5.キスの数ほど

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 それから小一時間くらいが過ぎただろうか。執筆は思いの外、順調だった。誰にも声をかけられることなく、自分の作り上げた世界に没頭するのは心地よかった。  時折、ふとした瞬間に、ベッドを見ると、渡瀬がうたた寝をしている場面に遭遇した。しかし、次の瞬間には起きていて、また本を開いている。そんな様子を繰り返しながら、原稿の息抜きに渡瀬を眺めるのも悪くなかった。 「よし、だいぶ進んだ」 「そうか。よかったな」  うーん、と伸びをすると、渡瀬が本を閉じた。 「コーヒーでも飲むか?」 「ああ、もらうよ。少し本棚の本を見てもいいか?」 「もちろん」  渡瀬が部屋を出るとの同時に、下尾は立ち上がり、本棚の前に立った。初めて訪れる本屋の前でその陳列を眺める時は気分が高揚する。今はそれと同じ気持ちだ。  それに加えて、渡瀬はどんな本を持っているのだろう、自分も持っている本はあるだろうかと、胸も躍る。  目線に入りやすいところに最近の流行りの作家の本、やや下には、過去のベストセラー本や、少年漫画コミックなども巻順に並べられている。そして上には資料や辞書、渡瀬の配置は下尾にとって好感が持てた。普段から本の話をしている時も、意見や感想から、こいつとは気が合うらしいと感じていたが、確信に変わった。  もっと早く出会えていたら、もっと楽しい時間が過ごせていたかもしれない。卒業してから就職することが決まっている下尾と、普通に進学するであろう渡瀬は、一緒に学校で話す時間は卒業までと限られていると思うと少し寂しい。  ふと視界に、セミダブルサイズのベッドが目に入った。  男友達の部屋にくるのは初めてのことではない。けれど、ほとんどの友人はこんなに片付けられていなかったし、そもそもこんなに広いベッドを使わない。  愛人の子、と自分で名乗るだけあって、もしかすると金銭的には困っていないのかもしれないが、そもそもこの部屋に誰かが来ることが珍しいことではないように思えた。  渡瀬は、あまり男友達が多いようには見えない。となると部屋に招くのが女性ならば、このベッドの上でどれだけの女性と過ごしただろう。自分だって知り合ってすぐにこの部屋に招かれていることを考えるとーー 「気になった本でもあったか?」  渡瀬は、コーヒーカップが2つのったトレイを持って部屋に戻ってきた。  家にきてすぐに麦茶をだし、少し時間が経って、こうしてコーヒーを持ってくる気遣いができる。口は悪いが、人とはすぐに打ち解け、ある程度の常識も兼ね備えている。だとすれば、渡瀬を取り巻く噂が矛盾する。そういうことにだけは、だらしがない男なのか、それとも何か別の事情があるのか。 「渡瀬」 「ん?」 「気分を悪くさせたらすまないが」 「なんだよ改まって」  下尾は渡瀬の対面に座り、背を正す。 「女性を妊娠させたという噂は本当なのか?」  その問いかけに、渡瀬の瞳が揺れたのを渡瀬は見逃さなかった。 <次回、10/16は#恋星男子最終話の更新なので、こちらの更新はお休みします。>
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