10ソフィアリの街へ

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10ソフィアリの街へ

あれから依然ミカは伏せる日々が続いていたが、母親や月に一度は滞在するジブリールの看護もあって小康を保って暮らせている。しかし番のバルクから訪ねてもカウチにもたれ寂しそうな、苦しそうな顔をすることが多くバルクは罪悪感から真っ直ぐにミカの顔を見られなくなっていた。 そんな中、弟のソフィアリに番ができたとの知らせに、モルス邸は俄に喜びに湧いたのだった。 特に父は自らがソフィアリの護衛としてラグを招いたこともあり、ソフィアリが彼と番になったことを手放しで歓迎しているところがあった。 しかしバルクは内心父のようには喜べないでいた。弟もあの逞しく恐ろしいほど強いアルファの執着の犠牲になってしまったのかと心配になったのだ。 しかし気がかりではあったものの、中々時間が取れず弟の様子を見に行けずにいた。 その頃バルクは中央とミカのいる街とを往復する二重生活に神経をすり減らし疲弊してきていたのだ。 そんな日々の疲労がピークに達したある日。 バルクはミカのいる別宅の居間で鮮やかな緋色の織物のソファーに埋もれるようにうたた寝しているところを、二人の母たちに見咎められた。 二人はたまたま似たような目の覚めるような青色のドレス姿で、まだ半覚醒のバルクに少し悪戯っぽい眼差しを注いでいた。そして起こさないように優しくそっと、上から織物を掛けてくれようとしていたようだ。 母たちは親友同士のように益々仲がよく、二人集まると少女の頃に戻ったような本来の闊達な感じが出ている。 ミカはもっと繊細だから父のレネに似たのだろうか。姉である全てを捨て父をも欺き偽装心中をしてまで駆け落ちしたエリは、きっとこの母に似てある意味逞しい姫君だったに違いない。 手を上げて上掛けを固辞し、バルクはだらしない所を観られたと恥ずかしく思って居ずまいを正しきちんと座り直した。 「バルク、アリソン様ともお話をしたのだけど。お前ソフィアリの様子を見にいってきてはくれない?」 ミカの出産が来月にまで迫った今こんなときに? 二階で午睡をとっているミカの眠る前までの頼りなげな姿を思い出す。 床につくことが多くて、さらにほっそりした手を握ってやったら嬉しそうにしていた。そんなことしかしてやれない自分の未熟さや不甲斐なさに、バルクは打ちのめされている。 こちらの屋敷でミカの傍についている間、バルクは離れ難く、出産を控えたミカは寝起きの時間が昼夜逆転しがちでバルクもそれにならって生活のリズムが狂いがちだった。 しかしここにいる間は不安を取り除いてやりたくて一時も離れずに傍にいてやりたかったのだ。 バルクのそんな様子を母たちもよく知っていた。 訝しげな顔をしたバルクにアリソンも口添えしてくる。 「ハレへの街は私がかつて身をおいた場所でもあるわ。メルト・アスターを訪ねてみて。あの人は国に先駆けてオメガの保護に尽力した方です。あの街ならば…… ミカの子を健やかに育てて行ける手掛かりがあるやもしれません」 この頃にはバルクはもう義理の母と腹を割って話ができるようになっていた。 「アリソン様、母上。やはりミカは中央で時が来るまでオメガと隠して生きること。子は別の場所で俺やミカの子とは知られずに健やかに育てること。その2つに賛成ですか」 この数カ月何度も家族で議論した話題だった。体調が上向いたときに、ミカとも話はしてある。 「ミカは悩んでいるようだけれど…… 子を秘密裏に育てながら仕事もすることは今のこの国では、困難よ」 「それに未熟な身体での出産は負担がかかるから…… 出産に適していると言われているオメガ女性の私でも、未成熟な時期のレオルの出産後は半年床上げできなかったのよ。