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分かってない【パパ編】 その2-5
スーツを来た男はそれほど年が行っているようには見えなかったが、香凛が会話を交わすには違和感を覚える相手だった。
夜だし、はっきり相手の顔が見える訳でもない。詳しいことは分からない。
だが、その光景に胸の内をぐるぐる何かが渦を巻く。それが焦燥だと気付けば、次から次へと良くない想像が巡った。
何だ、ナンパか?
どう考えても知らない男だろ。
何なんだその距離感は。警戒心がなさ過ぎるんじゃないのか。知らないヤツと何をそんなに話し込む必要があるんだ。
「っ!」
信号がなかなか変わらないことに苛立ちを覚える。向こうをただ見ていることしかできない。
そこへ更に最悪のタイミングで大型のトラックが入って来て、視界が潰された。
こんな時に限って!
トラックはなかなか捌けない。苛立ちが募っていく。
まさかついて行ったりしないよな。香凛もそこまで迂闊じゃないはずだ。
そうは思うが、自信はなかった。
香凛は今弱っている。とてつもなく心が弱っている。
そういう時、人間は思いも寄らない判断ミスを犯すものだ。普段なら絶対しないような行動に出てしまうものだ。
それに失恋というのは尤もつけ込みやすいタイミングだ。ぐらぐらしているタイミングだ。
傷を癒すのには新しい恋だなんだのとよく分からない理由をつけて、もしかしたらついて行ってしまうかもしれない。
そして、ようやく目の前から邪魔なトラックが捌けた時には。
「!?」
そこに、香凛はいなかった。
さっきまで横断歩道を渡ろうとしていたはずなのに、その姿は消えていた。一緒に話し込んでいた男の姿もない。
まさか、ついて行ったのか? あのよく分からない男に?
頭の中にあらゆる犯罪の可能性が浮かんだ。犯罪に至らなくても、自分をぞんざいに扱った香凛が更に傷付くのではないかと、血の気が引いた。
オレの、せいだ。
そう思った。
オレが香凛の気持ちを認めもせずにお茶を濁すようなことばかりして、まともに向き合わなかったから。受け入れられないにしても、言葉を尽くすとか何かもっと誠実な対応があったかもしれないのに、その努力をしなかったから。
だから香凛を自棄に走らせてしまったのではないか。
香凛に、何かあったら。
考えるだけで恐ろしかった。
健やかに一人前の人間に育て上げるのが目標だったし、喜びだった。
自分で産んだ訳でもないし、血も繋がっていないし、世間の本当の親とオレでは埋めようのない差があるかもしれないが、それでも保護者としての気持ちは真剣なものだった。
だが、恋心を抱かせてる時点で、やはりオレは駄目だったのかもしれない。何か手抜かりがあったのだろう。保護者失格どころの話じゃない。
だが、失格だろうと何だろうと、この状況を放置はできない。
「悪い、用事を思い出した。二次会は皆だけで楽しんできてくれ」
「え? グループ長?」
財布からお札を引き抜いて一人の手に押し付けると、オレは香凛がさっきまでいたはずの歩道へ向けて駆け出していた。
十年見慣れた姿を探して、視線を左右に振る。
まだ、そう時間は経っていないはず。
そうは思ったが、人通りの多い方へ目星を付けてあちこち探してみても、遂にその姿を見つけ出すことは叶わなかった。
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