紫陽花と古民家カフェ

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紫陽花と古民家カフェ

 昨年は世界中で猛威を奮った感染症のため、庭の紫陽花が一番綺麗なこの時期、残念ながら店を閉めていた。  ここは紫陽花cafe。 a279438e-34ff-4c08-bd1f-d05354ae95be  両側に青系と白い紫陽花植えられた飛び石のアプローチを抜けると、今井和人の祖父母の持ち物だった古民家がある。  和人はここで半分趣味のcafe兼、海外客を見込んでついでに民泊申請を出すところまで考えていたのだが、両方コケて長い自粛生活を経て他でのアルバイト生活に逆戻りしていた。  まだ大学に通っている身で片手間にはじめようとした矢先だったし、祖父母の家をそのまま使おうとしていたので傷は浅かったとはいえ。  去年プレオープンの予約を入れようとしてくれた、主に大学のサークルの仲間たちなどには平謝りしてそれなりに大変だったのだ。  今年はもう民泊は諦めて、cafe一本でやっていこうと先週店を再オープンしたばかりだった。  幸い昨年はそこそこ時間をかけて通学していた大学も、リモート授業のことも多くてcafeメニューの開発にも余念がなかったのだ。やる気も十分だ。  この街は大した名物はなかったのだけど、数年前にヒットした、小説原作のドラマがここを舞台にして、ドラマのロケ地に使われた。  それ以後ドラマで使われた川べりや古刹の寺なんかに若い女性がちらほらくるようになった。しかしもてなそうにも店も少なく。  寺によって川原を歩いて帰るだけだと申し訳がないと、駅長と駅前郵便局の局長である母の友人たちに頼まれてできたのがcafe開店の動機だった。町おこしとまでは行かないが休憩できる場所の一つとしてあったらいいなあという感じだ。  なんでもその小説にでてくる主人公が憧れた男性の実家のイメージが、花に囲まれた古民家である和人の祖父母の家に似ていると、ファンにSNSでつぶやかれていたらしい。  たぶん作者がこっそりモデルにしたのではないかというのだ。  そんなことも手伝って、都心に住む親にも人が住まないと家も荒れるからついでに住めば? といわれ大学2年の半ばから一人ここに住み着いている。  今日は一日雨が続いて少し肌寒い感じだ。  土曜ということもあり、開店直後から寺経由で流れてきたお客さんがひっきりなしだ。  お客さんは涼し気な麻のマスク姿で来る人、ぴったりしたウレタンマスクでくる人と様々だ。 マスクをして接客するのももう違和感はない。  飲み物や食べ物をお出ししてから、お客さんが初めてマスクを取るということも多くて、常連さんでも頭の中ではマスク姿が浮かぶほどだ。 「お待たせしました。紫陽花レアチーズです」  真っ白なチーズケーキの上に青や紫、そして赤のゼリーを散りばめ、更に寒天で固めた自信作だ。  ゼリーも色の変わる紫陽花のようなバタフライピーやハイビスカスなどハーブティー由来のジュースを混ぜてつくった。  添えられているハイビスカスティーは冷えていて半分グレープフルーツジュースで割っている。 色の鮮やかさは減ってしまうが、酸味と甘みのバランスが取れて飲みやすい。  母の行きつけだった店のオーナー考案の爽やかなアレンジだった。  食事前にマスクを外して、輝く笑顔を見せてくれるお客さんにとても元気をもらえる。  若くて綺麗な人も多いし、なんとなく好意を寄せてくれるのを感じるときもあるが、残念ながらそれには応えられない。和人の性的嗜好はどちらかといえば男性の方に傾いているからだ。  今日も閉店が近くなってから、あのっと控えめに二人連れの女性客から声をかけられた。 「今井さん、大学に通っていて、まだ学生さんなんですよね? cafeしながらなんて大変ですね」 「平日は母の友人がきて手伝ってくださっているので大丈夫なんですが、土日基本どこにも出かけないでここに缶詰ですね」  ガラスコップを拭く手元をとめて、目元で微笑んだ。  この家は母の生家なので学生時代の友人たちで結婚後も周囲に住んでいる人もいる。 その中で料理と菓子づくりが趣味の優しい美恵子さんが平日の10時から16時までお店をやってくれている。  主婦なので土日は家にいられると都合がいいらしい。  若い頃とった調理師の免許も持っているし、先に食品衛生管理者の講習にも出てくれた。防火管理者は和人がとったが、支えてもらって本当にありがたい。  和人の料理の師匠にもなってくれた人だ。 「それじゃあ彼女さんとデートする暇ないですね?」  和人はゆるく頭を振って手元に目線を戻した。 「いや、彼女いないから。いても土日出かけられないような男とは付き合えないっていわれちゃいますよ」  彼女どころか高校からこのかた、まともに付き合った人もいない。  そういう関係になった年上の人もいたけれど、なんとなく身体の興味のほうが先行しての出会って、2.3回で別れてしまうのを繰り返した時期もあった。それが虚しくなって今はそういうことはしていない。ポジティブに捉えて、いつか運命の相手が現れたときに全力投球できるからいいや、と思うのだ。  女性客はその言葉を良い方にとったのか悪い方にとったのかはわからないが、笑顔で店をあとにした。
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