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選評から思うこと
最近、ある小説新人賞の選評がメールで届いた。選評をいただけるということは書き手にとって大変ありがたい。その手の専門の方に客観的な意見をもらえる機会というのは大変貴重で、編集でもない下読みさんだったり、編集の新人さんだったりするのかもしれないが何であれうれしい。
最終選考にも残っていないのに選評をもらえるという新人賞は少ないが、いくつかはある。中央の文学賞にはなく、ライトノベルやライト文芸の賞に多い。選評を求める人が多いので、内容は簡単にまとめられていることが多いがそれでも大助かりだ。
二十代前半か半ばごろ、自費出版系の文学賞に応募したときはかなり詳しい選評をもらった。あのときはしっかり読んでもらっていることがわかりうれしかったが、ほぼ褒め殺しで怖かったのを思い出す。自費出版系の出版社は自費出版させるのが目的であるから仕方ないが、選評をもらうなら自費出版系以外の一般的な出版社の新人賞がいいと思う。
ちなみに自費出版のお金がなくても、値段も高くないからローン組めるよ~とか言葉巧みに誘ってくるので、騙されやすい人は注意していただきたい。当時百万くらい?で一定期間全国に並べてもらえると言われたような気がする。
発想を変えれば、経済的に余裕があり、思い出作りにでも出版したいという人は、自費出版系の出版社に持ち込むのもいいかもしれない。
話を本筋に戻すと、ここ最近もらった選評を読んでわかったことがある。私の小説の選評に毎回のように書かれる欠点は「構成」についてだ。回想ものを書くことがわりと多いが、現在と過去の入れかわりが多くて、今だか過去だかわかりづらいと書かれる。
二つの世界を行き来する話を書いたこともあるが、行ったり来たりで話の持っていき方がわかりにくいとも書かれたことがある。しっかり構成、話の持っていき方を考えて、と。
えーっ!と思ってしまう。自分ではかなり考えているつもりだから(つもりが一番よくない苦笑)
何十回、何百回読み直して推敲するわけだが、自分は内容がわかっているためそうなってしまうのもわかる気がする。やはり自分本意な小説なのだ。そこで客観的な意見が重要になってくる。
残念ながら私の周りに小説を読んで、構成について意見してくれるような人はいない。だからこそ選評が重要になってくる。
構成が悪いと文章も下手に見えるらしい。
ストレートなシーンの文章は問題ないが、構成が崩れてくると読みにくいと書かれていたことがある。文章が下手くそに見える、本当はそんなでもないのに、と。構成が悪いと説明も多くなるし、読者を納得させなきゃという思いが先走るのかもしれない。オーノー、どうしたらいいんだ。
構成のプロ、いらっしゃったら教えて下さい。
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