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9 αの傲慢 Ωの気概
バルクとミカが番となったことは時が来るまで周囲から伏せられることとなった。今後ミカが爵位を継いだ場合の配慮からだ。
どのみちこうなるだろうと予想し覚悟していたバルクと違い、父と母はある程度ショックを受けたようだ。
アナン公爵はミカの意志を結果的に汲み、彼に家督を継がせることを選び、また敬愛するラファエロにもそれを懇願してきた。
こうなってくると、ラファエロは若い頃から面倒を見てきたレネの願いに嫌とは言えない。
二人は秘密の番同士となったが、互いの家族にしてみると正式な配偶者としての扱いとなっていた。
セラフィンは父から自宅謹慎を命じられた後に軍医になりたい旨を話しあい、半年後の進学と軍への入隊を前に長兄のいる外国へ短期留学をしていった。
医療の水準の高いそちらにゆくゆくは長期留学したいと考えている、その下調べのようなものだ。親族や父の友人が多くいる軍に籍を置きながら留学を試みることになるのかもしれない。
発情期が終わり一旦自宅に帰るミカに、父親からも殴られまだ青アザだらけの顔でセラフィンは謝った。
ミカはヒート後でやつれていたが愛らしく笑うと僅かにセラフィンに会釈していった。
「ああでもならなかったら、バルクと番にはなれなかったと思う。ありがとう」
セラフィンはそれを聞いて複雑な顔をしていたが、結果的には本当にそのとおりだった。
それからはまだ学生で成人まで数年あるミカの屋敷と自宅と別宅を行き来していたバルクだ。
彼の忙しくしながら仕事も勉学も励み、人が変わったようにしっかりしてきた姿に家族は喜びを覚えていた。
しかしさらに三月ばかり近くたつと、安定していたはずのミカの体調が優れない日が増え、バルクであれど会えない日が続いた。身体と共に心もバランスを崩し、気持ちも沈み込んでいるようで、サリエルに門前払いのように返されることにもバルクは苛立っていた。
そんな中ミカはついに身体を壊した。
気持ちの安寧のため母親が静養している公爵の別邸のある街へサリエルと共に送られ、事情を説明しにアナン公爵がモルス邸へやって来ることとなった。
「ミカが妊娠……」
アナン公爵が政務の間を抜い、ともに忙しいラファエロと共にモルス邸を訪れたのは夜も深けた時間だった。ミカの居場所を確認したく急遽実家に戻ったバルクは義理の父からもたらされたその知らせに、喜びから自然と笑みが溢れた。
しかしアナン公爵は、秀麗な顔に浮かない陰りを浮かべていた。
「ミカの身体が成熟していないことと、身体の弱さは変わらずで…… このまま子を生育しても母体ともに危ないかもしれないと医師に言われた。私は子を諦めミカの命を取る選択も考えている。バルク君。ミカを説得してはくれないか?」
「そんな……」
自分のせいだとバルクは頭を殴られたように衝撃を受けた。
自分がミカを完全に支配し繋ぎ止めたくて、孕ませようと、番にした時の一度だけでなく発情が落ち着いてからも執拗に犯し続けたからだ。
少し考えばわかるはずだった。成長したとはいえ、ミカの身体の脆さ稚さを。
喜びから一転地面に叩き落された気持ちになった。言葉をすぐにつぐことすらできずバルクは月も見えぬ夜の暗がりに迷い込んだ心地だった。
その時だった。普段同席していたとはいえ日頃夫の話し合いになど絶対に口を挟まない淑やかな母のジブリールが、バルクとアナンの前に華奢な身体で立ちふさがるようにして躍り出てきた。
「まっ、まって。待ってください! それはミカ様が望まれていることなのですか? どうして母親の意見も聞かずに、そんなことを今ここで論じるのですか?」
細い声だが、聞いたこともないほどはっきりした口調できっぱりとそう言い切った。
夫のラファエロは勇気を振り絞って震える妻の傍により、肩を抱いて無言で支えてやっている。
「貴方がたは口先だけでは新しい平等な国作りなどとおっしゃるけど、とどのつまりはアルファの高慢な考え方は抜けきらないまま。私達オメガやベータ女性、獣人、外国のゆかりの人々の気持ちなど慮っても想像できない。だからそんなことがいえるのです」
「母上……」
バルクははじめてただ美しいだけの存在と心の中でどこか侮っていた母の意外な気丈さに触れ、その姿になぜかソフィアリを思い出していた。