予定通り先に手術で子を取り上げて、ミカ様はご自身の身体の回復に努めてもらわねば。その後のこともよく考えないと」 厳しく強くアリソンはソファーに座るバルクを見下ろして女神の神託のように言い放った。 「女の子であったら、バース性は関係なくこちらで育てて、伸び伸び好きなことを学ばせてあげたい。これは私達二人の望みね。 恋をして、愛する人が現れたらその時は惜しみなく協力してあげましょう。 男の子でベータやアルファなら、きっとどこで育ってもその技量でのし上がるでしょう。もしもさらに上の学問を志すようならば、イオルのところに行かせて求めるままに学ばせてあげましょう。もしも望むなら一旦イオルの所の養子としてアナンを継がせてもモルスを継がせてもいい。本人の意志に任せましょう。 その頃にはこの国はもっとオメガに寛容になり、貴方達が番であると公表できる日が来るよう、あなたも仕事で尽力なさい」 「男で、オメガであったなら?」 二人は首を振った。そのものが現状幸せに育ち育まれる場所が今はまだわからないからだ。 「だからお願い。ソフィアリがその答えを持っているかもしれないわ。ハレへの街を訪ねて頂戴」 ハレへの街は暑いぐらいの快晴だった。 久しぶりにあった弟は真っ白だった身体を少しだけ日に焼けさせて、忙しく幸せそうに暮らしていた。 今は新居とオメガを匿う施設づくりの現場に立って、一生懸命、街のこれからについてバルクに説明をしてくれている。その姿は中央にいるときよりも更に輝いていて、ついに彼は居場所を見つけてここで花開いていこうとしているのだとわかった。 「お前って、その発想力誰に似たんだろうな」 兄とともに、新居の隣の建設現場におもむき、黒髪を軽やかに風に舞わせるソフィアリは得意げに建物を指差す。 「そっちの大きいのがそう。農園で働くオメガとか、この地に来てくれて街で働くオメガたちがヒートになったらお互いに助け合ったり番と気兼ねなく過ごせる建物。ラベンダー畑の真ん中で街から少し離れているからフェロモンがでても問題ないでしょう?」 大きな瞳を輝かせて説明してくれる顔は可愛らしくも力強く、そうかこの柔軟な発想力はジブリー譲りなのだとバルクは自分自身で納得していた。 「で、こっちの小ぶりなやつがお前の屋敷か。田舎なんだから、うちよりでかく作ればいいのに」 「いいんだよ。これで」 ソフィアリは思わせぶりにうふふとわらった。艶めいて美しくて眩しい笑顔だ。きっとうっとりと番のことを考えていたのに違いない。 建設現場に立つラグがこちらを振り返ったからソフィアリはにこにこしながら手を振った。 「まさか、お前がそんな可愛い顔をするようになるとはねえ。あの男やっぱり流石だわ。親父も自分の目に狂いはなかった、見込み通りお前の番になったと自慢しいしい、鼻高々だったもんな。なんせ国の英雄だからな。」 ラグは軍部に多く籍を置くフェル族の中でもひときわ評価の高い男だったらしい。まさか番にするために送り込んだわけではあるまいが、何か不思議な縁のようなものがあったのだろうか。 「なんだよそれ……」 顔を赤らめバルクを睨みつけるがすっかり殊勝な面持ちだ。まだそうやってからかわれるのに慣れていないのだろう。初心なところは相変わらずだ。この笑顔を暴漢の魔の手から守ってくれたラグには感謝しかない。 弟は数ヶ月前にオメガを狙った誘拐にあっていたのだが、番の活躍で難を逃れていた。 バルクは治安の相変わらず良くない、ここよりちっとも発展していると思えない中央に思いを馳せた。 「正直な話、中央や国全土での誘拐事件の検挙率知ってるか?」 「しらない……」 「恥ずかしいことに0.01% ほぼ見つからない。殺されて遺体で見つかることも多い。だからお前をあっという間に見つけて救ったあの男は、やっぱり英雄だってことさ。