4.二人の距離はゼロ

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「ここは、なんていうか、もう少し印象に残るような冒頭のほうがいいんじゃないかな」 「具体的にはどんな風にしたらいいですか?」 「うーん、そうだなぁ」  その日の授業後も文芸部はいつもと同じ光景だった。下尾が部室に入るなり、待ち構えていた後輩が数人が列を作り始める。自作品に下尾の感想と意見が欲しいからだろう。  部室を見渡すと、他にも三年生はいたが、執筆をしていたり、本を読んでいたり、と様々ではあるが、後輩にアドバイスをしている様子の者はいなかった。唯一、楠本だけが数人の後輩と話をしているようだったが、どうやら雑談のようだ。ただ、来たばかりの下尾の様子を盗み見ている様子ではあった。 「俺がここでこういう風にしたら、君の作品じゃなくなってしまう。まだ時間があるから、考えてみてはどうだろう」 「部長が俺だったら、どういう書き方をしますか?」 「俺だったら、か」  冒頭に行き詰まって、なんとかしてヒントを引き出そうとしているのはわかる。しかし、冒頭というのはラストまで書き上げてからも変わる可能性はある。実際、自分ならここはスルーしておいて、とにかく先を進めることに注力するだろう。  さて、どうしたものか、と机に置かれた原稿を後輩と見つめていると、突然目の前に手が伸びてきて、原稿が取り除かれた。 「あっ」  原稿を持ち上げたのは渡瀬だった。 「あ、あの」 「これはエッセイか。ジャンル不問とはいうけど、若い書き手のエッセイはその若さならではの視点が文章や着眼点に活かされてないと、難しいぞ」  渡瀬はその場で、クリップで綴じてある原稿をパラパラとめくり始めた。何が起きているのか、わからず下尾も原稿の持ち主である後輩も黙って渡瀬を見つめていた。 「いま、ざっと全部読んでみたけど、何が一番言いたいわけ?」 「えっと、ファーストフードは手軽で美味しいけど、身体に良くないということとか」 「なんだそれ。家庭科の教科書か。そんなん、常識として誰もが知ってんだよ。エッセイっつーのは、そういう常識を文章でひっくり返すような内容だから面白いんじゃねぇか」 「はぁ」 「逆に、身体に悪いことはわかってるんだけど、どうしてやめられないのかっていう、どうでもいいことに力入れるんだよ。バカだなこいつって思わせたほうがエッセイは勝ちなんだよ。印象に残るってそういうことだろ」  言い切った渡瀬に、後輩は目をパチクリと瞬かせている。綺麗に書こう、常識に沿って書こうという概念をぶっ壊す渡瀬の感想は、とても渡瀬らしくそれでいて腑に落ちる意見だった。 「そうだな、渡瀬の言う通り、そういうエッセイだったら目を引くだろうな。それも含めて、練り直してみたらどうだ。まだ時間はあるぞ」 「はい、やってみます……」 「よーし、次」  渡瀬はその後輩の後ろに並んでいた別の部員に向かって手を差し出した。驚いてはいたが、ちらりと横目で軽く頷いた下尾の顔を見て、原稿をおずおずと差し出した。 「純文学か」  受け取った原稿をぺらぺらとめくる渡瀬に、下尾は立ち上がり席を譲る。空いた席にすぐ渡瀬は座り、ブツブツと何かをつぶやき始めた。  他の部員も渡瀬の動向を見つめているのか、部室はピリッとした空気が漂っている。
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