「レネ殿。ジブリールの非礼をお許しください。しかしミカ様のお子は我が家にとっても血のつながった孫。どうか若い二人の意見を聞きましょう。もちろん議会において私達の残すべき議席を減らせないという先の不安もある。だから今まで通り二人の関係は秘密のまま。それは変わらない」
「ラファエロ殿…… もはや私も妻も、娘の他に息子まで失うことが耐えられないのだ」
迷いがあるのだろう。レネは指を組んで手先に頭をつけ項垂れるようになった。
「ミカに会いに行かせてください。正直にいいます。俺も番を失うぐらいならば…… 子どもよりミカの命を取るかもしれない。でもミカの気持ちも聞きたい」
正直、まだ若いバルクにとっては番になったばかりの愛しすぎる存在とまだ見ぬ子のことを比べることなど想像の範疇を超えた争いだった。
「私も。ミカ様と公爵夫人にお会いしに行きたいわ。力になって差し上げたいの」
ジブリールが積極的に声を上げた。ラファエロはその様子に驚いていない。もしかしたらバルクの知らぬ母は元々はこういった女性なのかもしれない。
後日別邸には公爵夫人のお見舞いとの名目でジブリール、母の世話係でお気に入りの若い侍女、そしてバルクの三人で向かうことになった。
中央に公爵夫人がいたころ、二人の母親たちはそれなりに仲良く交流していたのだ。
それなりにというのは、ジブリールは元々古い王族の流れをくむ位の高い辺境伯の一族出身である。生まれながらの高貴なオメガの姫君で、地方にも縁戚も多く莫大な財力を持っている。
むしろそもそもはモルス家をも凌ぐ家系だ。
しかし公爵夫人とはいえ、ミカの母は、地方の没落した下級貴族の娘であった。
オメガであったため、食い詰まった親に娼館に売られそうになっていたところを、調香師メルト・アスターに助けられた。後にオメガの香水のノート第一号となった人物だ。
その香りを辿ったレネに見初められた一大ロマンスはジブリールからバルクに道中語られた。
しかし公爵夫人となったものの、身分違いと親族縁者から辛く当たられ身体を悪くし、現在は地方の別邸で暮らしているのだ。
母と公爵夫人は同じオメガといえどあまりにも境遇が違いすぎるのだ。
しかし何故か勇ましい顔つきでジブリールは別邸のある街まで息子とともにやってきた。そこはちょうどソフィアリの住む街へ続く汽車を途中で降りた街だった。
黒い外観に薔薇の蔦の巻き付いた瀟洒な館はこじんまりとしていて、別邸というよりも別荘に近い。
サリエルもミカとともにここにいると聞き、仕方がないながらも内心が穏やかでない心の狭いバルクだった。
早速門扉まで迎えに出てくれたサリエルのすまし顔にやや機嫌を損なわれながらも努めて冷静に振る舞う。
「ミカ様も、奥様もお待ち申し上げております」
公爵夫人に挨拶をした後、バルクは早々に母親たちに促されミカの元へと送られた。
ミカは意外なことに穏やかに窓辺のカウチに座って本を読んでいた。
バルクの顔を見つけると一回り小さくなったような顔で、蕾が綻んだような愛らしい微笑みを浮かべて立ち上がろうとした。
バルクはそれを手で制して自ら近寄って隣に座り細く薄い背中に腕を回し抱き寄せる。
「ミカ…… 会いたかった」
「僕も会いたかった」
バルクの胸に顔を押し当てるようにしてもたれかかる。触れ合った温もりに互いに心がとける心地になった。
「身体は大丈夫なのか?」
「少し気持ち悪くなるけど、大丈夫。ただ……とても……」
震えが伝わり、ミカの言葉に耳を傾けようとバルクは息を潜めた。
「とても、怖くて。これからどうなってしまうのか自分が自分じゃなくなるようで、怖い」
やはり思った以上に妊娠したことは心身の負担になっているようだ。なんの覚悟もなくいきなり妊娠してしまい、さぞ心細かったことだろう。
「ミカは産むのは嫌?」
「嫌じゃない…… わからない…… ただこわい……」
そういうと声も立てず静かに泣き出した。
バルクはそれ以上何も言うことができずにただまだ未熟な番を抱きしめてやることしかできなかった。
あとから聞いたことだが昼夜問わずぐったりとしているものの不眠気味だったというミカが、やはりバルクが来て安心したのかあの後すぐ眠ってしまった。
本来は眠くてだるくて仕方がない時期であるはずなのに、と気をもんでいた屋敷の女たちもそれには胸をなでおろした。
バルクは母とともに改めてミカの母である公爵夫人、アリソンとの対話をすることとなった。