親父がお前にどうしてもつけてやりたかった守り神ってことだ」 中央は長年外敵に目を向け続け軍ばかりに精鋭を集めた結果、警察組織の腐敗そして治安悪化を招いていた。中央は色々と建て直さないと行けないところに来ているのだ。 学生でなくなり父の仕事についてまわるようになってからこの国の膨大な未来への課題に目眩がするほどだった。 「戦後も5年過ぎた。次世代の若い議員が力を合わせて新しい国をつくるときが来た。俺も来期から父上の跡を継ぐ」 今までずっとあとを継ぐことから逃げ回っていたのにね? ソフィアリはそんな顔をしてバルクを見上げてた。あれからバルクにも沢山の心境の変化があったのだ。 「手助けしたい相手ができたんだ」 ソフィアリはそれを聞いてニコニコとした。大方バルクにも番ができたとの思ったのだろう。 「セラフィンは、俺に番ができたって、知ってるのか?  番ができたら…… 俺のこと諦めるしかないし…… もう言っても大丈夫だよね」 バルクはセラフィンのこれまでの迷走ぶりを話そうかと思い…… しかしミカのことに言及するのを避けた。希望に燃えてこれから自分の足でこの地を切り開いていこうとしている弟に無駄な心労を背負わせたくはなかったのだ。 端的に、セラフィンの状況を話すにとどめた。しかしセラフィンがいつかここにやってくるかもしれぬ可能性だけは話しておこうと思った。あいつはまったくソフィアリを、諦めていない。 「あいつは、軍に入った。……どういうことかわかるか?」 いつの間にか隣に来ていたラグに寄り添い、ソフィアリはその腕に絡みついてすがる。 ラグに無理矢理に番にされたのかもと自分のことを棚に上げて考えていたバルクだが、ソフィアリについては考え過ぎであったようだ。 どうみても弟はこの兄よりも年上の番にベタ惚れしている。 頬を紅潮させて愛らしくうっとりとラグを見上げている。みていてこちらが恥ずかしくなるほどだ。 自分とミカの現状に思い至り、捻くれバルクは少し意地悪をいってやりたくなった。 「軍人になって鍛え尽くして、いつかお前の番を打ち滅ぼして、お前を奪ってやるんだと」 つまり番を殺して引裂こうということを暗に匂わせる。 案の定ソフィアリの顔色が変わった。 その言葉に日を遮りほど大きな体躯のラグは男臭く狼のような野生的な笑みを浮かべた。 「面白いな。やれるものならやってみろ。返り討ちにしてやる」 そういいながらラグは傍らにいた溺愛するソフィアリの柔らかな唇に、兄の目前でキスをした。 驚いて飛びのこうとするソフィアリを抱きかかえて、二人はいちゃいちゃとした痴話喧嘩を始める。その姿は世界中の恋人たちが見て誰もが嫉妬しそうなほど本当に幸せそうで。 番の愛情に満ちた瞳に見守られながら、風に絹糸のような髪をもてあそばれ、頸についた噛み跡を誇らしげにさらしていた弟は光り輝いて見えた。 「おお、見せつけてくれるな。さて、俺は新婚の弟をからかう為に来たわけじゃないんだ。アスター殿に話があってここに来たんだ。」 そう言い残しバルクはこの農園内のアスターの工房へ向かうことにした。 弟の姿にバルクの心に一つの答えが生まれた。それをアスターに打診しに行くことにしたのだ。 小さな命が誕生したのはそれから一月後。 麻酔の効いていたミカが我が子に触れたのは翌日の夜のことだった。 腹を切り我が子を取り出したばかりのミカは痛みにぐったりとしたまま仄暗い部屋の中で、少しだけはった胸から息子に僅かな乳を与えていた。 「可愛いね…… ラン」 我が子の名を呼ぶのは涙ぐんだ声だった。正産期に入ってから取り上げた子だったが、小さな小さな男の子だった。 これから乳離れし、離乳食を食べられる様になるまでは親子ともに過ごし、その後弟たちの暮らすハレへの街で育ててもらうことにした。 これは家族全員で話し合った結果でもあった。 ソフィアリがアスターと共にハレへの街をどこよりも性差による差別をされない街にしようとしていること。