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6セラフィンの策略
やっと体調が戻り、ミカはここ数日は学校に戻ることができた。
一つ下の学年のものと授業受けているため仲の良い友もなく、授業以外のときはサリエルを帯同させているため、ある意味自由はない。
サリエルのことは、大好きだが時折無性に一人になりたくなることもある。
今日はそんな気分の日だった。
前の方の端っこの席に座り、大学の公開講座を受けようと着席すると、すかさずとなりの席に座ってきた少年がいた。
法律関係のこの講座を受けているのは大分年上の人が多いため、不思議に思って何となく顔を見ると青い瞳と目があった。
「ねえ? 君、ミカ・アナンでしょ?」
話しかけられることなど本当に稀なのでびっくりした。
人懐っこく微笑む少年には見覚えがあった。
学年は違えども、高等教育学校の敷地内では見かけたことがあったからだ。背が高くて顔立ちも涼やかで美しく、とても目立っていたし、さらにそっくりな兄弟らしき人と歩いているから余計に印象に残った。
しかし今までこちらの講義を受けていた覚えはない。
青く見えるほど艷やかな黒髪に絵本で見た深い海のような青い瞳。
この瞳の色はバルクを連想させてどきどきとしてしまった。
「君は……?」
「俺はセラフィン・モルス。バルク・モルスの弟だよ」
「えっ?」
バルクの名前に思わず声を漏らすと周りから注目を集めた。
ミカが恥ずかしくて顔を伏せると、セラフィンはにこにこと笑って言った。
「ねえ? 兄さんが君に夢中で、ずっと俺に近況を訪ねてばかりだっていったら驚く?
俺は君と同じ高等教育学校の3年生だから、たまに顔をみかけるでしょ?」
こくり、と素直に頷くとセラフィンは満足げに頷き返す。
バルクが自分に夢中? 驚くべき話をされてミカの胸は自然にドキドキと大きく音を立て始めた。
「そうそう。それで君のことを調べて話をするだけで、兄さんから小遣いをもらえてて俺は助かるってわけ。だからそろそろ兄さんとキミの仲をとりもって、沢山褒められてさらに小遣いを沢山もらいたいなあって、思ってるんだよね。君も兄さんに会いたいでしょう? 協力してくれない? 頼むよ」
箱入り息子のミカには小遣いがどうとかいまいちよくわからないが、ミカと同じ年頃の優しげなバルクの弟に頼まれて嫌とはいえなかった。正直ミカもバルクに会いたくてたまらなかったが、きっかけがつかめないでいた。
バルクが自分に夢中だなんて…… そんなことは大袈裟だと思うけど、少しでも覚えていてくれたのなら会いたい。
迷うように白く華奢な手の指を組んで視線を落としたミカに、セラフィンは強い眼差しで視線を合わせてきた。
「この講義サボって君の従者が待っていない、あっちの扉からでようよ。兄さんの話をしてあげるし、兄さんにあわせてあげるよ。いやかな?」
宝石のような真っ青な目を見つめていると、バルクのことを思い出して本当に会いたくてたまらなくなった。
頬を赤らめ、瞳を潤ませたミカの手を取るとセラフィンは素早く立ち上がる。
「もう鐘がなるよ。早くいこう!」
突き動かされるようにミカは学用品だけ入れた小さな革のかばんを掴み、セラフィンについて足早に教室をあとにした。
父から番探しのための夜会を開かれると言われていたのはもう今週末。あとがないミカはどうしてももう一度だけバルクにあって話をしたかったのだ。
自分のことを忘れてしまったのか、もう会いたくないのか、どうして会いに来てくれなかったのか、傷つく内容でも知りたかった。
ミカはあの時、サリエルがミカがオメガであることをたとえミカの親にでも、時が来るまで口外しないよう、とバルクに頼んだことを知らない。
単にバルクはもうミカに興味がなく接触してこないと思っていたし、この間サリエルに聞くまでミカが望むならばまた会いたいと話していたとも知らなかった。
だからミカにとってはバルクに会うのは賭けのようなものだ。
しかし、どうしてもう一度だけ会いたかった。
諦めるにしろきっかけが必要なのだ。
前を先導するセラフィンの手はミカを逃さぬよう、思いの外強い力で握ってくる。
ミカから見えぬその顔は先程の柔和な表情とはうって変わり、冷たく強張ったものになっていた。
ミカはそんなセラフィンの胸に秘めた企みに気づくことなく、必死でセラフィンの背中を追いかけ、再会への期待に胸を弾ませていた。
「ここならゆっくり話せるから」
連れてこられたのは高等教育学校の中で人の出入りが規制されているフロアだった。
優秀な生徒しか入れず、放課後には皆が集まるサロンの中だった。もちろんミカが入ったのは初めてだ。
学校にあまり来れないミカも話だけには聞いたことがあった。飛び級するほど優秀な生徒や、生徒をまとめる役割の『明星』と呼ばれる星印をつけている生徒たちの学生会の仕事場兼、たまり場のようなところだ。
生徒が利用する部屋にしては部屋の作りもきらびやかで、立派な応接室もある。
セラフィンは中にはいると慣れた手付きで持っていた制服の上着や荷物を掛けたり置いたりし、ミカに椅子を勧めた。
しかし、まったくなんの警戒心もなく信じ込んでついてきてしまったが、良かったのだろうか。急に不安になったミカが明らかに所在なさげにモジモジしはじめたので、セラフィンは微笑んでさらなる自己紹介をした。
