第一話 人生で一番の美人

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第一話 人生で一番の美人

 質問です。  あなたは、私があなたではないイケメンのことをうれしそうに話しても平気ですか? 「俺さ、あんな美人初めて見たよ。(すい)翠、西淳子さんって知ってる?」  私がリビングに足を踏み入れると、市野さんは興奮していた。新しいプロジェクトの取材を受けた時に、とてもきれいな編集者に会ったらしい。 「黒髪のショートで、目がパッチリ大きくて、鼻もこう高くてさ」 「う~ん。何かで見たことあるかも……」 「まさに和美人、大和撫子って感じ。彼女さ、いろいろな雑誌とかテレビにも出てるんだって。あれだけ美人ならそうなるよな~」  意外。市野さんみたいな人は、見た目よりも頭の良さや内面を重視するのかと思ってた。  話したくてウズウズしてるのを邪魔してもアレなので、リビングのソファに座って話に乗ることにする。 「市野さん、ああいう人がタイプなんだ」  パソコンを取り出して、仕事の続きをしながらだけどね。 「タイプなのかな~。てかさ、あのレベルの美人になるとタイプの概念超えない?」  概念、か。 「タイプだ、タイプじゃないで興味のあるなしを決めたら損だと思う」  損っていったい何の損? 「しかもさ、翠と同い歳だって。今度、翠も会えるようにするからね」  ……。  市野さんはいろいろとスゴい人だ。  若い時に起業して、日本だけでなく世界からも引く手あまたの会社に成長させた切れ者。加えて、超仕事人間であることと、型破りな人間性もよく知られている。彼自身がスポークスマンとなって表に出ているからか、私ですら知り合う前から話し方や笑った顔を良く知っていた。  もちろん、知らなかったこともある。市野さんは人の気持ちを察することをしない。良く言えばピュア。考えと行動が直結していて、人間の気持ちはすっ飛ばす。そうして集中的にエネルギーを使って、物事の達成まで突き進むんだと思う。悪く言えば鈍感で空気を読まない。仕事をしている時の彼はほとんど知らないけど、女子会でネタになりそうな振る舞いはたくさん見てきた。  でも、私は大丈夫だった。重要でない話をスルーする能力は、社会人生活で鍛えている。キーボードを叩きながら耳に入ってくる言葉を右から左へ流し、この話題が終わるのを待てばいい。  パチパチパチパチ……。  画面に集中していると、突然背後から市野さんに抱きしめられた。大柄の彼に包み込まれると、仕事中でもキュンとしてしまうから困る。だけど今はダメ。私の肩に顎を乗せる市野さんを押しのけて、パソコンの画面が見えないようにした。 「仕事のメールに返信してるから」 「ちょっとこれ見てよ」  あーもー。  仕方ないので、パソコンを少し閉じて画面を隠す。でも、差し出された携帯の画面を見てガッカリした。 「もう、西さんの記事がアップされてた」 (ま だ こ の 話 題 ?)  西さんと思われる女性と市野さんの対談風景だった。この女性は見たことがある。そして本当にきれいな人だ。 「うん。きれいな人だね」 「でしょ」 (でも私の方が胸はある。ふー)  別にいいんだよ。いいんだけどね。  自分でない女性のことをきれいだ、素敵だ言う男を良く思う女っているのかな?市野さんに悪気がないことはわかってる。彼は素敵な人に会ったことを私に共有してくれているだけ。 (でも、それいらないから)  相変わらず私の肩の上で、満足そうにニコニコする市野さん。私が記事を読めるように携帯を持たせると、空いた腕であちこち撫でたり肩や頬にキスをし始めた。 (いつもホントに突然で) 「翠が好き」 (流れがおかしい)  私に好意をもってくれてるのはわかってる。何度も言葉で伝えてくれてるし、市野さんが誰かとの電話で私のことを“彼女”と言うのも聞いた。でも、こんな風に行動がちぐはぐだから、私は今でも割と頻繁に戸惑ってしまっている。 (まぁ、いいか)  私は触られるのが好き。一緒にいる時はできるだけ長く触っていてほしい。その時に、市野さんが誰のことを考えていても構わない。だから私はいつもされるがまま、徐々にしつこくなっていく市野さんの愛撫に身を任せてしまう。  だって、気持ちいいことは気持ちいいんだもの。 ■■■■■  “あんな美人初めて見た”発言から二週間が経った。  市野さんは一週間くらいどこかに出張していたし、私も忙しくて会っていなかった。だから、今週末はテニスをしたら、後は市野さんの家で過ごそうと思ってる。久しぶりにゆっくりできそう。 「お邪魔します」 「おー、早かったね」  玄関から声をかけると、遠くから返事が聞こえた。何やらいい匂いがする。インスタント食品の匂いではないし、お昼でも作ってるのかな。  市野さんが料理をしている姿はこれまで一度も見たことがなかった。一人の時は適当に買ったり食べなかったりしてるみたいだし、私といる時は外で食べたりデリバリーやテイクアウトをすることが多い。 