分かってない【パパ編】 その3-3

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分かってない【パパ編】 その3-3

 あのテディベアは、二人で迎えた初めての誕生日に、オレが香凛に贈ったものだった。よく覚えている。  女の子の、それも小さい女の子の欲しがるものなんて何にも分からなくて、ネットで検索をかけても情報量が多過ぎて、途方に暮れたのだ。  分からなくなって、最終的に安易な発想で、ぬいぐるみがいいんじゃないかと結論付けた。ぬいぐるみと言えば、くまだ。あれだ、テディベアだ、と。  香凛が喜んでくれてホッとしたのを覚えている。  あの頃はまだ香凛もオレに慣れていなくて、お互いおっかなびっくり探り探り暮らしていた。“パパ”と呼ぶ声も遠慮がちで、いつだって最低限しか呼ばなかった。  今一つ思ったように心の距離が近付かない中、香凛がプレゼントを喜んでくれた時は嬉しかった。気に入って、毎日ベットで一緒に寝入っている姿には心が和んだ。  記憶を辿ればそこら中に香凛がいて。  運動会、参観日、試験前にはテスト勉強を見てやった。  一緒に行った水族館や旅行。香凛が初めて作ってくれた晩御飯。オレの誕生日のケーキ。  受験、卒業式、入学式、数え切れない思い出。  どれもがかけがえのないものだ。  香凛を引き取る選択がオレから様々な機会を奪うという意見も沢山あったが、でも一緒に暮らす中で得られたものも沢山あった。  確かに子育ては大変だった。自分の考えの甘さを何度も突き付けられた。上手くいかないことだらけで、時間のやりくりは大変で、自由な時間は確実に減った。それに女の子ということで、思春期の対応には本当に頭を悩ませた。  でも、それは一側面でしかなかった。大変なだけじゃなかった。  香凛との生活はオレにとって決してマイナスではなかったのだ。  そりゃいい年して結婚もしてない、子どももいない、同世代とは全く違う人生だ。  周りの人間と違う道を選んだことは、時に不安や焦りをもたらした。自分の選択だったが、本当にこれで良かったのかと思う瞬間が一度もなかった訳じゃない。  でも、これまでの自分を振り返って、不幸だと思ったことはない。何かが特別不足していると思ったことはない。  結婚という方法で家庭を持つことだけが、幸せの指標じゃないことは実経験から十分分かっていた。  世の中生涯独身を通す人間だって沢山いる。だからと言って彼ら彼女らが不幸な訳ではない。当たり前だ。  大多数と同じでいることは安心材料になるかもしれないが、安心と幸福はイコールではないのだ。  だから、自分の選択を悔いていない。  香凛を娘として育てて来たことは、オレにとっては幸福なことだった。 「――――――――」  未だ帰って来ない香凛。連絡は一切ない。それどころかやはりメッセージを確認した形跡もない。  今頃、どこをほっつき歩いているのか。  早く帰って来てくれ、と思ってしまう。  例えこのまま香凛との関係が駄目になっても。  修復できなくても。  それでも香凛はオレにとって大切な存在だ。常に健やかで幸福でいて欲しい存在だ。  心配するし、放っておけない。それがこの十年積み上げて来たものだ。
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