アスターがその身をなげうってオメガに尽くしてきたことを知っているアリソンの助言もあり、そう決めた。 男児であったならば、ハレへの連れて行くことを決めていたのに、この小さな我の子の、ミカと同じ色の瞳を見たとき愛おしさがこみ上げてきてバルクは胸を締め付けられたまらない気持ちになった。 しかしミカは迷いがないようだ。 父や親族には未だ内緒だが、姉が生きていると知らされても自分の希望から目を背けなかった。 強いなと思った。オメガは強い。我が身を千切るようにして産み出す性であるからか、痛みに、逆境に母たちは皆強い。 「必ず、皆でこの子がいつでも幸せであるように見守り続けましょう。」 アリソンとジブリールは二人してバルクとミカの手を握りこんだ。母たちの手は暖かく力強かった。 バルクは知らずに涙がこみ上げてきた。 部屋の入口では相変わらずサリエルが控えている。サリエルも心を決めていた。サリエルはミカの秘密ごと生涯ミカを支え抜くときめたのだ。今更だ。子供の頃に幼いミカに出会った日からその決意は変わらないのだ。 一年が過ぎ、バルクは我が子ラン、ミカの乳母だった女性、サリエル、母の侍女だったオメガの娘と共にキドゥの街にやってきた。 ここからハレへまではあまりひと目につかぬように乳母とともにいくことにした。 「ラン様、どうぞ健やかに」 日頃常に冷静で万事に心を動かされなさそうなサリエルも、涙ぐんで小さな主の柔らかな頬を撫ぜた。 「私もラン様についていて差し上げたかったが、叶わぬ…… アリアナよ、ラン様を見守り続けなさい」 ミカの幼い頃に瓜二つのランにサリエルはすっかり情が湧いてしまっていたのだ。父になったせいか、そんな往年の恋敵の姿にも不覚にも泣けてくるバルクだ。 「もちろんですわ! このアリアナにお任せくださいませ!」 母の一番かわいがっていた侍女は長じてからオメガになった。生来発情期も軽くて快活な女性だ。この度ハレへの街へ移住し、ランをつかず離れずに見守ることとなった。 のちにアスターやソフィアリの発案でハレへの街に中央からの保養客を招くために作られた高級宿の女将になり、その地を気に入り居着いた、宿のシリーズすべての建築家であるアルファ男性と番い、長くランを見守っていくのだがそれはまだ未来の話だ。 ランはそんな大人たちの様子を素知らぬ顔でニコニコとご機嫌よく愛くるしく笑っている。多分天の女神が使わしてくれた愛し子なのではないかとバルクは思うのだ。親ばかだが。 こんなにも離れがたい気持ちになるとは生まれるまでわからなかった。 ジブリールがやっぱり自分が育てるから連れて帰るの〜!!!と駄々をこね泣く泣く中央に帰っていったのも先日のことだ。 しかし、ミカを守れるのは番である自分だけだとバルクは自分に言い聞かせた。 オメガであることでミカが思う通りに生きられなくなることは防がなくてはならない。 例え我が子を捨てたという誹りを受けたとしても……。 父親としてできることはランが伸び伸びとオメガであることの幸せを噛み締めて生きられる世の中を作ることだ。 そう自分に言い聞かせ続けた。 アスターの家に出向くと、事情を知らされていないソフィアリは目を丸くした。 今回の話はアスターとアナン、モスルで話をすすめた為、自分のことでまだまだ精一杯の若い領主見習いとその番には知らせないできたのだ。 「あ、兄さん? その子は……」 ソフィアリは固まったように動けずにいたところから、大きな目をキョロキョロさせてアスターを探した。 「そう。俺の子。こちらは旅の間もこの子の世話をお願いしていた、この子の母の乳母。 隣街までは警護の者も来ていたけど……  物々しいと色々と人の噂に上るから宿に置いてきた。以前アスターに相談したとおり、この子を農園に預けるために連れてきた」 「はあ???」 