彼には生活感がまったくと言っていいほどないのもあって、家事はできないものと勝手に思っていた。 (だからって私が作るのも、押しかけなんたらみたいで微妙だしね)  でもキッチンを覗いてビックリ……。普段は使われずにピカピカしているキッチンカウンターに食材がたんまり出されていたのだ。 「どうしたの?」 「ん?」 「料理なんて珍しい」  カツオ、エビ、いろいろな貝類と野菜、そしてたくさんの調味料……。何を作ってるのかはわからないけど、魚介の処理ができるほど料理ができるとは思っていなかった。 「今日さ。パーティーすることになったの」 「パーティー?」 「うん。こないだ話した西さんがさ、一緒に飲みたいって。だからいろいろ誘って集まることにしたんだ」  あら。 「へー。それで市野さんがこんなにたくさん料理を作ってるんだ」  だって、この量は控えめに言ってもかなりすごい。 「声かけてく内に結構な人数になっちゃってさ。ちょっとこっち来て」  手招きされて市野さんの隣に行くと、口にタコの切り身を入れられた。マリネを作っていたらしい。 「おいしい」 「良かった」  こんなにワクワクしている市野さんも初めて見たかも。家で仕事をしている時は難しい顔をしてるし、基本的にいつもものすごく忙しそうなのだ。 「西さんさ、バツイチで十歳の子供がいるんだって。その子をわざわざ親に預けて来てくれるっていうからさ。おいしい物たくさん食べて、楽しんで帰ってほしいじゃん」  そういうことね。 「仲良くなれるといいね。西さんと」  と、にっこり笑って返す。  嫌味も言いたくなるのを許してほしい。だって、私はぶっちゃけ“西さん”話はもうお腹いっぱいだった。市野さんから離れて、リビングのソファに向かう。 「あっ、そうだ!翠に見せたい写真があるんだった」  小走りでやって来て隣に座り、また携帯を見せられた。今度は何?と思う暇もなく、予感は的中。また西さんの写真だ……。 「これさ、すっぴんなんだって」  表示されていたのは西さんのSNSアカウントで、写真の中の西さんは競泳の水着を着てプールに胸まで浸かってた。「今日もいっぱい泳いだ~」とキャプションが付いている。 「西さん、トライアスロンやってるんだって。で、こうやって真面目なトレーニングしてるらしいんだけどさ、これがすっぴんってすごくない?」  市野さんは投稿されたコメントをスクロールして、彼女の美しさがベタ褒めされている様子を見せてくれる。 「女ってさ、化粧を落とすと誰だかわからなくなるじゃん。なのに西さんはこれだよ。本当の美人はすごいんだなってビックリしたよ」  すっぴんがブスでごめんなさい。でも、私はやっぱり笑う。 「すごいね」 「俺、今度トライアスロンの試合を観に行ってみようと思ってるんだ」 「へー。ロングディスタンスとショートディスタンスどっち?」 「何それ?わかんない」 「食材が悪くなっちゃうよ。早く料理した方がいいんじゃない?」 「おっ、そうだ」  キッチンに戻ってくれてありがとう。  でも、何なんだろ。市野さんの西さんへの態度は、とっくに興味や好感の域を超えてるように思える。 「翠もテニスバリバリやってるじゃん。だから絶対、話合うよ」  市野さん、私がテニスをしてるの見たことあったかな……。  でも、いいや。市野さんは毎週末休める人じゃない。せっかくフンフン鼻歌を歌いながら料理をがんばっているんだし、水を差すのは良くない。 (でも、二人でイチャイチャする時間はないよね……) (西さんが来たら、市野さんはもっと浮かれるのかな……) (私、今日なんで来たんだっけ?)    そんなことをフツフツと頭に浮かべていると仕事が手につかなくなって、気づくとソファから立ち上がっていた。市野さんは電話をスピーカーにして対応中。仕事の電話、たぶん相手は会社のパートナーの上村さん。 その間に帰り仕度をして、静かに家を出た。  私は怒ったりヤキモチをやかないようにしてる。今年で35歳になるし、もうそういうのはいいかなと思うから。だから、こういう時は距離を置く。波風を立てないように、ネガティブな感情とは無縁でいられるように。  ピロン♪  市野さんの家を出て10分後。地下鉄に揺られていた時にLINEが来た。 『買い物?』  電話が終わって、私がいないことに気づいたのだろう。 『悪いんだけど、ついでにオリーブオイル買ってきてくれない?家にストックなかった』  パチパチパチ、返信っと。 『用ができたので今日は帰ります。ごめんなさい』 『えっ、まじ?』  まじです。 『少しだけでも無理?俺、来週からまた出張だから翠と過ごしたい』 『みんなに紹介したいし、こないだ会った藤崎もくるよ』  テキストに続いて“お願いします”と拝むスタンプ。 『仕事も残ってるし、明日も早くて』  本当は仕事なんて残してないし、明日の予定は今から入れる。  嘘をつくのは申し訳ないけど、市野さんとまったり二人で過ごすつもりでいた装いと頭の私は、いきなり西さんと彼の友人に会う準備ができていない。市野さんの周りの人たちに紹介されることにも抵抗があった。市野さん、ごめんなさい。 