アリソンははじめに意外な事を口にしだした。
「まずは…… 私がこちらにいるばかりにミカがオメガであることを知らされていなくて、こんな事態になってしまったことをお許しください」
「それはどういった意味なのですか?」
「そのままの意味です。自分がオメガであると私が悲しむと。ミカはそう思っている。そうよね? サリエル。そんなことは、杞憂よ」
扉の近くに控えていたサリエルは胸に手を当て礼を取りながら控えめにこたえる。
「失礼ながら奥様。ミカ様はご自分がオメガであると親族縁者からの奥様への風あたりがまた強くなると気にやまれていました」
「似たようなものよ」
吐き捨てるように呟いた。ミカと同じ色の瞳は炯々とし煌かんばかりの美貌をさらに苛烈に彩る。同じオメガでもジブリールとはやはりなにか違うものを感じる女性だ。肉感的な身体に、人目を引く圧倒的な美貌だがあけすけなほど物言いで、確かに貴族社会で見かけるような女性ではないと思う。
「姉のエリがオメガであったことでアルファのカイトに娶られることを憂いて入水自殺を図ったこと。もしも自分がオメガであると先にわかっていたら自分が彼に嫁げばよかったとそれも気にしていたと。それも杞憂だわ……」
「仰る意味がわかりかねますが……」
バルクも眉をひそめて気難しげな様子の貴婦人の出方を伺う。
「私のせいよ。私がこちらに引っ込んでいたばかりに起こったことばかりよ。
見ての通り、私は今、体調もだいぶ良くなったわ。確かにこちらに来たばかりのときは中央で沢山嫌な目にあって身体を壊してしまって…… それでレネが心配してこちらに送ってくれたわ。田舎育ちの私にはよほど水があっていた。そうしたらもう、戻りたくなくなってしまったのよ…… ちょうど発情期もなくなったし。夫も息子も娘も裏切って放り出して。私は一人ここにいた」
話の流れが理解できず、しかしバルクは自分の存在があまり歓迎されていないような居心地の悪さを感じた。
「アリソン様はミカが番を持つことに反対だったのですね」
「もしもわかっていたら…… そうね。でも番を持たずに生きることがどれほど辛いことかもわかっているから、いつかは持たせたかもしれないわね。でもそれとミカの望みはまた別の問題よ。父の仕事を引き継ぐことがあの子の望みだった。今だってここにいても勉強を怠らない。それぐらいはわかるわ。母親だから。できることならあの子のことも自由に生きさせてやりたかった」
「あの子も?」
バルクが敏感に言葉尻を取ると、アリソンは紅を刷いた唇を、釣り上げて挑発的に微笑んだ。
「エリは生きているわ。アイルとひと芝居を打たせて、死んだと見せかけた。どこにいるかはわからないけど、きっと二人とも逞しく生きているはずよ」
バルクは言葉を失った。あの日ミカが弔いたかった相手は生きていたのだ。もしもそのことをミカが知っていたならばバルクとああして出会うこともなかった。未成熟な身体のまま発情することも、その後苦しむこともなかったのだ。運命の導きなのか残酷な悪戯なのか……
「でも起きてしまった事は仕方の無いこと。これからのことを考えましょう? 子どもは生まれたら私がここで秘密のまま育てるわ。ミカはそちらに返すから、これまで通り学校にも通わせて、あの子を父の跡を継げるようにしてあげて頂戴」
もはや決めつけるように言い切るアリソンにバルクも焦りをかくせない。情けないが想定外の話の流れについていくのがやっとになる。
「待ってください、そんな勝手な……」
「我が子の望みのためよ。あの子の未来を奪う権利は、番であってもあなたにないわ」
「生まれてくる子は? その子の未来はどうするのですか? 勝手すぎる」
「勝手がすぎるのはどっち? 急なこととはいえ避妊薬も飲ませずだまし討にするように番にしたと…… サリエルから聞きました。そういうことでしょう?」
「でも俺は愛しているんだ……」
「愛? 支配欲の間違いじゃなくて? 圧倒的な強きものである傲慢なアルファ。私はアルファが大嫌いよ」
その言葉に頭から冷水を浴びせかけられた心地になった。隣の椅子に腰を掛けていた母が目元だけで頷く。母は知っていたのだ。アリソンのアルファに対する不信感を知っていてだからともに来た。思った以上に食えない人物であるアリソンとともに、淑やかで美しく虫も殺さぬような母の意外な一面を恐ろしく思った。
しかしバルクも負けているわけには行かなかった。
