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「楠本か。そうだ。渡瀬はおまえのこと気にしてないって言ってたから、心配しなくていいと思うぞ。それだけひとことおまえに言ってくれって言ったのに、あいつ……」
「いえ、そうではなくて、ですね」
「なんだ?」
あと他に何の用事があるというのだろう。今日の渡瀬には目に余るような行動は感じられなかったように思うのだが。
「いつのまに、渡瀬さんと仲良くなったんですか」
「は? 俺があいつと仲良く見えるのか?」
「悪くは見えません」
そう見えているのか、と驚く。そういえばもともと徳道のところで渡瀬の話をしてから、すぐに下尾と渡瀬は話をして、今では一緒に昼食を共にする仲になっている。そのことを知らない楠本からしたら、急に仲良くなったと思えるのも無理はない。
「確かに、今日の渡瀬さんはすごいと思いましたが、それでよくない噂が払拭されるわけではありませんし」
「だから何だ?」
自分でも驚くほど低い声音で尋ねていた。その空気を察したのか、楠本は、いえ、あの、と言葉を詰まらせている。
「俺も最初は、奴の噂のことはちらついた。でも今は俺の中で、噂なんてどうでもいいと思ってる。それくらいあいつのアドバイスは的確だった。短時間でもちゃんと小説を読み込んだ上で、適当なことは言っていない。違うか?」
「それは、そうですが」
「渡瀬は部員を助けてくれた。たとえ徳道先生が来いと言ったとはいえ、ここに来る義理はなかった。それに気にしていないと口では言っていても、ここで嫌な気分は少なからずしたと思うからな」
あえて下尾は楠本に対して言葉を選ばなかった。どうしてかは、わかっている。下尾自身が楠本の言葉に苛立っていたからだ。
「部室の戸締まり頼んだ」
下尾はそのまま自分の鞄をひっつかんで、飛び出すように部室を出た。今ならまだ追いつく。足はそのまま下足箱へ向かっていた。
――おまえに渡瀬の何がわかるの?
まだ知り合って間もなくて、知り尽くしていると断言できるわけではないのに、それでも今の自分は渡瀬のことを悪く言うやつが許せない。自分だって最初は偏見の目を持っていたというのに、おかしな話だとわかっていながら。
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