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「部長、大丈夫なんですか?」
楠本が駆け寄ってきたが、下尾はうんうんと頷く。自分だけは知っていた。渡瀬がここに来た目的と、そしてこういう役割をさせたら、渡瀬は自分よりも適任だということを。
「まずここ、主人公の口調と性格が合ってない」
いきなり読み終わったと思いきや、すぐに原稿を指差して、指摘を始めた。
「あと、ここも一人称と三人称がバラついてる。おまえが伝えたいのはどっちの気持ち?」
「え、あ、その、すみません」
「ほら、ここで主人公は人見知りって言ってんじゃん。それなのにこんな積極的に声かけるか?」
部員は理詰めしてくる渡瀬に圧倒されている。
「おまえさ、これ何回読み直した? 一度くらいで持ってくるなよ」
「すみません……」
「下尾も暇じゃねーんだから、ある程度わかることは自力で潰してから完璧にしてもってこいよ。それくらいわかるだろ」
「はい……すみません」
あいかわらず容赦ないな、と目を細めていると、ついに耐え切れなくなったのか、その部員は席を立ってしまった。
「ちょっとまずいんじゃないですか」
ずっと渡瀬の様子を見張っていたのか、すぐに楠本にささやかれたが、下尾は特に反応しなかった。すると一年生は鞄から筆記具を持ってきただけで、すぐに戻ってきた。
「すみません、メモしたいんでもう一度お願いします!」
「おう。よく聞いとけよ」
ニカッと笑った渡瀬はさきほどよりも一層早口で、原稿の所感を述べた。渡瀬のアドバイスはシンプルかつ的確で、下尾のアドバイスよりも的を得ていたように思う。
「おい、おまえらに言っておくぞ。コンテストってのは、まずは下読み審査員がふるいにかけるんだ。そこで残る作品にしないといけないんだ。だから、そのレベルになってない原稿を見せにくるな。そこまでに仕上げるのは自分の力なんだよ」
渡瀬の言葉に部員のほとんどが下を向いた。自分の作品がそこまでのレベルに達する前に、下尾のところに持ってきたのは自覚しているのだろう。
「自分の原稿は自分でなんとかしろ。あんまり下尾に頼りすぎんな。でも、どこがダメなのか、わかんないやつは俺のとこにもってこい。よし、次」
「お願いします!」
渡瀬のその言葉のあと、次々と部員が駆けつけた。渡瀬はまたすぐに原稿を読み、指摘する。その指摘は的確な上に、しかも一人あたりの時間も下尾に比べると短かい。ある程度こなすと、すぐに人は途切れるが、誰もいないときは持っていた文庫本を読み、また誰かが原稿を持ってくると、相手をする。その切替の早さは、はっきりいって下尾よりも効率が良かった。
結局その日は、下尾の元には誰もアドバイスを求めにこなかった。
「じゃあ、俺、帰るわ」
「渡瀬、待て」
終業のチャイムが鳴ったのと同時に渡瀬は席を立つ。下尾が引き止めたが、渡瀬はそのまま部室を出ていってしまった。数人が小さな声で「ありがとうございました」と言ったのを下尾は聞き逃さなかった。
「部長」
出ていこうとする下尾を呼んだのは楠本だった。
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