画面の灯りにそれは照らされ

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「ついに出来た」 ここに至るまでに10年弱。やっと望む物が完成した。 これまで自分が考えた事は出来ていた。 学業でも趣味でも変わりはなかった。かといって物足りないとは考えたことは一度もない。 何故ならば、「こうしたいっ!」と自分で意欲を持った事が満足できる程度にできるのだから楽しいに決まっている。 自分の才能を謳歌しながら過ごしている中、仲間内の会話で「何を見て泣いたか」という他愛もない事が話題となった。 映画や実際に目にした出来事、子供の頃に努力した話。各々の話を出しては、共感したり感嘆したりしていた。自分以外は。 考えてみても、物心ついた時から泣いた記憶は無かった。考えたことが出来るということを、自覚はしていなかったがどこかで理解していたからなのかもしれない。 結局、その場では自分の体験談として何も話すことは無かった。最後に聞かれた時には「いつ泣いたか忘れた」と答えた。 「泣く、かぁ…」 不意に口から漏れた。 忘れてしまったのであろう「泣く」という感情を体験したいと考えた。 大学院では既にテーマを決めて研究を行っている。何かを研究するという環境に関しては整っていた。研究の計画に対する進捗速度を早めて「泣くための試薬」に関する研究を進める事を決心した。 それから長かった。 大学院での研究テーマに対しては、ある程度の成果を出して終わりを迎えた。もちろん試薬作りの計画込みで。 1年程度で作り上げるつもりだったが予想以上に苦戦して完成させるのに卒業までかかってしまったのだ。 そうして出来上がったのは1錠だけだった。 それ以外は生物実験に使用してしまった。結果として生命を脅かす危険性は確認されなかった。泣くことができるのかも確認は出来ていない。 それでも失敗するとは考えることは無かった。考えたものは出来るという自負があるからだ。 卒業記念の食事会を予定通りに終了させ、真っ直ぐ部屋に帰って来た。帰ると直ぐにシャワーを浴びて部屋着に着替え、机の上にリモコンと試薬、そしてこの日の為に借りてきたDVDを並べて置いた。 自分ではどれが良いのか分からないので、知り合い全員に聞いて1番人数が多かった「泣ける映画」を選んだ。少女が旅をする話らしいのだが、その部分だけではとても泣ける気はしなかった。 多少疑いはしたが多数決の結果だ。 そう納得させてDVDをプレイヤーにセットした。映像に集中するために部屋も暗くした。画面の灯りで座る場所は十分確認できる。 「あっ!水忘れた…」 カプセルの薬を飲むには水無しでは無理だ。 キッチンに向かいコップの中ほどまで水を入れると手に持ったまま所定の場所に座った。まだ他の映画紹介がされている最中だ。 チャック付きの袋から試薬を取り出す為に袋の口の指をかけて左右に力を入れる。意外とシッカリ閉まっている。 更に力を込めようとした時、本編が始まろうとしていることに気が付いた! いつ泣くタイミングがあるかわからない! 早く飲まないと! チャックを開ける為に更に力を込めた。 「あっ!」 勢いよく開いたチャックから試薬は飛び出した! どの辺りかは画面の灯りで何となく分かる。 早くしないと!でも潰さないように慎重に!っと一歩踏み出した時、プチっとした感触を足の裏で感じた。 「えっ…」 その場に座ると足の裏の固形物をティッシュ越しに摘まむ。画面の灯りで見えるように顔に徐々に近づけていき、ティッシュの中に見えたそれは、中身が無くなった透明なカプセルだった。 これまでにないくらい完成には時間がかかった。失敗も数えきれない程した。考えたことが出来ていた自分にとっては気が遠くなるように思えた。その結果を体験できる…はずだった。 その時、頬を伝い流れるものがあった。 「涙?」 最初はわからなかった。 しかし、どんどん視界を歪めていき、目から溢れる温かい液体が涙だと気が付いてきた。 感情が高ぶり、自然と泣くことを目指して「薬」という手段を選んだ。その薬が無くなった。 それは確かに悲しいことだった。 あれだけ心血注いだのだ。それが成果を見ることなく無くなったのだ。しかも自分の不注意と踏み出した脚によって。泣くキッカケは確かにそれだった。 でも今の涙は違っていた。 私は泣けたのだ。 これまでの人生の中でも、あの試薬ほど「欲しい」と強く望み、力を注ぐことがあれば、そこがキッカケとなり泣くことが出来た可能性は十分にある。 では、何故泣いたことが無かったのか? これまでの人生に満足しているつもりだったが、満足していたのではなく出来ることをこなしていただけだったのではなかったのだろうか?そう考えると、これまでの人生と試薬のために費やした時間が何とも希薄に思えた。 画面の灯りは流れ続ける涙を照らしていた。
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