0人が本棚に入れています
本棚に追加
人間は嘘の塊。
嘘は声に滲み出て、その声を聞けば勘のいい人ならすぐに気付くものよね。耳を目にして生きる盲目の私なら尚更かもしれない。
だけど、ある男の声には一切の嘘がなかったの。だから一発でわかったわ。
「こいつは世界一の嘘つきだ」ってね。
“私は嘘をつきません”っていうのが最大の嘘。
嘘なしで生きられないのが人間であり、その事実をなかなか受け入れられないのもまた人間。だから悲劇は終わらない。
目覚まし時計のアラームで目を覚ました私は、方向と距離を音から推測し、ベルを止めた。別に目が見えなくても、これぐらい雑作ない。慣れてる。
上体を起こし、猫みたいに背を伸ばすと瞼の裏にぼんやりと光りを感じた。窓から入る朝日だ。天気は良さそう。私は盲目だけど、強い光りなら何となく感じることができるわ。
昨日おろしたばかりのシルクのパジャマが気持ちいい。ずっと着ていたいと思いながら、私は部屋を出て、廊下を歩き、階段を下りて一階のリビングに向かった。リビングに近づくと、家族みんなの声が聞こえてくる。みんな元気みたい。
「おはよう」
私が言うと、みんなの山彦が返ってきた。
「似合ってるじゃない、そのパジャマ」
ママに言われて照れ笑い。パジャマのデザインは、白いシルクの生地に赤いお花がたくさん咲いている感じらしい。
洋服のデザインのチョイスはいつもママに任せてる。理由は、ママに選んでもらった服で友達に笑われたことは一度もないから。ママは私の目の代わり。
パパとお兄ちゃんは、もうスーツに着替えてるみたい。衣擦れの音で、いつものスーツとすぐにわかった。
「俺もママに同感だよ」
兄の声は、春先の風みたいに爽やか。お兄ちゃん大好き!
朝食は、私の大好きなフレンチトースト。甘いミルク卵液を吸い込んだ厚切りのトーストは、外がカリッと香ばしく、中はもはやスフレケーキ。卵と牛乳のコクとウマみ……、動物ってやっぱ美味しいよね。添えられた塩気の効いたソーセージのソテーとの相性もバッチリで、ママの料理は三ツ星ホテルのバイキングに紛れ込ませてもバレないと思うレベル。
パパと兄が朝食を摂りながら難しい顔で会話している。声のトーンと咀嚼音にハーモニーがないことからはっきりと推測できた。
「何かあったの?」
私は手で椅子の位置を確認して、座りながら二人の紳士に訊ねた。兄のためらった声、
「実は今……」
が聴こえてくると父が遮るように咳払いをした。ダイニングキッチンがシンと静まり返る。“美羽には話すな”という無言のサイン。(美羽って私の名前)
「い、いや、何にもないよ」
兄はウソで私を躱した。でもそのウソは、私を騙すためじゃなく、私を想ってのことだと感じた。声が柔らかかったから。
「チィ、つまんない。また私だけ除け者扱い?」
パパと兄は警察官。パパはお偉いさんらしく、兄は若くして現場の指揮官を務めるエリート刑事。
そして私は探偵小説好きな自称・盲目の美少女探偵。クラスで人気のある男子から「美羽は可愛いと思うよ」と言われたから勝手に美少女を自称してるちょっと頭の痛い子。わたし、目、見えないから自分の顔がわかんない。でも、その男子は嘘を言っている感じはしなかったし、普段から結構誠実な人間性を感じるから私は信じることにした。
私の探偵のサガが騒ぐ。
「お兄ちゃん、今、大きな事件を抱えているんでしょ?」
大きな事件を任された時には決まって私に話さない。なぜなら私が事件に首を突っ込もうとするから。パパはそんな私を心配して兄に言い聞かせているみたい。私に警察の仕事に対する興味を抱かせるなと。まぁ無理もないよね。パパもお兄ちゃんも、日々凶悪犯と戦ってるんだから。
でも私は私の好奇心をセーブできない。
「どんな事件? もしかしてエンジェルコフィン?」
エンジェルコフィンとは、今世間を震撼させている連続殺人犯の通称。被害者は若い女性ばかりで、皆、エンジェルの彫刻が施されたコフィン(柩)に納められた状態で発見された。毒殺らしい。なかなかの知能犯らしく警察の捜査は難航している。
殺された女性には二つの共通点があった。
一つは年齢。皆16歳、高校一年生で私と一緒。
二つ目は容姿。ルックスが全員似ているらしい。丸顔ショートヘアで童顔。
犯人は、この二つの条件を満たす子をこの3ヶ月で6人殺した。
「美羽。お前には関係ない」
パパの声は研ぎたての包丁のように鋭い。お偉いさん特有の緊張感がある。私は一瞬ゾッとした。
でも、そうやってパパが否定したってことは私の推測は正解だったみたいね。違ってたらイチイチ否定しない。私は食い下がる。
「関係ないことはないわ」
食い下がるにもちゃんと理由がある。私の大切な友達・友香が、エンジェルコフィンの犠牲者と同じ共通点を持っていたからである。友香は16歳で丸顔の童顔。最近髪型をショートにしたばかり。条件はドンピシャ。だから私の心は今にも雨が降ってきそうな空みたいに低い雲が垂れ込めてる。誰だって心配になるよね?
「私はいつも友香に助けてもらってる。だから私が守らなきゃいけないの」
友香は私の通学の介助をしてくれている大切な友達。毎朝迎えに来てくれるからパパもお兄ちゃんも彼女の顔を知っている。エンジェルコフィンの捜査をしているなら彼らも心配になるはず。
警察はボランティアじゃない。経費がかかるし、それなりの理由がなければ人員を動かすことは許されない。
「心配だから友香にボディーガードの警官をつけてあげてっていっても警察は動いてくれないじゃん」
私は一ヶ月ほど前から何度もパパたちに友香を守ってってお願いしても返事はノーだった。犯人に狙われているという確証がないと警察は動けないらしい。だから私は簡単に引き下がれない。これはただの探偵ごっこじゃない。
「警察が動かないなら私が動く。私が友香を守るから」
「美羽。よしなさい」
パパの鋭い声を私は払いのける。
「嫌だ」
私は見えていない目でパパを睨んだ。そこへ兄のそよ風が吹き込んできた。
「まぁまぁまぁ」
大好きな兄の声に、私はちょっとクールダウンした。冷静にならなきゃね。でも、引き下がるつもりは絶対にないわ。
何せ犠牲者はみな悲惨な殺され方をしている。死因は毒殺らしいけどただの毒じゃない。蛇の毒よ。女の子たちは生きたまま柩に閉じ込められた。棺桶を満たすほどの薔薇の花と、数匹の毒蛇と一緒にね。二本の毒牙で噛まれた傷痕(ホチキスの穴みたい)は全身に十数カ所。痛みと恐怖を想像すると私の足から力が抜けていった。
友香をそんな目に合わせるわけにはいかない。だから私が絶対に守る。
いつものように私は友香と学校に向かっていた。
最初のコメントを投稿しよう!