鬱と三浦春馬と

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鬱と三浦春馬と

 俳優、三浦春馬が亡くなってから四十九日が過ぎた。  今日(日を跨いでしまったので昨日。令和二年九月十五日)は、彼が撮影中だったドラマの放送開始日。  ドラマは三話分まで収録が終わっていたそうだが、それ以降、撮影に臨むことなく三浦春馬は死んでいった。首つり自殺だったという。  関係者やファンたちの要望により、ドラマの撮影は三浦春馬を除いて続行し、もともと全八話予定だったものを全四話でまとめる形となった。三浦春馬のラブコメは最近だと珍しいので、とても楽しみにしていた。全四話を思う存分楽しもうと思う。  会社の先輩は悲しくなるから見たくないと言っていた。その気持ちはわからないではないが、私は全部見たいし、実際第一話を見た。リアルタイムではなく、オンデマンドだったが。  あれほど先輩にドラマを楽しみましょう!と豪語したのに、いざ見始めたらさすがに最初の春馬くんのシーンは胸にくるものがあった。彼はこの世にはもういない。すぐにドラマに引き込まれて悲しみが一瞬で終わったのは、彼や他の俳優たちの演技の賜物だと思う。  彼が亡くなった前夜は「また明日お願いしまーす」と撮影後、変わりなく帰っていったらしい。ドラマの撮影中にも関わらず死ぬってどんな気持ちだろう。心残りはないのだろうか。それどころじゃないから死んだのだと言われればそれまでだし、彼の場合、毎日スケジュールがいっぱいでいいタイミングなんて探してもどうせ見つからない。  一昨年か、もっと前だったろうか。私が新卒で入った会社の同期が亡くなった。自殺だ。私はその会社をすぐ辞めてしまっていたし、彼女とはそれほど仲がよかったわけではないが、別の同期の女の子から連絡が来て驚いた。  結婚して子どもが三人いたらしい。ご主人と子どもたちを残して死んでしまった。育児で悩んでいたとかいないとかで欝気味だったらしいが、本当の理由はわからない。  守るべき家族がいても死んでしまう。やりかけの仕事があっても死んでしまう。たぶん、明日が結婚式、明日が授賞式、明日が引退試合、とかどんなに大きな出来事があったとしても人は死んでしまうのだと思う。  私もそれなりに色々あったが、辛いと思ったときでも死にたいと思ったことはない。  いじめにあっていたときは学校に行きたくないとは思ったが、死にたいとは思わなかった。こんなに苦痛なのになぜ学校に行かなくてはいけないのか意味がわからなかったが、今は亡き母が悲しそうだったし、説得して応援してくれたので我慢して行った。(何を隠そう、この母も欝気味だったのだが、それはまた別の機会に)  学校にいじめられに行くだけの毎日って本当に無意味。これが義務教育だとか馬鹿らしいことこの上ない。勉強なんて一つも覚えていない。毎朝起きるのと、毎週日曜日の夜が特に憂鬱でどうしようもなかった。朝起きたらみんないじめのことなんて忘れて普通の生活に戻ってないかな、とかいらぬ願望を抱くこともあったが見事に裏切られる。みんな忘れていない。  一、二年ほどで収まったのだが、当時は早く家に帰って漫画雑誌「なかよし」を読むことだけが私の唯一の楽しみだった。もしあのとき「なかよし」がなかったら、私は何を糧に生きていたのだろう。  ただこれだけは言える。。それぐらい些細なよくある小学生のいじめが、私を一生苦しめることになるのだから不思議なものだ。事あるごとに記憶を呼び戻して傷口を抉る。  一浪した上でセンター試験を失敗して大学を落ちまくったときも、徐々に鬱に突入したが死にたいとは思わなかった。二次試験も全て終わり、滑り止めも受け終わり、勉強もする必要がなく部屋にこもり泣いてばかりいた。  結局、センター試験の失敗が尾を引き、滑り止めまで全部落ちて涙の毎日だったが、後期で志望大学に受かった。後期は科目数が絞られることが多いのでそのおかげだ。ありがとう、私の文系科目たち。(なぜ滑り止めの大学でそれを遺憾なく発揮してくれなかったのか、という疑問はさておき)  偏差値の高い大学ではなかったが、それでも本当にうれしかった。このとき鬱から脱却した。  新卒で入った会社を辞めるかどうかで悩んでいたときは、毎朝起きるのが苦痛で、昔いじめられていたときのことを思い出した。いじめられていたわけではないけれど。  そのときも朝が来るのが嫌で嫌で気が狂いそうだったが、死にたいとは思わなかった。ただただ朝が来なければいいと願った。ある日寝坊して大遅刻をし、そのときに辞める決心をした。朝起きたくないほどの仕事を続ける意味ってなんだろう。義務教育はもう終わった。私は大人だ。  新しい会社は正社員ではなかったし給料も下がったが、朝がこんなにも清々しいものなのだと久しぶりに思い出して泣きそうになった。寝坊したことも一度もない。  私のように何があっても死につながらない人と、突発的であれ死につながる人との違いは何かと考えると、心の病み方が違うのかもしれない。目の前の苦難から逃れさえすれば新たな光が見えてくると考えるのか、目の前の苦難から逃れても生きている限りまた似たような苦難がくるかもしれないと怯えるのか、生きている意味がわからなくなるのか、生きていることに疲れてしまうのか――  結局のところ、本人にしかわからない。三浦春馬の気持ちは三浦春馬にしかわからない。原因を知りたい気持ちはあるが、本人がいない限り迷宮入り。  ドラマの中の三浦春馬の笑顔は素敵だった。    笑顔の裏などはとりあえず置いておいて、単純にうれしかった。    ありがとう、春馬くん。どうか安らかに……  
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