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夏に吹く風はいくつもの種類があると思う。
俺がまず思い浮かべるのは、生ぬるくて湿気を纏った不快感を抱かせる自然の風。扇風機やエアコンが送り込む心地の良い風。海が気持ちの良い匂いと共に運ぶ潮風。
俺はその前者2つの温度差によって風邪をひき、熱を出していた。よりにもよって、部活の練習試合の日に。
俺はバレーボール部に所属していた。
3年生は引退で中学の部活、2年生がこれから引っ張っていかなくては駄目なはずだった。
身体が怠く、好んで浴びていた冷たい空気も嫌になるほど寒気がする。布団を深く被ればその分、汗が滲み出る。
自分がこれから上級生として、後輩たちには威厳を見せなくてはならないのに、風邪で休みだなんて……
監督にも体調管理のことで怒られるだろうな、と俺は思いながら悔しさを噛み締めた。
そんな俺をあざ笑うかのような、ミンミンゼミの鳴き声なんて聞きたくなかった。耳を塞いでフィルターをかけるが、その奥から元気な笑い声は絶えず聞こえた。
突然の来客なのだろうか、ミンミンという笑い声の他にインターホンが鳴るのを感じる。
誰が来ようと俺には関係のないことだった。マスクをして、熱を冷ますための冷却シートを額に貼る。そしてこの部屋に隔離させられる。自室の筈なのに、監禁されているようで妙に憎たらしい。
母のわざとらしい大きな声が近づいてきて、俺は更に布団の中に身を潜めた。何が行なわれているのか、外に誰が来ているのか分からなかったからだ。
「風斗! 起きなさい!! 夏美ちゃん来たわよ」
母は恐竜の雄叫びような声を出して、部屋を開けた。夏美というのは俺の幼馴染み。同じ部活で彼女はマネージャーをやっていた。
「お母様。大丈夫ですよ。お気になさらず。私が、起こしてみますので……お母様はごゆっくりしてください。風斗君の看病で疲れてると思いますので」
「あ〜ら! なんて良い子なのかしら。そうなのよ。この子が急に熱出すもんだから、もうクタクタなのよ」
俺は母のその発言に、眉間にシワを寄せ記憶を呼び起こした。
確か、熱を出したと言った時母は……
「冷めピタ貼ってバフリン飲んで寝とけば治るっしょ? ねぇ……今の稲海淳二さんの怪談めっちゃ怖くなかった?」
と全てを俺に任せて、録画していた恐怖映像のテレビ番組を鑑賞していた。内容が気になる一言を残して。
クタクタになるはずが無いのに母は、浅いため息を零しながら、大きな足音を残して部屋を後にしたようだった。
キイッと不気味な音を立てて部屋のドアが、ゆっくりとしまっていく気配がした。夏美の、凛とした声が静かに発せられた。
「風斗。起きているんでしょう?」
俺は彼女の声で、その布団からモゾモゾっと出ていく。やっぱり幼馴染みというのは厄介だと、この時感じた。
「なんで……ゴホッ、夏美がここに居るんだよ。練習試合だろ」
マネージャーだからこそ、練習試合のときは選手のケアが必要になってくる。
監督のキツいシゴキに耐えて頑張った選手達に、水分を渡したり、監督にボール出しをすることによって練習の効率を上げる。そんな大事な役割だ。それに女子に見られているという効果は、中学男子のハートを熱く燃やす。それが可愛い女子であれば尚更だ。
「監督が、練習試合午前で打ち切りにしてたわ。気温が高すぎてこれ以上は熱中症になるって言ってね」
「あの監督が!?」
にわかには信じられないことに驚きを隠せないで、俺は痛む喉を無視して大声を出ていた。息を吐き出した後、急に来る咳が俺の呼吸を乱していく。
『鬼』と呼ばれている俺らの監督はどんな状況だろうと、その厳しさを変えないことで有名だった。
去年だって、猛暑日に先輩たちをシゴキにシゴキまくった。かなりのサディストだと俺は思っていた。
「信じられないのはしょうがないと思うけど、本当よ。だって今日の監督すごく寂しそうだったわよ。一番可愛がってる正セッターが熱で休みだったから」
「ゴホッゴホッ……正セッターって俺のことかよ。それは嫌味かなんかか? というか、鬼が寂しがってるってありえねぇ〜」
彼女が吐いた正セッターっていう言葉に反応し、俺は監督の毒を吐いていく。
攻撃の多彩さは、俺より後輩のセッターのほうが上であるし、技術的にも上だった。だからこそ俺は、体調管理という面ではしっかりしたかったし、練習にも出来るだけ休みたくなかった。
負けたくない、という一心で。
彼女は俺の不貞腐れた様子にため息を吐いて、監督のフォローをしていった。
「本当よ。だって、今日の相手で鬼ちゃんがやりたかった事は……サーブレシーブの強化」
「それは知ってる」
「良いから聞いて。鬼ちゃんは知ってたわ。どんなにサーブレシーブを強化したって、どうしても崩れてしまう時があるっていうことを。だから正セッターである風斗に、どんな状況でも良いトスをあげれるよう、特訓したかったのよ」
「それだったら一年のアイツでも良いじゃねぇか」
「アレはまだ駄目よ。スタミナがついてないし、なにより根性がない。すぐに音を上げちゃうから、鬼ちゃん言ってたわ、『アイツ熱出したって言ってたけど大丈夫かな。早くアイツをシゴキてぇ。血ぃ吐くまで練習させてぇ。アイツならこんなメニューも楽しそうにやるんだけどな』って」
「途中鬼だったんだけど、そこには何も触れないのか?」
彼女は俺のツッコミに対して小さくククッと笑った。
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