ソフィアリは責めるようにアスターをにらみつけると、彼は微笑んで妻とともにランを抱き取りに迎えに行った。 「どれ、顔を見せておくれ。本当に愛らしい子だな。ふてぶてしいお前の子とは思えんよ」 アスターとは前回来たときにすっかり意気投合した後は書簡や電信、また商談に中央に来た際などに交流している。 バルグが目指したい男の鷹揚な感覚を身に着けた好人物だ。 「だろうな。相手に似てる。俺にとっては絶世の美人だからな」 ランもミカ同様ダークブロンドの髪にあの日バルクが恋に落ちた煌めく暁の瞳の持ち主だ。今のところだが顔立ちだけはもう少し優しげで少しジブリールや自分にも似ている。どちらにせよ長じてからは美男子になること間違いない。親ばかだが……。 「相手って…… 番がいるの? 兄様??」 再び驚きた顔のソフィアリは兄に詰め寄って顔を覗き込んできた。 「ああ。深い事情があって手元に置けない。お前たちに育ててもらうには忙しすぎるし新婚だし、ちょっと厳しいと思ってな…… それに血縁がしれないほうがいいとも思うし…… ここならば、他のオメガたちも大勢農園にいるだろう? それにこの子には、少なからずアスターと縁のあるからな」 「どういうことだ? アスター?」 「まあ、これはなあ。私の若き日の恋の話になるからなあ。もちろん今は妻一筋の私だが。ゴホンっ」 そう言って。妻を見やるとウィンクして話し始めた。そう、これはミカの母とアスターとの昔の恋の物語なのだ。 「遠い昔初めてオメガの香水を作った私は、その宝を人に誇示したくて仕方なくてな。密かに愛していたオメガの香りだったし、人に見せびらかしたい気持ちもあったのだよ。中央に売り込んで大人気になった。しかしまさか彼女の運命の番を名乗る男が訪ねてくるなんて知らずにね…… 私の初恋はこうして幕を閉じた」 「もう何度目かの初恋だったけどね」 アスターの妻がそう横槍を入れて笑った。彼女は本当におおらかで器の広い女性で母たちとはまた違った魅力のある人だ。 「この子はここで一時期過ごした、さる公爵夫人の孫に当たるんだよ。この子の親も…… 一度だけ思い出の縁にここを訪れてる。ああ、ミカは美しくて気の強い少年で…… フェロモンは少しだけ香っていたがまだ未完成だったが芳しく…… 店には置かないがインスピレーションを高める香りとして私のコレクションにはいっている」 ミカの話は初耳だった。この話が本当ならば小さな頃にすでにフェロモンが香っていたということか? それはやはり調香師である彼ならではの鋭敏さで気が付いたのだろうか。 「ミカってまさか……」 ランはソフィアの妻が乳母に代わって抱き上げた途端に目を覚ましむずかった。 やはり時期は尚早だったか…… 息子の姿にバルクは少し胸を痛めた。 その時、灰色がかった髪をしたアスターの幼い息子がランのところに駆け寄ってきた。女神の使いのように美しく賢こ気な少年で、アルファである父のことを思うとこの子もそうなのではと思わせる独特の存在感がある。 「この子の瞳。お日様みたいに奇麗だ」 そういうとにこにこしながら少年はランに手を伸ばしてあやしはじめる。 すると不思議なことにランはメテオを見てすぐに泣きやみ、メテオを見つめ返すようにしてしてニコニコとしだした。 「この目の色…… 本当にミカ・アナンの子なのですか? 彼は公爵家の嫡男だったはずですよ」 意外なことにソフィアリはミカのことを知っていたようだ。やはりセラフィンよりは学校できちんと友を作っていた分周りに明るかったのかもしれない。 「そう。そしてオメガだ。もちろん他言無用。家を継ぐためには番を持ってフェロモンを撒き散らさない身体になりたいと持ちかけられて。俺は協力したまでだ」 そんな風な言い方をしかできなかった。セラフィンがしてしまったことをソフィアリに伝えるつもりはないのだ。