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昼休憩も半分過ぎ、すれ違う生徒は午後からの授業のために移動したり、教室へ戻ろうとしているのに、下尾だけは人の波と逆方向に歩いていた。
(昼に屋上で一人か。確かに、友達はいなさそうだな)
もし本当に噂通りの人間なら、きっと同性から好かれていないだろうと予測できる。下尾自身もそれほど友人が多いほうではないが、積極的に人と交流しようとしないだけで差しさわりのない会話は誰とでもできる。
学校内で知れ渡った渡瀬光の代名詞は、いわゆる下半身にだらしないとされる「ヤリチン」だ。とにかく女性関係の噂が絶えない。他校の生徒と歩いていた、年上の女性と夜の街にいた、だけに留まらず、男子校でありながら保健室の女教師と噂になったこともある。ただモテるだけなら、悪名にならないのだが、去年あたりに広まった他校の女子生徒を妊娠させたらしいという噂で一気に、不名誉な男のイメージが定着してしまった。
それに比べて下尾は、平均よりは高い身長以外は、特に容姿に特徴がなく、センター分けの黒髪に、せいぜい真面目人間の必須アイテム眼鏡が印象に残るくらいだ。あらゆることに無関心でめったに感情を表に出さず、声を荒ぶることもない。感情を乱すなんて、無駄なエネルギーを消費するだけだ、とどこか冷めた自分がいる。
渡瀬と比べれば、明と暗。正反対の人種で、楠本が危惧するのもわかる。
ただ渡瀬は派手に女性と遊んでいるだけで、個人の資質はまた別の問題、と思うのだが、そういうものではないのだろうか。
いずれにしろ、あまり面倒なことには巻き込まれたくない。下尾はできることなら目立たず静かに学園生活を送りたいと常々思っているからだ。
ぼんやり考え事をしながら 屋上へ続く階段をあがる。以前はベンチが並べられ、昼休憩する場所のひとつだった屋上だが、禁止されているバレーボールをやってボールを地面に落とした生徒がいて、それ以来立ち入り禁止になっていたはずだ。
屋上の扉に近づくと、その鍵は室内からロックされており、飛び出した金属部分がつっかえ棒になって、2センチくらいの隙間が開いている。誰かが閉めてしまうかもしれないと考えないのだろうか。これが渡瀬の仕業なら相当な度胸の持ち主だろうに。
下尾がその扉を開けると、屋上の柵にもたれかかりながら空を見上げている夏服の生徒の後ろ姿が見えた。長袖のシャツは風で膨らみ、茶色の髪がなびいていた。
その後ろ姿に向かって下尾は歩く。五月だというのに、日差しは夏の訪れを感じさせる。屋上特有の横風がなければ、長時間は居られないだろう。
「渡瀬」
下尾の呼びかけに、生徒はすぐに振り返った。近くで見ると思ったよりもずっと明るい茶髪に、つり眉で垂れ目で甘く整った顔立ちは、いわゆるイケメンの部類に属するのだと思う。これだけ整っていれば、女性が惹かれるのも無理はない。ぼんやりと下尾がそんなことを考えている間も、渡瀬の栗色の瞳はまっすぐに下尾を見つめていた。
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