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翌日、浴衣の着付けを依頼するため昼前に大学に行った俺は、目当ての人物と見事にすれ違っていた。
「はあ……昼の買い出しに行ったとかマジかー……」
目当ての子が入っているサークルの同学年のメンバーに話を聞いたら、どうやら今日に限ってジャンケンに負けて買い出し当番になったらしい。
タイミングの悪さにため息しか出ない。
「戻ってきたら連絡するように言っといて」
「了解」
サークルのメンバーでも無いのにその場で待っているのも居心地が悪くて、伝言だけお願いして別の場所に移動する。
どこで時間潰そう。やっぱり図書室か?麻穂さんにも会えるかもしれないし。
図書室に行くには不純な動機だけど、会いたいものは仕方ない。
「……ん? あれ、麻穂さんだよな」
図書室の入り口横で立ち話をしている女性。それは間違いなく麻穂さんで、その隣にいるのはーー
「誰だ? あの男」
麻穂さんが話している相手は、身長が高く中性的な顔立ちの男で、学内では見かけたことが無いやつだ。
大学内の男を全員知っているわけじゃないけど、あの見た目なら間違いなく目につくはずだし、女子が放っておくはずがない。
てことは、外部生?いや、そもそも学生じゃない可能性もあるか。図書室に出入りしている業者とかも有り得るよな。
「あ……」
遠巻きに2人を見ていた俺の目に、見たことない麻穂さんの満面の笑顔が飛び込んでくる。
本を読んでいる時でさえ見せたことがない嬉しそうな笑顔。それを見た瞬間、胸の辺りがきゅっと締め付けられるように痛くなった。
「っ……」
ーー他の男に、そんな笑顔見せないでよ。
ーー俺以外の男と親しげに話さないでよ。
ーー麻穂さんのそういう表情を見ていい男は俺だけじゃないのかよ……!
ふと気付いたら、さっきまでいた男の姿が見えなくなっていて、麻穂さんが一人で第二図書室の方へ向かっているのが見えた。
それを見て、俺の足が麻穂さんの元へと動き出す。
「ーー麻穂さん」
いつもよりも随分低い声。そのせいか、振り返った麻穂さんが俺を見て少しだけ安堵した表情になった。
「あなたでしたか。今日はどうしたんですか? 大学に何か用事でも?」
俺の気持ちなんて何も気付いて無さそうに、いつもと変わらない麻穂さんに今はすごく腹が立つ。
「ちょっと来て」
「えっ」
腕を掴んで、今から向かうつもりだったであろう第二図書室に引っ張っていく。
掴む力に加減が出来ていないからか、痛いですと彼女から抗議の声が上がるけど、感情が昂っているせいで、耳には入っているのに気にしてあげることができない。
「きゃ……っ」
図書室に入ってすぐ、入り口横の壁に麻穂さんを腕で囲い込んだ。
壁ドンなんて人生で初めてやったけど、こんな状況でやることになるなんて思いもしなかった。
「あの……何かあったんですか……?」
「ーーさっきの男、誰」
「え? 誰のことですか?」
「何で誤魔化すの?」
「誤魔化してるわけじゃなくて……」
訳が分からないーー俺をそんな表情で見つめてくる麻穂さんに、どんどん冷静ではいられなくなっていく。
「さっき、嬉しそうに笑って男と話してたじゃん」
「……! あの、さっきの人は」
「ーー俺には、あんな顔見せたことないくせに……何で、俺以外の男にあんな嬉しそうな笑顔見せてんだよ……っ!」
さっきの麻穂さんの笑顔を思い出した瞬間、俺の中で何かが弾けてーー気がついたら、麻穂さんの唇を奪っていた。
「ん……! んんー……!!」
初めて触れた麻穂さんの唇は、柔らかくて温かくて……本当なら嬉しいはずなのに、胸が痛くて仕方がない。
それでも離すことが出来なくて、閉じられている麻穂さんの唇を強引にこじ開けようとした時、彼女に思い切り突き飛ばされた。
「いやっ……!」
「あ……」
「な、んで……っ」
涙を浮かべている麻穂さんを見て、急速に自分が冷えていく。
麻穂さんから感じられるのは、完全な拒絶だった。
「俺……」
何を言えばいいのか分からなくて黙り込むと、何も言わずに麻穂さんが泣きながら走り去っていく。それを俺は、追いかけることが出来なかった。
「最低だな……」
自分の感情が嫉妬なのは分かってる。
でも、初めて感じるそれをコントロール出来なくて、麻穂さんにそのまま全部ぶつけて……結果、彼女を傷付けた。
そんな俺に、追いかける資格なんてない。
「何やってんだよ、俺は……」
いつも以上に静かに感じる第二図書室には、俺の情けない声だけが響いていた。
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