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1.最悪な出会い
それは下尾が高校三年生の頃に遡る。
とある五月の午後、文芸部の部長である下尾は、副部長である二年生の楠本と職員室を訪れていた。部員全員で参加を予定している文芸コンテストのプロットを、顧問の徳道に提出するためである。
徳道は下尾から渡された紙の束ひとつひとつにざっと目を通し、枚数を数え始めた。下尾と楠本はその徳道の手を目で追いかけていた。
「数が足らんじゃないか」
意外な言葉に下尾は楠本と顔を見合わせる。提出前に部員リストをチェックしながら確認したので、間違いないはずだ。
「文芸部の部員は何人だ?」
「一年は二十五名、二年は十八名、三年は八名です」
楠本が即答する。下尾も脳内で同じ数字を思い浮かべていた。何度も二人で確認しているので間違いない。
「違うだろ? なぁ下尾」
彫が深く皺の刻まれた顔で、徳道は不敵な笑みを浮かべた。その言葉に、記憶の片隅に追いやっていた一人の顔を思い出し、下尾は眉間に皺を寄せた。
「部長?」
楠本が下尾に向かって首をかしげる。
「三年生は……九名です」
「え、誰ですか?」
「渡瀬光。部活には参加していないが、一応、文芸部の部員だ」
「あの渡瀬……さん、ですか」
楠本が驚くのも無理はない。渡瀬はとある理由で学校中の生徒がその存在を知っているが、文芸部員であることは知られていない。おそらく、一度も部活に参加したことがないはずだ。下尾がため息まじりに答えると、どうやらその答えを待っていたらしい徳道は頷いた。
「渡瀬のプロットが出ていないぞ、下尾」
いきなり、今まで部活に参加していなかった部員のプロットが出ていないと急に言われても困惑する。渡瀬が文芸部員であることを下尾はたまたま知っていたが、当時の顧問も、先輩も、今まで渡瀬に部活へ参加しろと促したことはなかったはずだ。
「去年までは大目に見てきたかもしれないが、今年からはわしが文芸部の顧問だ。高校最後の年くらいは部活に参加させたらどうだ」
「はぁ」
「まぁ、優秀な部長であるおまえならできるだろ?」
優秀という言葉の響きが、小さな棘のようにちくりと下尾の胸を刺す。
子供のころから勉強が苦ではなく、なんとなく今まで成績上位者の道を歩んできたせいか、クラス委員や委員会役員などをやらされることも多かった。そういう意味では優秀なのかもしれないが、文芸部の部長として下尾が優秀かと問われると決してそうではない。誉め言葉の裏に隠された嫌味に、気づかないくらい鈍感であればどんなによかったか。
「善処してみます」
「この時間、渡瀬はだいたい屋上でサボってるからすぐ捕まるぞ」
「わかりました」
差支えない程度の言葉を残し、下尾は楠本と職員室を出た。
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