「あなたこそ子の未来を決めつける。傲慢だ」
「バルク、アリソン様に何というこというの。アリソン様はね、中央にくるまでも来たあともご苦労をされたのよ。オメガとして生きていくことの最善の道を探して、ミカ様に示されようとしてるのよ」
味方としてきたはずの母の裏切りにバルクは椅子から立ち上がり、初めて母に向かって声を荒げた。
「母上までそんな…… 孫は可愛くないのですか?」
「あなたが一番に優先すべきはミカ様よ。番に一番に大切にされなければ私たちオメガは生きて行かれないわ。バルク、あなた自信がなく怖いのでしょう?」
母の緑がかった青い瞳が真っ直ぐに息子を捉えた。アリソンも何も言わずにバルクをみつめる。
「自分がミカ様を繋ぎ止めたくて子を成した。だからそんなに子にこだわる。違って?」
気がつくとジブリールはソファーに腰をかけるアリソンのそばまで移動していた。ジブリールは彼女の背後に立つと、その肩と手を握り合っていた。
バルクはすぐに二人のその手が小刻みに震えていることに気がついた。
忘れていたが自分はアルファで母たちはオメガ。激高したアルファと話をすることは本来はオメガたちにとって恐ろしいことなのだ。
それを承知で全てをさらけ出して、母たちは大切な何かをバルクに訴えかけようとしてくれているのだ。
「違わない。降参です。俺はミカを繋ぎ止めたくて無理やり孕ませました。自分の私欲です。あの子の未来なんてあのとき微塵も頭になかった」
無言のままオメガの貴婦人たちはソファーに座り直し、バルクも対面の椅子に腰を下ろした。
ティーセットが運ばれ、三人は無言でそれを嗜んだが正直味はしなかった。
沈黙が流れ、お茶が冷める頃バルクがこう切り出した。
「母上はどうして俺の行為をそう思われたのですか?」
「私とラファエロがそうだったからよ」
衝撃的な告白にバルクは緊張で乾いた口内を、もう一度潤そうと持ち上げたカップを落としそうになった。
「お前とお兄様のイオル、そしてソフィアリたちとの間にはそれぞれ年の差があるでしょう?私が自由に生きたいと抵抗した年月分、年の差があるのよ」
そう言って口元だけで笑う母は見知らぬ女性の顔をしていた。
アリソンはそのことを知っているのか美しく謎めいた微笑を浮かべて母を眺めている。
「イオルは私が16歳の時の子どもね。今のミカ様とほとんど変わらないわ。婚約者もいたのだけど、6歳年上のラファエロが熱心に求愛してきてくれて…… ラファエロはとても畏くて美しくて、学園の中でも伝説的な存在だったし…… 若い娘が普通にのぼせ上がるようには惹かれていたわ。
モルス家の夜会に呼ばれたとき、私は不意に発情してしまって。思えばあれはラファエロが私を婚約者に奪われまいと誘発したのかもしれないわね。私は番にされてイオルを身ごもった」
衝撃的過ぎて言葉もでなかった。学校を通いきれず途中で辞めたと聞いていたから、それはオメガ女性としては当然の話だと思っていたのだ。そこにまつわる母の人生に興味を向けたこともなかった。
「学園に戻りたくてバルクを産むまで抵抗したけど家庭に入ったオメガ女性を受け入れてくれるところなんてその頃どこにもなかったわ。それでバルクを産んで、またどこかで学びに出たくてだいぶあけて双子を産んで。でも私も思ったの。自分ではできなくても法も国も変えて自分たちオメガやベータ女性が暮らしやすい世の中になればいつかは、私の子どもたちは自由に暮らせるのではないかって。ラファエロに懇懇と言い続けたのがいまラファエロが推してる政策よ」
父達の政策の根源は母の熱い情熱から来ていたのだ。バルクは何も知らなかった愚かな自分に愕然とした。自分は本当に、何もわかっていなかった。
「ジブリールは立派だわ…… 私は中央から逃げてしまった。オメガに対して悪意ある人の多いところでとても暮らせなかった」
二人の母たちは目尻に涙をにじませて再び手を握り合っていた。
ミカと自分だけの問題でここに来て誰にも口だしなどさせないと意気込み考えていたバルクだが、これは性差の根源に関わるような命題であったのだと思った。
バルクは何も言えなくなって……
また温かいお茶が入れ直されて、白い湯気と香気が煙る。
それからバルクは二人の貴婦人のこれまでの身の上話に真摯に、そしてゆっくりと耳を傾けることとなった。
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