「俺は明星ではないけど飛び級して3年生をやっているのでここへ出入りが許されているんだ。ここは選ばれた生徒しか鍵を持たず入室を許されていないが。もちろん友人は別だ」
友がほぼいないミカは、友人、という単語に胸がどきんとして唇が嬉しくて綻んでしまった。そんなミカの様子を目を細めてセラフィンは眺め、立ち上がる。
「お茶を入れるから少し待っていて。兄さんのことで聞きたいことがあったら何でもこたえるよ」
微笑しながら隣の部屋へ行き、少しして湯気の立つお茶とクッキーを持ってやってきた。
「君はお菓子好き? 俺は甘いものがすごく好きなんだ。まあ、肉でも野菜でも何でも好きだけど」
冗談めかして笑いながら、セラフィンがお茶とクッキーに形の良い唇をつける。
それをみてミカもお茶をいだいた。かなり濃い目にいれられていて、苦くて、顔には出さないようにしてクッキーも少し齧った。
「双子の兄さんは、甘いもの苦手なんだ。俺達は双子なのにまるで似てないんだよ」
兄弟のことを話しているのに、なぜかもういない人の話をしているみたいに寂しげだ。
「前に見かけた時、よく、似ている気がしたけど?」
二人が揃っていたところを思い起こしながらミカは小首を傾げた。
するとセラフィンを取り巻く空気感が少しひやりと張り詰めるように変わった気がした。
「全然似てないよ。兄さんはね、とても綺麗で、潔くて、真っ直ぐで。俺とは真逆。
それにね…… たまらなくいい匂いがするんだよ。高貴な花束みたいな。色っぽくて、ずっと浸っていたくなるほど、とてもあと引く香り。そう。君の甘くて刺激的な匂いとは違ってね…… 檸檬と蜂蜜みたいだね? 君のフェロモン」
その言葉に驚き、がたっと音を立てて立ち上がろうとしたが、急に目眩がして再び革張りのソファーにもたれてしまう。
セラフィンの美しい顔にはもう笑みは浮かんでいない。冴えざえと冷たく青い氷の様なこの瞳をなぜバルクの青空みたいな瞳と似ていると思ってしまったんだろう。
浮かんでいる暖かな気配がまるで違うのに……
「俺もアルファだから別に兄さんから聞いたわけじゃなくても君がオメガかどうかくらいわかるよ? 」
身体に力が入らず、今度は頭がくらくらして急激に眠気が襲ってきた。
ローテーブルに頭から倒れ込みそうになるのをセラフィンが強い腕で支えて、ソファーの上に軽々とミカを横たえる。
「兄さんも大切なものを失ったら、俺の喪失感をわかってくれるかな? 」
感情のない声でそういい、怖い顔をしたセラフィンは制服のポケットを探ると、アンプルを取り出した。手慣れた手付きで注射器に針をとりつけると手早く薬を装填し、ミカの太腿に突き刺した。
「痛いっ」
身体が思う通りに動かないし、さらに眠気がまして自分と世界の間に膜ができたような心地になってきたが、まだなんとかセラフィンのいっていることはわかる。
「俺はちょっと兄さんにあってくるね。家族に大切なものを隠されてしまって…… 君には悪いけどその在り処を兄さんに聞き出さないといけないんだ。兄さんが素直に教えてくれるのなら君の居場所を交換に教えてあげる。
……さっき君に外国製の発情誘発剤をいれたから、少ししたら、ヒートが来ると思うけど……」
ここにきてやっと自体が飲み込めた。なにか恐ろしい罠にかかってしまったようだ。気がついたときにはすでに遅く、ミカは起き上がろうとしたがもはや身体は重くて指一本動かせない。
「身体がだるいのはお茶に入れた睡眠導入の薬のせいだよ。少し眠ってたらそのうちヒートが来て、目覚めたら番ができてるかもね。それは兄さんかもしれないし、別の誰かかもしれない」
ミカは暴れようとした全然駄目だ。ピクッと瞼は触れたがそれすら持ち上げことがだるすぎてできない。
「俺は抑制剤飲んでるからフェロモンにあんまり反応しないけど…… ここに放課後に来る明星たちは、どうだろうな? 君だってどうせそのうち番を作らないといけないなら、せめて優秀な方がいいだろ? アナン公爵の婿になるんだし。君可愛いから、取り合いになるかもね」
「なん…、こんな……」
セラフィンはミカの横にしゃがみ込むと、悲しげな顔で見つめてきた。
「俺からソフィーを取り上げるやつは誰であっても許さない。居場所を吐かせて奪い返しに行ってやるんだ。君もさ、オメガなら意地張ってないですぐに兄さんの番にしてもらえばよかったのに。ぐずぐずしてるから悪いんだよ」
彼の言うソフィーは双子の兄のことなのだろうか? その居場所を知っているバルクを脅すための餌にされたのだ。悔しくおもうがだんだんと意識が朦朧としてきた。
そして、少しずつヒートの時のように身体が熱くなってきた。セラフィンは優しげな手付きでミカの髪を撫ぜ、額にキスを送って微笑んだ。
「少しだけ、俺も誘発してあげる」
ふわりと漂う個性的なネロリのような香りはセラフィンのフェロモンなのかもしれないが、ミカにはあまり好ましく感じられなかった。
その反応を見て眉をひそめたセラフィンは面白くなさそうな顔をして部屋を施錠し、足早に立ち去った。
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