しかしそのことはソフィアリの怒りを買ったようだ。 「そんな理由で子をなしたのですか?」 睨みつけて怒る美貌の弟にバルクはそこだけは正直に白状した。 「孕ませれば俺のものになってくれると思ったんだよ…… ずっと好きだったが手に入らないと思っていたから…… でもまあ、俺への愛情よりあいつは家を継いで、議会で仕事をする夢のほうが勝ったってことだな…… 手元においてやるには、存在自体がリスキーだ」 ランはニコニコと笑ったままだ。この笑顔も、ミカのこれからも全てを守りたい。 バルクは決意を胸に柔らかな息子の髪を愛情深い仕草で撫ぜた。 「僅かな間しか一緒にいられなくて、ごめんな。ラン。俺なりに…… 愛してるんだよ」 そう言ったら不覚にも涙が滲みそうになりその目を隠すようにしたとき、足元で少年が涼やかな声を上げた。 「父さん!! この子俺のものにしたい」 小さな少年が食い気味にそう言い切り皆に宣言したのだ。これから別れるとはいえ我が子への突然の略奪宣言へ、バルクの涙も引っ込んでやや怖い顔で少年を見下ろしてしまった。 「メテオ、赤ちゃんはものじゃないわよ」 母がたしなめるが琥珀色の目をまん丸に見開き、背筋を伸ばして胸を張るメテオの顔はいたってまじめだ。 「まあ、いつかはお前の弟にするか、そのうちソフィアリのところの養子にするかといったところだと思うが…… メテオお前に急にどうしたんだ?」 アスターはそんなバルクに目配せしながら息子に語り掛けた。 「俺は多分、この子のことを守るために生まれてきたと思う」 メテオは蕩けるように優しげな声で呟くと、滑らかな頬で赤子のふわふわとした頬に頬擦りをした。 その場の誰もが、そしてバルクも思った。 もしかしたらやはりメテオもアルファなのかもしれない。 ミカに抗い難いほど魅了されたかつての自分の姿と重なった。 なにかランに惹かれるものがあるのかとしたら、やはりこの子はオメガなのか。ここに連れてきたことは正解だったのか? 「遅くなって悪かったな」 隣町までいっていたラグがやってきて、ランを見て目を白黒とさせている。 「俺の甥っ子だってさ」 そういうとメテオからランを受け取って白くてぷくぷくとした幸せそうな顔をみせつけた。 アスターの妻もともにランをあやしながらにこにこしていった。 「この街がどんどん賑やかになって。うちにも沢山人が来てくれて。私、嬉しい」 歓迎された雰囲気にバルクは胸の中に熱いものがこみ上げてきてぎゅっと締め付けられる思いだった。人の情けをこれほどに感じた瞬間は他になかった。 全員揃ったところでバルクは意を決した様に皆に向き直り、姿勢を正した。 「息子を、ランをどうか幸せにしてやってください。俺はこの通りいい加減でだめな男で、父親としても番としても半人前だ…… それでもミカを支えてやりたい。この子の幸せも願いたい。それには皆の協力が必要です。どうか、俺に力を貸してください」 バルクは初めて弟や他人の前で自分のすべてをさらけ出し、深く頭を下げた。 ソフィアリは驚いて手を口元に当て番をみやる。バルクのその姿にラグは即座に、物理的に手を差し伸べてた。あの日ソフィアリに手を差し伸べたように。 バルクは下げていた顔の前に差し出されたその手をとった。 熊のように大きくて力強い手を、バルクは渾身の力で握り返した。 ラグからの無言の激励にバルクのぎゅっとつぶられた目からは溢れた涙がこぼれ落ちた。 周りの他の大人たちも頷き、小さなメテオすら、きりっとしてランを抱きしめた。 その息子を抱きしめてやりながら、メルトは明るく声をかけた。 「大丈夫。みんなでこの子を守る。なあメテオ」 メテオは頷き、白くぷっくりしたランの頬にキスをした。
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