて、よかったね」
「・・・あぁ」
些細な事でも笑顔を向けてくる幼馴染。
身体は強くないのに、無茶をしては倒れる、そんな幼馴染。
俺はこれからもこの笑顔を守っていかなければならないと、そう思っている。
これが恋愛感情なのかどうかはわからないけど、好意を持っているのは確かだ。
(・・・らしくない)
目覚めが悪かったせいか、身体が少し重いせいかはわからないが、そんなことばかりが頭の中を巡っていく。
「・・・そうだな」
俺はその思考から逃れるように、声を絞り出した。
降りた駅から少し歩いたところに通う高校、北高はある。
クラス分けの紙が入口近くに掲示されており、残念なことに七海とは別のクラスになってしまった。
七海も「別のクラスになっちゃったね・・・」とあからさまに肩を落としていたが、「別に、何かあればくればいいだけじゃん」と声を掛けたら、困ったような顔をしながらに笑った。
俺も思うことがないわけじゃない。
でもこればっかりは仕方ないと早々に諦めることにした。
七海と一緒に帰る約束をして、それぞれの教室に入る。
教室では矢野というやつに声をかけられたが、すぐに入学式が始まるということでそこまで大きな会話はなかったし、入学式も長ったるい校長の話や祝辞、新入生代表の挨拶と、滞りなく進んでいった。
代表挨拶は平井とかいう男子だった。
俺も頑張ってたら今頃あそこに立ってたのだろうか、とふとそんな事を思ったけど、頭の中に浮かんだのはやっぱり七海の笑顔だった。
(別に、どうでもいいか…)
そう思ったら特に気にならなくなった。
教室に戻ったら、軽い自己紹介をして今日は解散となった。
七海とどこで待ち合わせをするか決めてなかったので、クラスまで迎えに行くことにした。
クラスの後ろから中を覗くと、ちょうど鞄を持って出てこようとする七海の姿が見えたので声をかける。
「七海」
「あっ、かんちゃん!」
こちらに気づいた七海の声が陽気に響く。
クラスの何人かがこちらを見ていたが、そんなのは関係ない。
「…帰るか」
「うん!」
入学式だけだったこともあって、日はまだ高い。
俺の母も、七海のおばさんも、入学式には来ていなかった。
七海と一緒に高校近くの商店街を歩く。
「ねね、かんちゃん」
「ん…?」
「自己紹介、うまくできた?」
七海は突然、首を傾けてそんなことを聞いてくる。
その表情は少しだけ悲しそうにも見えた。
「まぁ、自己紹介にうまいも何もないと思うけど、特に問題はなかったと思うぞ」
「そっかぁ…」
「何かあったのか?」
「うん、自己紹介でね、緊張しちゃって、言いたいこと、噛んじゃって…」
「…は?」
よくわからないことを言い始めた七海に対して、思わずそんな声が出てしまった。
自己紹介を噛んだくらいで何故そんなに落ち込んでいるのか、俺には理解できない。
だけど、七海が悲しい顔をしているなら、俺のやることは決まっている。
自然と七海の頭の上に手が伸びた。
「ふぁっ…!?か、かんちゃん…!?」
驚いた七海の声を無視して、そのまま髪をくしゃくしゃと撫でる。
身体が跳ねて、真っ赤になった七海を見ながら、ぶっきらぼうにこう告げてやった。
「別に、自己紹介を噛んだくらいで、死にたくなるわけじゃないだろ?」
「そ、そうだけど…」
昔から体が弱いせいか、大人しくて、気が弱くて、引っ込み思案で。
たぶん、そうたぶん、クラスに馴染めるかどうか不安になっているだけだ。
「例え何かあったとしても、俺が傍にいてやるよ」
「うん、ありがとう…」
少しでも七海の不安が取れるように、ゆっくりと頭を撫で続ける。
顔を真っ赤にしながらも、笑顔を見せてくれる七海。
この笑顔さえあれば、俺はきっと七海に何も望むことはないだろう。
恋愛感情かどうかさえわからない、この感情さえあれば。
俺は明日も生きていける。
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