ピロン♪ 『……そっか残念。次は絶対ね』 市野さんからの返事。私はホッとする。 『オリーブオイルは大丈夫?』 『いいよ。気にしないで。後で電話する』  これでDone。    私は、市野さんのこういうあっさりしたところが好きだ。恋愛が人生の中心にある二十代やそういう性格の人とではこうはいかない。彼のこの感じは一緒にいてとても楽で、私はかなり助かっている。  だって、この歳になるとひとりになりたい時が異様に増えるんだもの。 ■■■■■  あれ?と思ったのは、その日の夕方。自宅に戻ってゆっくり過ごし、SNSのタイムラインを眺めている時だった。  これでもかってくらいリア充全開な市野さんのタイムラインが目に入ったけど、指で上に送ってスルー。本当は相互フォローはしたくなかったけど、市野さんにボタンを押されてしまったんだっけ。  パチパチパチパチ……。  もらったコメントやメッセージに返信していると、一件異質なDMが目に留まった。 『藤崎です』  こんな始まり方だから目に入ったのかも……。  藤崎さんは市野さんの友人で、一度だけ会ったことがある。私のSNSを教えた記憶はないけど、市野さんのアクション履歴から探したんだろう。  いろいろな面でぶっとんでいる市野さんと比べると、藤崎さんは至って常識的な印象だった。なんでDMなんて送ってくるんだろう。つきあい上のあいさつか、市野さんに言いたくない話かな。  開いてみると、私を心配する言葉があった。 『今日は来られないとのこと驚きました。市野と何かありましたか?何を考えてるかわからない奴なので、何かあったら言ってください』  藤崎さん、モテそう。  本当のことは置いておいて、当たり障りのない返信をする。 『大丈夫です。お気遣いありがとうございます』  たぶん藤崎さんは西さんのことに気づいて、そのせいで私が嫌な思いをしたのだろうと察してくれたのだ。私が彼を“至って常識的”と思うのはこういうところ。 (実際のところは、当たっているようでそうでもないんだけど)  だって、市野さんは有名人だ。きっと毎日、私とは比較にならないほどの人と会う。彼自身も社交的で新しい人や物との出会いを好むタイプだし、ルックスだってかなりいい。浮いた話は聞かないけれど、陰でうまくやっているのだと思ってる。そんな彼がきれいな女性とどうこうしているからと言って、私がイライラしても仕方がないでしょう?   ピロン♪    もう寝ようかなと思っていた時、市野さんからLINEが来た。  お風呂を済ませて、髪を拭きながらぼんやりしていたところ。そろそろパーティーが終わったのかな。 『荷物持っていった?何かあった?』 (あっ、気づいたんだ)   ベッドに寝転んで返信しようと既読にすると、すぐに電話が鳴った。私が早寝なことを知ってるから、気づかってLINEにしてくれたんだな。 「もしもし」 「まだ起きててよかった。今、家だよね?」  市野さんに落ち着きがないように感じる。酔っている様子もまったくない。 「うん。寝ようと思ってたとこ」 「ごめん、遅くに。さっき皆帰ったから」 「ううん。大丈夫」 「あのさ……、服とか化粧品とか持って帰ったでしょ。さっき気づいて……」  そう。実は昼間、市野さんの家を出る時、少し置かせてもらっていた服や靴や化粧品を持って帰ってきた。 「あー、うん」 「ビックリした……」 「西さんと仲良くなった時に私の物があったら良くないなと思って、持ってきたの」 「いや、そんなの……」 「市野さんが良くても、たいていの女性はそう思わないと思う」 「……」  市野さんから返事がない。重い空気に我慢ができなくなって、軽いノリで続けた。 「で、どうだったの?西さんと仲良くなれた?」 「そんなんじゃない」 「料理すごくがんばってたのに」 「……ごめん」 「何が?」 「翠も良く思ってなかったんでしょ」 「ん?」 「俺が西さんの話ばっかりしてたこと」 (意外。気づいたんだ) 「藤崎に言われた。俺、全然気づかなくてホントにごめん」 「藤崎さんが?」 「翠は大丈夫なのかって……」  あぁ、そういうことなら納得。 「私は大丈夫だよ」 「……でも」 「気にしないから」 「俺、全然ダメでごめん」 「ダメじゃないし」 「なんで明日から出張なんだろ……。会いたいよ」  電話の向こうでショボンとしてる市野さんが想像できて、私の方が申し訳なくなった。  本音を話してしまえばスッキリする。だけど、市野さんは最初思っていた人とは違っていて、今は言ったらいけない気がしてた。  欲しいのは、彼氏じゃなくてセフレです。  はしたなかったら、ごめんなさい。でも、私だってでもしっかり考えて、こういう結論に至ってる。だって……  恋はかならず冷めるから。  電話の向こうで、ひたすらゴメンを繰り返す市野さん。彼の声はとても心地よくて、いつの間にか私は眠りに落ちてしまった。電話の途中で寝落ちるのは初めてではない。本当にごめんね、市野さん。
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